20140324

一冊でも本といえるか


本の形態が多様になる中、本とは何を意味するのかという概念も変わりつつある。どこまでが本なのか、本の役割は何か、というようなことを改めて考えてみた。

葉っぱの坑夫にはWeb Pressという言葉が頭についていて、出版をします、という意味合いがある。葉っぱの坑夫はサイトなのか、出版なのか、と訊かれれば、どちらとも言えるけれど、意図としては出版=publishをしている、と答えたい。これは創設以来の考え方。出版と日本語で言うと、紙の本をイメージすることが多いと思うけれど、publishと言えば公開性の方が意味として強くなり、メディアはこだわらない感じがある。

ウェブで出版ができる、これが葉っぱの坑夫のスタートの大きなきっかけとなった(2000年4月)。のちに紙でも本をつくるようになった。ウェブに載せた作品を紙でも出版していく、という実験をしていた。紙でつくる際、当時まだ広く利用されていなかったオンデマンド印刷(POD)の手法を取り入れた。

最初に紙で本をつくったのは、ウェブで出版した「ニューヨーク・アパアト暮らし」という英語・日本語のバイリンガル俳句集。わずか60ページの薄くて小さな、モノクロの本だ。アメリカの詩人による俳句作品集で、原著となる"tenement landscapes"は、シカゴの非営利出版社スモールガーリックプレスで、オンデマンド印刷で出されていたもの。実はオンデマンド印刷を知ったのも、この原著を出したスモールガーリックプレスのおかげだった。

こんな風に小さな本が簡単に、低コストで、少部数つくれるとは、当時知らなかったし、その簡素な見映えも魅力があった。これも本か、と。当時葉っぱの坑夫のウェブデザインをしていたデザイナーも、この本を見てそのシンプルさに虚をつかれ感動していた。スモールガーリックプレスでは、詩の本をそうやって何冊もつくり、ウェブサイトで販売していた。

葉っぱの坑夫の方はあくまでもウェブプレスで、紙の本は副産物という考え方だった。当時インターネットにまだアクセスできない人も多かったので、別の窓をひらくという意味で紙の本をつくっていた。基本的には、ウェブで公開したものを紙の本にする、というスタンスだった。多くの商業出版社がしているように、紙の本にした途端、ウェブからそのコンテンツを消し去る、というようなことはしていなかった。それも葉っぱの坑夫がウェブプレスだからである。非営利だからできる、と思われるかもしれないが、それよりも、ウェブで出版したものが紙の本になったときは、別のものになると考えていたことの方が大きい。それに広く本のことを知ってもらうという意味で、ウェブで公開されていることが不利に働くとは思っていなかった。ウェブの「ニューヨーク・アパアト暮らし」は、訳を何度も改訂したり、読者の人が送ってくれた別の訳を一緒に載せたりと、紙の本ではできないこともやっている。

初期のこのオンデマンド印刷は、on demand=要求があるごとに、つまり一冊注文が来たら一冊印刷するという本来のオンデマンドではなかった。100部とか200部といったごく少部数の印刷をする、という意味である。それは言葉通り、一冊ずつ印刷するのは手間がかかり、コストもかかってしまうことになるからだ。前述の俳句集を見てみると、3mmくらいの背表紙なのに、きれいに背文字が入っていて、人の手が細部で入っていることが想像がされる。(現在のアマゾンのPODでは、一定の厚みがないと背文字はつけられない)

「ニューヨーク・アパアト暮らし」を出すのとほぼ同時くらいに、「ぼくのほらあな」「ステップ・イントゥ・スカイ」の二つの英語・日本語俳句集を紙の本で出した。「ステップ・イントゥ・スカイ」の方は、紙版とウェブ版をつくるのがほぼ同時だった。「ニューヨーク・アパアト暮らし」「ステップ・イントゥ・スカイ」の二冊は、最初に刷った300部がなくなったあと、アマゾンのPODの仕組をつかって、新たにデザインし直して判型も変え、違う版として出版をつづけている。

アマゾンのPODは、一冊ずつ注文ごとに印刷する本来のプリント・オン・デマンドだ。紙に印刷された本、という形としては、在庫はない。印刷するためのデータのみがストックされている。これは本なのか、と言われれば、データの形でもPDFファイルなので読むことはでき、本であるとも言えるが、紙へ出力されたものを最終形とすれば、まだデータの段階である。無数の複製を生み出し得る、本の元、原液のようなものだ。

紙の本は印刷技術ができて、商業のラインに乗って以来、部数というものが出版の可能性の鍵を握ってきた。部数を決め、価格を決め、販売予測をしてコストが見合うか考える(あるいはその逆の手順)。そこを通らないことには、商業出版では計画が進まない。普通の印刷では、部数が少ないと単価に大きな影響が出る。出す価値のある本でも、たくさん売れる見込みがたたない本はよくあること。本の価格として200ページ、300ページの文字中心の本が、5000円、6000円というのは厳しい。特別な専門書であれば別だが、小説や紀行文などでは売るのがかなり苦しいだろう。

本をつくる、本を売る、という概念の中には、たくさん刷って、たくさん売れることが含まれているように思う。本の価値を決めるものとして、何部売れたかは一つの目安とされてもいる。初版10万部刷れる小説は、「価値ある小説」である。それは本の中身に対する判断というより、どれだけ多くの人に受け入れられる可能性があるか、という意味で価値が高い。では10冊売れたら嬉しい本、あるいは1冊でもその本があってよかったと言ってくれる人がいる本の価値は、どう計ったらいいのか。

中村和恵さんの著書「日本語に生まれて - 世界の本屋さんで考えたこと」を読んでいると、この世に1冊しかなくても、価値ある本というのはあるという気にさせてくれる。中村和恵さんは、比較文学、比較文化が専門の学者で、ドミニカ島やトンガ島、エストニアなど様々な場所で本屋さんを探して歩き、珍しい本、その土地にしかない本、その土地の言葉で書かれた本、非常に古い本などに出会っている。その言葉を話す人がその土地にしかいなければ、他の言語に訳されない限り、最初からその土地限定の本になってしまう。その土地でもその言葉を話す人がそれほど多くなければ、その土地ですら読める人は少ない。非常に少ない数の本をつくることになるだろう。ただそのことと、本の中身の価値とはまた別のことだ。10冊手製でつくった本が、中村和恵さんのような学者の目にとまり、大きな意味をもつことになる可能性もある。中村さんを通して、日本や世界の人々にその本のことが伝わることもあるだろう。そこに本の秘密の一端が現われている。

そうやって考えていくと、本という概念の中には、近代以降は複製という手法が含まれてくるとは思うが、絶対的なものではないのかもしれないという気もしてくる。本を本として成り立たせているもの、それは複製技術やその数とは別のものかもしれない。印刷技術が発展する前は、本は手書きだった。1冊しか原本はなく、必要であれば、それを手で「コピー」して写本をつくった。必要であれば、つまりon demandである。

コンピューター技術が発達して、昔の写本方式=オンデマンドができるようになり、一つ元データがあれば、それが一つの本であり、それが単位になる、しかし無限に複製することもできる。そのような考え方が、部数で価値を計る本の概念を変えていくことになる日はくるかもしれない。

データという側面から見ると、電子書籍(ウェブの読み物からキンドル本まで)とPODの本は、非常に近い関係にある。違いは、ファイルおよび出力形式の違いだけで、どちらも元データがあれば複製は無限である。

*書いたあとで思い出したのだけれど、英語では本のことをcopyという。その本のcopyが3部欲しい、というように。最初に聞いたときはピンとこなかったが、原本(コンテンツ=中身)があって、そこから複製するという意味で、これほど明快な、そして今の時代にもはまる言葉はないかもしれない。

20140308

差別用語のいま(2)

葉っぱの坑夫を始めて間もないころ、サイト名にある「坑夫」はもしかしたら「差別用語」では?というメールを、読者から受け取ったことがある。「葉っぱの坑夫」は実はleaf minerの日本語訳で、坑夫は英語のminerに当たる。当初、英語のままLeaf Minerとするか、日本語にするか迷ったことを覚えている。何人かの人は、Leaf Minerの方が音として優しく、いいのではないか、という意見だった。ただLeaf Minerと言ったとき、どれだけの人がその意味を理解したりイメージしたりできるだろうか、と思った。Leafはともかく、Minerの意味を坑夫とすぐ言える日本人はそう多くはないだろう。

Leaf Minerは、炭坑などの坑夫を指している言葉ではなく、葉っぱの中に住む幼虫のことだ。葉っぱの中に坑道をあけ、葉の養分を食料としながらそこに住む虫で、葉の表面に坑道のような線をたくさん描くことから、英語ではその名がついた。

最終的に名前からその虫のイメージは沸かなくとも、一定の意味が伝わる日本語の方をサイト名に使用した。今では記憶が定かではないが、メールをくれた人は、北海道の炭坑に詳しい人だったような気がする。わたし自身は、「坑夫」という言葉にまったく差別感を抱いていなかった。と同時に、坑夫に関して詳しかったとも言えない。

しかし葉っぱの坑夫を始めてから、日本あるいは海外の坑夫の状況にときどき出会うことがあり、坑夫というものに関心を少しもつようにもなった。ジョン・マクギガンというアメリカの詩人の詩の中に、坑夫だった祖父の思い出を書いたものがあり、坑夫の仕事環境の厳しさやその暮らしぶり、社会的地位には、世界共通のものがあるのではないか、と思ったことがある。そして「坑夫」という存在を知った上で意図してつけた名前ではないものの、社会の中でのその存在の仕方にある種の共感というか、何か心惹かれるものを感じ、この名前にしてよかったと今でも思っている。

前回寄稿の(1)の中で、言葉そのものよりも、どのようにその言葉を使うか、使われるか、が差別用語かどうかの分かれ目になる場合がある、ということを書いた。インディアンという言葉も、境界線上にある言葉の一つかもしれない。ずっと昔は、日本ではインディアンと呼んでいたアメリカ先住民の人々は、ある時期にインディアンとはインド人(Indian)のことだ、と言い出す人がいて、そうなのかと「ネイティブ・アメリカン」のように呼ぶことが多くなった。

葉っぱの坑夫の作品にはアメリカ・インディアンが出てくるものがいくつかあるが、だいたい「アメリカ・インディアン」の言い方で通している。それは一つには「ネイティブ・アメリカン」という日本語カタカナでの言い方に、ポリティカル・コレクト臭がなんとなく感じられるからだ。そのように言い換えれば、差別をしていない、彼らの歴史を知っている、という表明になると信じているような気分がある。またネイティブ・アメリカンというと、彼らの信望者のような、何であれ疑問の余地なく彼らを賛美する(暮らし方、呪術、迷信、風習など)人々の物言いにつきものの名前、というイメージもある。(個人的な受けとめ方かもしれないが)

メアリー・オースティンというアメリカの作家がいて、いくつかの作品を葉っぱの坑夫で本にしたり、ウェブで公開したりしている(「シカ星」、「籠女」(インディアン・テイルズ)、「雨の降らない土地」など)。カリフォルニアの沙漠地帯の自然や動植物を描いたノンフィクション作品が多いが、その中にそこに住むインディアンのことがよく出てくる。そして彼らをアメリカ・インディアンとかアメリンディアン(Amerindian)と表現している。時代がそうだったからではなく、あえてその呼び方をしていたという記憶がある。

オースティンの作品を葉っぱの坑夫で翻訳したのも、著者のインディアンとの関係性に賛同したことが大きい。オースティンは沙漠を歩いて、土地や動植物の監察をつづける中で、土地のインディアンや鉱夫たちと親しい関係を結んでいる。彼らの存在の仕方に大いなる共感を示し、折々に聞いた話からたくさんのことを学んだとも言っている。しかしだからといって、すべてを神聖化し、賛美し、その物語を愛でる「インディアン信望者」とは、かなり違う態度をとっている。ナチュラリストらしく、リアリストの視点をもち、崇めるのではなくフラットにインディアンを見つめ、仲間としての付き合いをしていた。

インディアンを神聖化のバリアで取り囲み、本当の姿を見ない、つきあわない、というのは、別の形の差別であると言うこともできる。わたしは差別をしてないから「ネイティブ・アメリカン」と呼んでます、と宣言したからと言って、差別をしていない証明にはならない。

最近ヨーロッパのサッカー界で、差別語に関して話題になったことがある。先シーズンの後半に、あるクラブの選手が、対戦相手の選手に対して、試合中にNegritoという言葉をつかって、イングランドサッカー協会から8週間の出場停止処分を受けた。かなり重い裁定だ。言った方の選手は南米のウルグアイ人で、言われた方はセネガル系のフランス人だった。NegritoNegroはスペイン語でblack(黒い)の意味、itoは、言葉の最後に付けてニュアンスを加える言葉で、「小さい」の意味がある。女の人にはitoではなく、itaが使われる。Juanという名の人がJuanitoと愛称で呼ばれているのを耳にする。つまりNegritoは「黒ちゃん」みたいな感じではないか。

南米ではこのNegritoは様々なニュアンスで使われているようで、白人の男の子がガールフレンドから「ネグリート」という愛称で呼ばれている、という投稿記事を読んだ。軽い冗談を交えた愛情表現ということか。その投稿者(コロンビア人)が言うには、スペイン語には様々な侮蔑語、差別語があるが、このNegritoはそういうものとはかなり違うし、イギリス人(サッカー協会)がその意味するところを理解するのは難しいのでは、と書いていた。ウルグアイ人の選手は、最初は差別的な意味で言ったのではないと主張していたけれど、最終的には相手選手に謝って処分を受けた。言われた方は確かに黒人選手であったし、試合の中のやりあいで、ネグリートと何回も呼んだとしたら(言ったのは攻撃の選手、言われた方は守備の選手という対立の中で)、軽い意味であったとしても相手を攻撃する、あるいはからかうニュアンスが含まれていたことは考えられ、言われた方はフランス語や英語の解釈から、「黒」と侮蔑されたと思っても何の不思議もない。闘争心がぶつかりあう試合という場を考えれば、相手チームの選手に「ネグリート」という言葉は相応しいものではなかったと思われる。

このように差別語は、その言葉がどのような状況で、どういう人間同士のあいだで使われたかをよく見て、判断したほうがいいものは多いだろう。単なる言葉の言い換えでよしとするのではなく、個々のケースを見て考えていくことが、差別というものの理解につながるのではないか。