20140630

W杯はたけなわ、日本のサッカー報道に新機軸が加わる?



ブラジルで開催されているワールカップが、いよいよ決勝トーナメントに入って盛り上がりを見せている。もしかしたら日本の国民の多くは、自国チームが敗退したのでもう大会が終わったような気分になり、他国の試合に興味を失っているかもしれないが、世界の大半の人々はそうではない。さあ、これからどんな面白い試合、すごい戦いが見れるのか、期待満々である。出場国もそうでない国も。

実際、今大会はいくつかの番狂わせがここまでにもあり、また小国のチームが世界を驚かせるようなプレイで決勝トーナメントに進出もし、非常に活気のあるドラマチックな大会になっている。日本の人々も、自国の敗戦はひとまず置いて、世界の有力チームの戦いをじっくり見て楽しんだほうがいい。それが将来の日本代表の進歩にもつながると思う。

ある国のサッカーの力は、代表選手や監督だけでなく、サッカー協会やまわりを取り巻くスポンサー企業、報道するマスメディア、試合を見て応援したり批判したりするその国の人々などの、長年にわたる総合力の現れ。サッカーの魅力や戦いの厳しさをよく知らない国民や報道機関を有する国のサッカーは、強くなれる見込みが薄い。その原点のところで負けてしまう。

今回、W杯のレポートや報道を見ていて気づいたことがあった。おそらく4年前の南アフリカ大会では、それほど見られなかったことではないかと思う。それは日本在住の外国人記者やサッカーライターの存在だ。彼らは自分のツイッターやブログ、サッカーサイトなどで、日本語で、英語で、試合中も試合後も、刻々とつぶやきやレポートを放っている。その視点や内容は、日本国内の多くのメディア関係者やサッカーライターのものと違い、即時性があり、公平で、厳しく、ときに優しく、ユーモアもたっぷりと輝きを見せている。題材となる代表チームや選手も、幅広く32カ国に目が行き届いている。それがイギリスやイタリア出身のライターであれば、サッカーそのものだけでなく、その国の報道や記者も成熟しているのだろう、と思わされる。

ベン・メイブリ―はイギリス人のサッカーライター、翻訳家。日本に来て10年ほどでまだ30歳と若いが、大阪なまりのしゃべりも、長文の日本語によるサッカー評論も見事で、目のつけどころがいつも面白く、聞いて読んでためになることが多い。地元のガンバ大阪の熱狂的なファンで、故郷イギリスの小さな町のサッカークラブにもおおいなる愛をもってサポートしている。当初は日本の読者に向けて、イングランドのプレミアリーグや欧州サッカーについてコメントすることが多かったが、最近はガーディアンなどイギリスの新聞や雑誌に、日本を知る者として、日本代表チームについてのレポートを書くことも増えているようだ。

チェーザレ・ポレンギはイタリア人のサッカーライター、国際サッカーサイトの日本版の編集長。1990年代から日本に在住しているようだ。ツイッターでの発言、情報はユーモアにあふれて面白く、どこから見つけてきたのか、という珍奇な写真をバンバン載せている(今やツイッターでは「著作権」という考えはスルーされているのではないか。どんどん流れるから追いつかないし)。母語のイタリア語はもちろん、日本語も英語も達者。達者というだけでなく、ツボを押さえた面白い発言が光っている。

ショーン・キャロルは詳しくは知らないけれど、イギリス人の若手のサッカー記者。上の二人より在日期間が短いのか、日本語より英語での発言が多く、テレビのスポーツチャンネルに出演するときも、英語で話すことが多い。よくJリーグの取材をしていて、Jリーグについての発言がツイッターでは多い。もちろん日本代表についても、機会あるごとに発言している。イギリス新鋭の季刊サッカーマガジン「Blizzard」の最新号『ブラジル・ワールドカップ特集号』では、2010年南アフリカ大会のときの、北朝鮮代表選手アン・ヨンハとチョン・テセについて記事を書いている。テーマの取り上げ方が幅広く、ユニークだと思う。

ベン、チェーザレ、ショーンの三人は、ツイッターでの発言が多く、同じ事象(試合経過や試合結果)に対して、それぞれがそれぞれの視点でコメントしているのを、タイムラインに沿って追えるのが面白い。この三人以外にも、何人かの有力選手(ベルギー、ブラジル、ガーナなど)のツイッターも購読しているので、一つのタイムライン上に、現地ブラジルや世界各地からのコメントが隣り合って並んでくるところも臨場感いっぱいである。たとえばブラジルのある選手がゴールを決めると、日本にいるベンがすごいゴールだったと書き込んだその次に、ブラジル現地にいるベルギー選手が、「おめでとう、ブラザー!」とクラブチームの同僚に賛辞をおくるといった具合。

そのような環境でサッカー観戦を楽しんでいるときに、日本の報道やライブ中継を見ると、ときどきがっかりすることがある。まず全体として、サッカーを楽しんでいるというより、「日本代表」限定視点ですべてを見ている。問題はサッカーではなく、日本代表なのだ。ワールドカップが始まる前も、日本人サッカー評論家を並べて語らせたり、試合結果を予測させたりする番組では、8割以上の話が「希望的観測」に基づいていて、「大丈夫ですよ」「いけるいける」「絶対勝つ」など、気分だけの景気づけ発言に終始することが多かった。試合結果の予測も、日本代表がらみのものは、首をかしげるようなものばかり。中に一人、違う意見の人(日本が試合を引き分けるとか、グループリーグ敗退するとか)がいたりすると、場の雰囲気は突如悪くなり、その人に無言の圧力がかかる(おそらく番組的には、あからさまになりすぎないよう、『バランスをとるため』にその人を呼んだのだろうが)。サッカー報道や中継ではなく、「全力応援」報道と言われる所以だ。竹槍戦法でB-29だって撃ち落とせる、日本は勝てる、と言って戦った第二次大戦中のような情景。

新聞もテレビも雑誌もすべてがこの調子なので、そして今回は特に、日本の中心選手の何人かがヨーロッパで名のあるクラブに所属している、ということもあったりして、期待感はこれまでになく高く、(日本)史上最高のチームなどとも言われ、前ふりの盛り上げ方は尋常ではなかったのかもしれない。その分、敗戦後の落胆は大きい。

そのようないささかうんざりするような、食傷気味の報道や中継にあって、在日外国人サッカー関係者の発言や情報、データ提供は、今起きていることを広い視野でまともに見る機会を与えられたようで、貴重なものだ。そこを基準(スタンダード)にして見ていけば、日本の主要メディアがどういうレベルにあるか判断もできる。いずれこうした外国人記者たちの発言が、一般の人にも影響力をもつようになると、現在のような「太鼓持ち」が大半を占める日本人記者は、存在が危うくなるのではないか。グローバル化によって職を失うことには、こういうことも含まれる。

20140616

わたしのMOOC(ムーク)体験記<1>(4月28日~6月16日)

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ムークとはインターネット上で、誰もが、公開されている大学の講義を受けられる無料の学習システムのこと。ここ最近になって、日本のメディアでも話題になっていた。

今年の初めごろムークについて耳にして、春頃ムークについての本を読んだ。そしてムークの中でもよく知られている、アメリカ発のCoursera(コーセラ)のサイトを訪ねてみた。コーセラはスタンフォード大学がオーガナイズしているもので、2014年4月の時点で、100を超える大学の641コースをそろえ、世界各国の710万人が受講しているとのこと。

ざっとコースを見てみたところ、コンピューターサイエンス関係が多いように見えたが、Music, Film and Audioのカテゴリーを見ると、いくつか面白そうなものあった。バークリー音楽大学の講義でSongwritingという科目があり、イントロダクション・ムービーを見て、パット・パティソン教授の話を聞いてみると気軽に受けられそうな印象だった。コースは4月末からの6週間で、各週ごとに10~15分程度のビデオ講義が6本から12、3本アップされるという。イントロダクションがいい感じだったので、試しに申し込んでみた。確か名前とメールアドレスを申請するくらいで、すぐに受理されたと思う。認証(その講義を受けたという証明)を取りたい場合は、数千円支払うという選択もあったが、特に必要ないので無料のコースを選んだ。

Songwritingとは、その名のとおり、歌をつくる方法論を学ぶ講座だ。音楽の種類としてはポップミュージックあるいはロックのジャンルだ。レファレンスの参考作品の中には、ポール・サイモンやビートルズの楽曲があがっていた。パット教授の過去の弟子の中には、ギリアン・ウェルチなど数名の名前があって、なんとなく雰囲気がつかめた気がした。コースの案内には、楽譜が読めなくても、楽器が弾けなくてもOKとあった。要するに、音楽大学の講座だけれど、専門的な音楽知識は必要ない、ということ。

コースの申請をしてすぐに、講座が始まりましたという案内がメールで来た。「クラスに行く」というボタンを押して「教室」に行くと、1週間分のビデオが並んでいた。5分程度のイントロと12分くらいの講座をまず見てみた。パット教授の話はとてもわかりやすく、初めての視聴ながら100%理解できて、これはいけそうと嬉しくなった。アメリカの大学だから、講義は英語ではあるが、こちらに向かって「教えたい」「伝えたい」という気持ちで話者が話しかけてくるので、内容がよく届くのではないかと思う。映画の音声を聞き取ったり、スピーチを理解したりするより、ずっと簡単だと思った。

ムークも初期の頃は、大学の講義風景を録画して公開する方式が多かったと聞く。ただそれだと、音声がきれいに録れていなかったり、黒板の文字が見えにくかったり、とわかりにくいところがあることから、ムーク用のビデオが作られるようになったらしい。Songwritingの講座も、黒バックの画面の中にパット教授がすわり、そばにキーボードやパソコンを置いて、前を向いてしゃべる。画像もクリア、音声もクリア、文字が必要なときは、画面上にテロップとして出てくる。

講義を受けはじめて少しして、ビデオ以外の素材に気づいた。一つはクイズ(テスト)で、すべての項目にあるわけではないが、一つのビデオに対してそれに関する問題が提供されている。理解度を自分で確かめるためのものらしい。ビデオの中にも、時々、クイズが挟まっていることがある。一時的に画面が切り替わり、問題に答えて(正しい答えにマークを入れる)次に進む。補足資料としてのテストの方は、いくつかの質問があって、それに答えて(わたしが自分で答えました、と申請する)、送信すると、答え合わせが返ってくる。間違ったものがあって、もう一度挑戦したければそれもできる。問題の傾向としては、引っかけ問題などはなく、理解を助けるための質問が多いように思った。

とても順調に進んでいて、理解もほぼパーフェクトと思っていたら、落とし穴があった。ライム(rhyme)といって、英語の詩や歌詞では韻を踏むことが大事なのだが、いくつかあるライムの種類を区別するレッスンで、自分が完全には理解していないことが判明した。クイズで散々な結果になってそれがわかり、気を入れて復習とビデオの見直しをした。ビデオは一定期間(一週間程度か)は何度でも見れるようになっている(時期を過ぎるとアクセスできなくなる)。また講座の素材として、ビデオとクイズ以外に、ビデオの内容を書いたテキスト書類と、ダウンロードできる講座の動画(MP4)、それに字幕ファイルが用意されているのに気づいた。

まずテキストは、講義で話されている言葉のすべてが書かれている。確認したいことがはっきりしている場合は、動画を見直すより、テキストを読んだ方が早い。またテキストは保存できるので、講座が終わった後で見返すこともできる。動画ファイルの方は、アクセス期間が過ぎると見れなくなる。主に字幕をつけて見たい人のためのものだと思う。字幕はオリジナルの英語版が用意されていることが多く、講義によっては中国語版もあるようだ。ごく簡単な仕組で、字幕用ファイルというのは、ある言語に訳されたテキストファイルの拡張子を.txtから.srtに変えたものを動画と同ディレクトリに置き、VLCなどのフリーソフトで読み込めば、字幕付きの動画が見れる、というもの。今回初めて知った。(何かに今後つかえそう。。。) 英語のネイティブでない人が学ぶとき、字幕があれば、より理解しやすいということだと思う。

ところで、この講座を受け始めて少しして、コーセラから翻訳者のボランティアに参加しませんか、というお誘いメールが来た。なるほど、、、と思った。こちらが日本在住とわかってのことだと思う。もしわたしが翻訳ボランティアをして、日本語字幕をつくることに協力すれば、日本語話者で受講したい人が、日本語で授業を受けられるというわけだ。ちょっとやったみたい気もしたが、何もかもまだ初めてなので、それは次回にまわすことにした。しかし、こうやって輪を広げていくコーセラの手法はなかなかお見事。

Songwritingの講座は6週間が過ぎて無事終わった。講座の内容も、システムも見るべきものがあって、受けてよかったと思った。授業内容について言えば、まずパット教授のティーチング・パフォーマンスが非常に高く、ただしゃべるだけでなく、人の心に訴える、あるいはユーモアたっぷりの物言いで、何を理解しなければならないかをくっきりと示してくれた。また授業レベルも入門的なところに基本を置きつつも、高いレベルのところまで見渡せるような内容で、講義としてレベルが高いと思った。優れた教授法と言えると思う。さすがその名に恥じないバークリー、か。

というわけで、初めてのムーク体験は大成功。6月に音楽関係でまた二つほど、講義を受けようと思っている。こんなに簡単で(申請手続きなど)、無料で、しかも講義のレベルが高い(少なくともわたしの体験では)。いいところづくめだ。ノルマといっても、講座一つなら、一日に15分から30分程度時間をつくれば何とかなる。興味さえもてれば、小さな努力で短期間に一テーマをものにでき、それなりの達成感が得られる。
コーセラのサイトはこちら。
https://www.coursera.org/

20140602

移民たちのクックブック(4) キッチンでもアーティスト、オキーフのレシピ


ジョージア・オキーフは画家として、また人間としても興味をもっていた人物でした。O'Keeffeという姓からアイルランド移民ではないか、とずっと思っていましたが、評伝のようなものを読んでも、そう書いてあるものに出会ったことがありませんでした。今回それについて調べていて、アイルランド現代美術館のホームページで、次のような記述を見つけました。

<オキーフはアイルランド人の家系で、父方の祖父母ピアース&キャサリン・オキーフは、1848年にアイルランド南部のコーク州を離れ、アメリカに渡りました。>

オキーフはアイルランド移民3世ということになります。3世ともなれば、よほど祖父母と近しく、強い影響を受けていないかぎり、アイルランドとの関係は薄い可能性があります。オキーフのレシピの中に、アイルランド風なものがあるかと言えば、アイリッシュ・ソーダブレッドというのがありましたが、それが出自と関係しているのかはわかりません。ただ全体として素材を生かした素朴な料理が多いように見え、それはオキーフという人間の個性から来るものかもしれませんが、アイルランドのイメージとも重なるところがあります。

「ペインターズ・キッチン(ジョージア・オキーフのキッチンで作られたレシピ)」という料理本(英語版のみ)は、マーガレット・ウッドという、当時オキーフの家で料理をつくる手伝いをしていた女性が書いたものです。ウッドがオキーフの家にやって来たとき、オキーフは90歳、著者は24歳でした。1977年から1982年まで、著者は「友だち」としてオキーフの家で働き、新鮮な素材をつかったシンプルで美味しい料理をたくさん教わった、と書いています。

当時オキーフが住んでいたのはニューメキシコ。若いときからアメリカの沙漠のランドスケープに惹かれていたオキーフですが、夫のスティーグリッツが死んだあと、ニューヨークを引き払ってニューメキシコの沙漠地帯に移り住み、死ぬまでそこで暮らしました。オキーフの作品にニューメキシコを描いたものは多いですが、そこでのオキーフの暮らしぶりを撮った素晴らしい写真集もあります。「ゴーストランチのジョージア・オキーフ」という本(英語版のみ)で、ライフ誌のカメラマン、ジョン・ローエンガードが、1966年にゴーストランチのオキーフを訪ねて撮った、沙漠で暮らす老年の画家のポートレートです。

「ペインターズ・キッチン」は、料理のレシピと、それにまつわる話やオキーフとの暮らしの思い出を記したエッセイで構成されています。どのようにオキーフがニューメキシコの家を管理していたか、庭でどうやって様々な新鮮で健康な野菜や実のなる木を育てていたか、それをどのように料理にしていたか、どうやって保存食にしていたか、など内々の話がたくさん出てきます。

基本的にオキーフの生活もその管理も、そしてレシピもストイックなところがあり、独自の考えに沿って徹底して暮らしいる印象を受けました。100歳近くまで現役のまま一人で暮らせたのは(使用人や手助けする人はたくさんいましたが)、そういった暮らしぶりや食べものと関係があるのだろうか、とも思います。

レシピの中で、ハーブドレッシングやハーブオムレツなどつくってみたものはありますが、食材がややなじみのないもの(バターミルクとかヤギのミルクとか)が出てきたりもして、それほど多くは作ってはいません。またシンプルな料理が多く、素材自身が「庭で採れたばかりの野菜やハーブ」「新鮮なヤギのミルク」でないと、同じものにはなりそうにないということもありました。

いま本を見ていて、「レモン風味のベークドチキン(Baked Chicken with Lemon)」というのを見つけて、今晩にでもつくってみようかなと思いました。材料は鶏(ただし丸ごと一羽のようですが)とレモンと塩(コーシャーソルト)、それにニンニクです。これならどこにでもある材料です。オーブンを400℃にします(これが、、、わが家の上乗せ式のガスオーブンでは、最も火力の強い火をつかっても300℃までしか上がりませんでした)。鶏肉のかたまりをガラスか金属製のベーキングパン、あるいはキャセロールに入れます。レモンを半分に切り、肉の内外にたっぷり絞り汁をかけます。コーシャーソルトを肉の内外にこすりつけます。ニンニク片を半分に切り、肉の内側と器の中にそれぞれ置きます。アルミホイルをかぶせて、鶏肉をオーブンに入れます。肉の大きさと火力によりますが、30分〜45分くらいそのまま焼いて、その後アルミをはずしてさらに10分〜15分くらい、肉に焼き色がつくまで焼きます。スライスしてお皿に取り分けます。

実際つくってみたところ、これが、かなり美味しかったです。ちょうどその日、コーシャーソルトがアマゾンから届いたところで、塩はそれをつかいました。特にすっぱいとかレモンの香りがするとか、そういうことはありません。何がどう作用しているのか、出来上がりはともかく美味しかったです。機会があったら、丸ごと一羽の鶏でやってみたいと思いました。

ちなみに、この料理のページにはこんなエピソードが書いてありました。
ーーーー誰か来ることになって、それほど気をつかわなくていい人であれば、このレシピはよくつかわれました。高温で焼いた肉は柔らかく、レモンと塩が肉によくしみこんで、ぐっと美味しくなります。カバーを取って最後に10分焼くと、黄金色のすばらしい仕上がりになります。ある週末のランチでの会話で、ミス・オキーフ(家の者はみんなこう呼んでいたそう)は1940年代のゴーストランチでの思い出話をしてくれました。「ここで一人でちゃんとやっていけなかったら、自分はなんの価値もないって思ってたのよ」 その頃の習慣について、こんなことも話してくれました。「お皿を洗いたくなかったら、放っておいた。ゴーストランチのカウンターの上に、積み重なった汚れたお皿がずらりと並んでいたこともあるのよ。でもね、それを片付けるときがいつか来るのはわかってた。お皿より大事なことがあるときは、お皿は平気で放っておいたわね」

寝る前に、料理の本を少し読むのを楽しみにしていたこと、ある冬の夕べに、親しい友とリビングで、ベートーベンのピアノソナタ全曲を聴いて楽しんだことなど、当時のオキーフの暮らしぶりやユニークな考え方を伝えるエピソードが満載のこの本。他では聞くことのない、生活者として料理人としてのオキーフの側面を楽しむことができます。

最後に一つ、オキーフらしいレシピ、ガーリックサンドイッチを。作り方は簡単。パリッとしたフランスパンをスライスして、バターかオリーブオイルを塗り、間にごく薄くスライスした生のニンニクを挟む、というもの。オキーフはニンニクの効用を信じていて、庭で毎年育てていたそう。ウッドによると、このサンドイッチ、びっくりするほど美味しいとのことです。ニンニクだけのサンドイッチねぇ。。。いかがですか?