W杯はたけなわ、日本のサッカー報道に新機軸が加わる?
ブラジルで開催されているワールカップが、いよいよ決勝トーナメントに入って盛り上がりを見せている。もしかしたら日本の国民の多くは、自国チームが敗退したのでもう大会が終わったような気分になり、他国の試合に興味を失っているかもしれないが、世界の大半の人々はそうではない。さあ、これからどんな面白い試合、すごい戦いが見れるのか、期待満々である。出場国もそうでない国も。
実際、今大会はいくつかの番狂わせがここまでにもあり、また小国のチームが世界を驚かせるようなプレイで決勝トーナメントに進出もし、非常に活気のあるドラマチックな大会になっている。日本の人々も、自国の敗戦はひとまず置いて、世界の有力チームの戦いをじっくり見て楽しんだほうがいい。それが将来の日本代表の進歩にもつながると思う。
ある国のサッカーの力は、代表選手や監督だけでなく、サッカー協会やまわりを取り巻くスポンサー企業、報道するマスメディア、試合を見て応援したり批判したりするその国の人々などの、長年にわたる総合力の現れ。サッカーの魅力や戦いの厳しさをよく知らない国民や報道機関を有する国のサッカーは、強くなれる見込みが薄い。その原点のところで負けてしまう。
今回、W杯のレポートや報道を見ていて気づいたことがあった。おそらく4年前の南アフリカ大会では、それほど見られなかったことではないかと思う。それは日本在住の外国人記者やサッカーライターの存在だ。彼らは自分のツイッターやブログ、サッカーサイトなどで、日本語で、英語で、試合中も試合後も、刻々とつぶやきやレポートを放っている。その視点や内容は、日本国内の多くのメディア関係者やサッカーライターのものと違い、即時性があり、公平で、厳しく、ときに優しく、ユーモアもたっぷりと輝きを見せている。題材となる代表チームや選手も、幅広く32カ国に目が行き届いている。それがイギリスやイタリア出身のライターであれば、サッカーそのものだけでなく、その国の報道や記者も成熟しているのだろう、と思わされる。
ベン・メイブリ―はイギリス人のサッカーライター、翻訳家。日本に来て10年ほどでまだ30歳と若いが、大阪なまりのしゃべりも、長文の日本語によるサッカー評論も見事で、目のつけどころがいつも面白く、聞いて読んでためになることが多い。地元のガンバ大阪の熱狂的なファンで、故郷イギリスの小さな町のサッカークラブにもおおいなる愛をもってサポートしている。当初は日本の読者に向けて、イングランドのプレミアリーグや欧州サッカーについてコメントすることが多かったが、最近はガーディアンなどイギリスの新聞や雑誌に、日本を知る者として、日本代表チームについてのレポートを書くことも増えているようだ。
チェーザレ・ポレンギはイタリア人のサッカーライター、国際サッカーサイトの日本版の編集長。1990年代から日本に在住しているようだ。ツイッターでの発言、情報はユーモアにあふれて面白く、どこから見つけてきたのか、という珍奇な写真をバンバン載せている(今やツイッターでは「著作権」という考えはスルーされているのではないか。どんどん流れるから追いつかないし)。母語のイタリア語はもちろん、日本語も英語も達者。達者というだけでなく、ツボを押さえた面白い発言が光っている。
ショーン・キャロルは詳しくは知らないけれど、イギリス人の若手のサッカー記者。上の二人より在日期間が短いのか、日本語より英語での発言が多く、テレビのスポーツチャンネルに出演するときも、英語で話すことが多い。よくJリーグの取材をしていて、Jリーグについての発言がツイッターでは多い。もちろん日本代表についても、機会あるごとに発言している。イギリス新鋭の季刊サッカーマガジン「Blizzard」の最新号『ブラジル・ワールドカップ特集号』では、2010年南アフリカ大会のときの、北朝鮮代表選手アン・ヨンハとチョン・テセについて記事を書いている。テーマの取り上げ方が幅広く、ユニークだと思う。
ベン、チェーザレ、ショーンの三人は、ツイッターでの発言が多く、同じ事象(試合経過や試合結果)に対して、それぞれがそれぞれの視点でコメントしているのを、タイムラインに沿って追えるのが面白い。この三人以外にも、何人かの有力選手(ベルギー、ブラジル、ガーナなど)のツイッターも購読しているので、一つのタイムライン上に、現地ブラジルや世界各地からのコメントが隣り合って並んでくるところも臨場感いっぱいである。たとえばブラジルのある選手がゴールを決めると、日本にいるベンがすごいゴールだったと書き込んだその次に、ブラジル現地にいるベルギー選手が、「おめでとう、ブラザー!」とクラブチームの同僚に賛辞をおくるといった具合。
そのような環境でサッカー観戦を楽しんでいるときに、日本の報道やライブ中継を見ると、ときどきがっかりすることがある。まず全体として、サッカーを楽しんでいるというより、「日本代表」限定視点ですべてを見ている。問題はサッカーではなく、日本代表なのだ。ワールドカップが始まる前も、日本人サッカー評論家を並べて語らせたり、試合結果を予測させたりする番組では、8割以上の話が「希望的観測」に基づいていて、「大丈夫ですよ」「いけるいける」「絶対勝つ」など、気分だけの景気づけ発言に終始することが多かった。試合結果の予測も、日本代表がらみのものは、首をかしげるようなものばかり。中に一人、違う意見の人(日本が試合を引き分けるとか、グループリーグ敗退するとか)がいたりすると、場の雰囲気は突如悪くなり、その人に無言の圧力がかかる(おそらく番組的には、あからさまになりすぎないよう、『バランスをとるため』にその人を呼んだのだろうが)。サッカー報道や中継ではなく、「全力応援」報道と言われる所以だ。竹槍戦法でB-29だって撃ち落とせる、日本は勝てる、と言って戦った第二次大戦中のような情景。
新聞もテレビも雑誌もすべてがこの調子なので、そして今回は特に、日本の中心選手の何人かがヨーロッパで名のあるクラブに所属している、ということもあったりして、期待感はこれまでになく高く、(日本)史上最高のチームなどとも言われ、前ふりの盛り上げ方は尋常ではなかったのかもしれない。その分、敗戦後の落胆は大きい。
そのようないささかうんざりするような、食傷気味の報道や中継にあって、在日外国人サッカー関係者の発言や情報、データ提供は、今起きていることを広い視野でまともに見る機会を与えられたようで、貴重なものだ。そこを基準(スタンダード)にして見ていけば、日本の主要メディアがどういうレベルにあるか判断もできる。いずれこうした外国人記者たちの発言が、一般の人にも影響力をもつようになると、現在のような「太鼓持ち」が大半を占める日本人記者は、存在が危うくなるのではないか。グローバル化によって職を失うことには、こういうことも含まれる。