わたしのMOOC(ムーク)体験記<2>(6月~9月/ビートルズの音楽)
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6月にこのジャーナルでコーセラで授業を受けた体験について書いた。バークリー音楽大学のSongwritingの授業だった。その後、またいくつかの授業を受けているので、ムークをさらに知ってもらうため、それについて記したいと思う。(ムークとはインターネット上で、誰もが、公開されている大学の講義を受けられる無料の学習システムのこと。コーセラはその一つ)
まず6月から3ヶ月間、ロチェスター大学のThe Music of the Beatles(ビートルズの音楽)を、7月から3ヶ月間、バークリー音楽大学のDeveloping Your Musicianship(音楽家としての能力を延ばす)を受講した。ここまでのところ、すべて音楽に関する講座ばかりだ。確か、Songwritingの授業を受けているとき、メールで来るコーセラの案内インフォメーションの中に、この二つの講座があったのがきっかけだったと思う。
コーセラでは、メールによる案内インフォメーションが効果的に使われている。新しい講座の案内だけでなく、受けている授業の教授からも、毎週、受講生にさまざまなインフォメーションやお誘いがやって来る。人によって違うけれど、多くはフレンドリーでカジュアルな口調の、先生から生徒への手紙のスタイル。もちろん同胞メールではあるが、そうやって教授から今週はこんなことをポイントに授業を進めますよ、こんな参考書がありますよ、ここで面白いビデオが見られますよ、ライブでトークをしますよ、などの情報を受け取るのは悪くない気分だ。そうやって向こうから常に、こちらがやる気になるよう、授業に興味がもてるようプッシュをしてくる。
コヴァチ教授の「ビートルズの音楽」は、なかなかためになる授業だった。ビートルズの音楽は昔かなり聴いたけれど(特に初期のもの)、音楽として分析したり、楽曲が音楽界に与えた影響を知ったり、音楽ビジネスの側面からビートルズを考えたことはなく、彼らの音楽そのものももうずっと耳では聴いていない(聴く気がしない)。しかし過去に耳で聴いて心を奪われたものを、冷静に分析して改めて考えてみるのは面白そうだと思った。
授業がスタートする前に、この講座の案内ページを一覧していたら、お薦めの参考図書がいくつか上がっていて、そのうちの一つを購入した。The Beatles as Musicians(音楽家としてのビートルズ)という本で、ソフトカバーながら大判で450頁もある分厚い本だった(しかもこれは前期編で、同じボリュームの後期編もある)。オックスフォード大学出版のものだが、著者はウォルター・エヴェレットというアメリカ人の音楽学者(専門:ポピュラーミュージック)。この本は一方で非常に学究的、資料的で、論じている楽曲の楽譜をそのつど載せたり、ツアーを行った全会場(リバプールからアメリカ、アジアに至るまで)を仔細に地図化したり、補足資料として使用楽器、用語説明、和声の基礎知識、索引と余すところなくビートルズの音楽が理解できるような構成になっているが、興味深いエピソードが書かれていたり、一般の音楽ファン(ビートルズファン)も想定内の「読んで楽しめる本」にもなっている。
そもそも大学(この場合はロチェスター大学)で、ビートルズの音楽についての研究や授業があること自体、意外な気がしたが、上記の本を見てもわかるように、ポピュラーミュージックは学問として、立派な研究対象になっているのだ。しかも、コヴァチ教授はアメリカ人(もちろんビートルズの音楽は、イギリスの音楽というよりグローバルなものだとは思うが)。
コヴァチ教授の授業は、ビートルズ誕生のところから始まり、年代を追って進んでいく。リバプールという港町に住んでいた十代の少年、ポールとジョンが出会い、互いの家を行き来して、音楽をともに演奏し作るようになった。安物のギターにわずかなコード知識、ギターテクニックで、二人の音楽活動は始まった。当時リバプールには米軍の基地があり、ラジオを通してアメリカのR&Bなど黒人音楽を聴くことができた。それに二人ははまっていた。それを自分たちの音楽の基本にした。才能ある少年が二人もリバプールに住んでいたことは驚きだが、米軍がそこにあった偶然も見逃せない。後にビートルズの音楽はアメリカ全土を熱狂の渦に巻き込むが、それはアメリカの黒人音楽をルーツとするものの逆輸入だった、という事実。(当時、アメリカの白人は、R&Bをどれくらい聞き、自分たちの音楽として支持していたのか、という社会的側面に目がいく)
コヴァチ教授は、ギターリストあるいはバンドマンでもあるようで、スタンドカラーのおしゃれなシャツに、前から見ると普通だが実は後ろ髪を束ねている、古き時代のロックンローラーっぽい人。おそらく50代か。アメリカにビートルズの映画(ヤァ!ヤァ!ヤァ!)がやって来たときまだ子どもで、祖母といっしょに見に行った、というエピソードを話していた。映画なのに、ティーンエイジャーたちが立ち上がって大騒ぎし、悲鳴をあげていたので、祖母が「見えないから座って、座って」と注意していた、と面白そうに語っていた。
コヴァチ教授は、けっこうな早口で、たくさん言うことがあるのを15分くらいのビデオに、なんとか収めようとしているみたいなしゃべりで、聞きとれないことも少なくない。そういうときは、あとでテキストをダウンロードして読んで確認する。それで大抵は解決する。それは一つには、論じている内容(固有名詞や話のコンテクスト)をこちらがある程度知っていて、予測しながら授業を聞いているからだ。ビデオレクチャーにはいくつかの機能があって、たとえば×0.75のスピードでビデオを見ることもできる。そうするとかなりスピードダウンして聞き取りやすくなる。0.75倍だとそれほど不自然ではなく聞ける。しかし全体としては、特に言葉の間やつまったところなどが、まどろっこしく感じられもする。あと字幕という設定があることに、あるとき気づいた。デフォルトは字幕なしだが、英語の字幕を見ながら聞くこともできる。授業によっては中国語やその他の言語が選べるものもある(これはボランティアの翻訳者が協力しているのではないか)。英語の字幕は、音声認識の仕組をつかったもので、音を文字化しているだけなので、時々「不明な音」などと出てきたりもするし、話者が「えー、えー、えー」などと言葉につまれば、そのまま字幕として出てくる。しかし英語においては9割がた使えるシステムだと思う。
コーセラの授業は、どの科目も、世界各地から生徒が集まって参加している。授業に登録すると、自分の住んでいる地域に自分の名前をマッピングするように、という案内があったりする。アメリカはもちろん、中南米、ヨーロッパ、アフリカ、中東、アジアと地球上のあらゆるところに受講者がいるのが、マップを見るとわかる。それは指導教授をも喜ばせ、さらにいい授業をしようというモチベーションにもつながっているようだ。マップでも、ディスカッションフォーラム(生徒同士が、授業内容について書いたり質問したりし合っているボード・ページ。コーセラではこれが盛んで、教授も閲覧しているようで、生徒に利用をすすめている)でも、中国人はどの授業にも必ずいて、とても熱心に見える。日本にも少数だが受講者はいるようだ。
ビートルズの講座を受けているとき、ペルーの生徒が、講座を聞きながらいつも、話にあがったビートルズの楽曲をネットを利用して聴きまくっているよ、とても楽しい、という発言があり、わたしも同じだったので、「わたしも!十代のときにすごく聴いていました」と書いたら、フィンランドの女性が、「あら、わたしも。あー、年がわかっちゃうかしらぁ」と返してきておかしかった。受講生の年齢の巾もかなり広そうだ。