音の記録、音の記憶。岡利次郎さんのこと(1)
メインマシンであるMac G5が壊れるという事故が先月あり、そこに保存してあった一部のデータを失った。その中に音楽を録音したAIFFとMP3ファイルがあった。中身は過去の(かなり昔の)ピアノ演奏の録音で、オリジナルはカセットテープ。カセットウォークマンのような再生機をMacに変換ケーブルでつなぎ、SoundStudioというソフトをつかって取り込んだものだった。
どうしようかと思ったが、カセットテープはどんどん劣化するので、とりあえず新しいMacかノートに取り込んでおこうと思った。それで過去のテープを屋根裏部屋から持ち出し、聴く羽目になった。古い写真というのは、誰もが少しはもっているものだと思うが、音の記録というのは(ヴィデオなど映像の記録はあるだろうけど)、案外ないものだ。
古い音の記録を聴いていていろいろ発見があり、また忘れていたことを思い出したりもした。テープに残っているピアノ演奏は、20代後半から40代にかけての頃、演奏会場やピアノのレッスン室で録音されたものだ。その約十年の間、師事していたのが岡利次郎さんである。
ピアノは小学生の頃習っていた。自分からというよりはやはり親の希望だったと思う。母親もピアノが弾けたので。中学生になると、東京から四国へ引っ越したということもあり、ピアノの練習に行かなくなった。その頃、興味を持ち始めた音楽はクラシックではなくロックだったし、ピアノというのは毎日の練習が必要なこともあって、面倒な相手だった。練習をさぼれば、先生の家に行ってもうまく弾けないから、行きたくなくなる。多くの子どもが、中学生前後にやめているのかもしれない。バイエルを終えて、ソナチネを弾きはじめる頃だ。
しかし不思議なもので、そんな中途半端な習い方しかしなかったのに、大人になってから機会があればピアノに触りたいと思っていた。誰かの家に行って、そこにピアノがあれば弾かせてもらったし、弾きたい欲望がつのり、我慢しきれず近所の貸し練習場に行ったこともある。そしてアパート暮らしだった20代の半ば頃、アップライトの電気ピアノ(弦は張ってあるが普通より短いので、大きな音がしない。大きな音を出したいときは電源を入れる)を買った。暇があれば弾いていた。独習をしていた。あるときもっと上手くなりたい、と強く思い、先生を探し始めた。生意気にも、誰でもいいわけじゃない、と思っていた。
あるピアノ教育雑誌を見ていて、小学生の男の子が自分の受けているレッスンとその成果について語っているのを読んだ。細かいことは覚えていないが、何かピンとくるものがあり、自分もこの人に教えてほしいと思った。雑誌社に聞いたか何かして、住所を調べ、そのピアノ教師に手紙を書いた。作曲家でピアノ教師、リズム研究家の岡利次郎、それが岡先生との出会いだった。
手紙を出してしばらくして、、岡利次郎さんから電話がかかってきた。一度先生のお宅に行って、話をすることになった。杉並の岡先生の家は、木造の平屋で、道路に面して板張りのレッスン室があった。部屋の中央にグランドピアノが置かれ、壁際には本がたくさん並んでいた。レッスン室のピアノの音は、道行く人の耳に届いてたと思う。最初の訪問のとき、少し話をしたのち、何か弾くように言われ、ハイドンのピアノソナタの緩徐楽章を弾いた。その頃、自習していた曲で、譜面は簡単なのだが、ハイドンらしい正直で透明感のある美しい曲だった。
弾き終わると、「指が少し弱いようだけれど、音楽への問いかけが感じられてよかったですよ」と岡先生が言った。ずいぶん前のことだけれど、よく覚えている。
それで岡先生のもとで、ピアノのレッスンを受けることになった。家から電車やバスを乗り継いで一時間半くらいかかることもあり、二週間に一度の夜のレッスンになった。スタートはバイエルと岡先生自身が作曲、編集した入門のピアノ教則本と言われた。これは音大のピアノ科の生徒でも同じだ、とのことだった。つまり初めてピアノを弾くつもりで、レッスンに臨むということなのだろう。のちに会った同じ門下のピアノ科卒の元音大生は、バイエルを終えるまでが大変だった、と言っていた。
ベートーベンでもドビュッシーでもリストでも自在に弾く音大生が、バイエルで苦労するとはどういうことか。わたし自身のことで言えば、岡先生のところで手にした最大の財産は、ハーモニーとアウフタクトの感覚だった。それは未知のものと言ってもよかった。少なくとも明確に意識されたものとしては。どちらも「日本人」のからだや感覚には備わっていないものだ。あるいは、日本の文化環境の中には存在しないものだ。
子どもの頃ピアノを習っていたときは、まったく別のことに気を取られていた。教えている先生の方もそうだったのではないか。まず譜面をまちがわずに弾くこと、音高、音長、拍、テンポ、f(フォルテ)と楽譜にあれば強く弾き、p(ピアノ)とあれば小さな音で弾く、クレッシェンドはだんだん大きく、ディミヌエンドはしだいに小さく、というように。ほとんどそれが全てだった。「ここのメロディーはもっと歌って」くらいのことはあったかもしれないが。日本の子どものピアノ教育は、今でもあまり変わっていないかもしれない、と想像される。近所のシティホールで子どものピアノの発表会を覗いたことがあるが、だいたいそんな感じだった。
では譜面をまちがわずに弾く以外に何があるのか。表現力? それは、たとえば、「気持ちを込めて」弾けば、達成できるものなのか。日本の伝統音楽であれば、「気」を入れて弾くことが表現力につながるかもしれない。しかし西洋音楽はもっと構造的、構成的にできているので、気を込めただけでは表現に至らない。一度高度な楽譜を弾けるようになった者が、岡先生のレッスンではバイエルから始めなければならない理由はそこにある。
西洋音楽を遡っていくと、10世紀以前のグレゴリオ聖歌にたどりつくのかもしれないが、現代のピアノ音楽の原型となるものでいうと、おそらく18世紀のバッハあたりではないか。対位法があり、のちの和声音楽への発露となっている。ピアノの入門書であるバイエルも、この和声音楽が基本となっている。つまりハーモニーをもった音楽、バスがありその上にそれに沿ったメロディーが乗せられるスタイルの音楽だ。(つづく)
どうしようかと思ったが、カセットテープはどんどん劣化するので、とりあえず新しいMacかノートに取り込んでおこうと思った。それで過去のテープを屋根裏部屋から持ち出し、聴く羽目になった。古い写真というのは、誰もが少しはもっているものだと思うが、音の記録というのは(ヴィデオなど映像の記録はあるだろうけど)、案外ないものだ。
古い音の記録を聴いていていろいろ発見があり、また忘れていたことを思い出したりもした。テープに残っているピアノ演奏は、20代後半から40代にかけての頃、演奏会場やピアノのレッスン室で録音されたものだ。その約十年の間、師事していたのが岡利次郎さんである。
ピアノは小学生の頃習っていた。自分からというよりはやはり親の希望だったと思う。母親もピアノが弾けたので。中学生になると、東京から四国へ引っ越したということもあり、ピアノの練習に行かなくなった。その頃、興味を持ち始めた音楽はクラシックではなくロックだったし、ピアノというのは毎日の練習が必要なこともあって、面倒な相手だった。練習をさぼれば、先生の家に行ってもうまく弾けないから、行きたくなくなる。多くの子どもが、中学生前後にやめているのかもしれない。バイエルを終えて、ソナチネを弾きはじめる頃だ。
しかし不思議なもので、そんな中途半端な習い方しかしなかったのに、大人になってから機会があればピアノに触りたいと思っていた。誰かの家に行って、そこにピアノがあれば弾かせてもらったし、弾きたい欲望がつのり、我慢しきれず近所の貸し練習場に行ったこともある。そしてアパート暮らしだった20代の半ば頃、アップライトの電気ピアノ(弦は張ってあるが普通より短いので、大きな音がしない。大きな音を出したいときは電源を入れる)を買った。暇があれば弾いていた。独習をしていた。あるときもっと上手くなりたい、と強く思い、先生を探し始めた。生意気にも、誰でもいいわけじゃない、と思っていた。
あるピアノ教育雑誌を見ていて、小学生の男の子が自分の受けているレッスンとその成果について語っているのを読んだ。細かいことは覚えていないが、何かピンとくるものがあり、自分もこの人に教えてほしいと思った。雑誌社に聞いたか何かして、住所を調べ、そのピアノ教師に手紙を書いた。作曲家でピアノ教師、リズム研究家の岡利次郎、それが岡先生との出会いだった。
手紙を出してしばらくして、、岡利次郎さんから電話がかかってきた。一度先生のお宅に行って、話をすることになった。杉並の岡先生の家は、木造の平屋で、道路に面して板張りのレッスン室があった。部屋の中央にグランドピアノが置かれ、壁際には本がたくさん並んでいた。レッスン室のピアノの音は、道行く人の耳に届いてたと思う。最初の訪問のとき、少し話をしたのち、何か弾くように言われ、ハイドンのピアノソナタの緩徐楽章を弾いた。その頃、自習していた曲で、譜面は簡単なのだが、ハイドンらしい正直で透明感のある美しい曲だった。
弾き終わると、「指が少し弱いようだけれど、音楽への問いかけが感じられてよかったですよ」と岡先生が言った。ずいぶん前のことだけれど、よく覚えている。
それで岡先生のもとで、ピアノのレッスンを受けることになった。家から電車やバスを乗り継いで一時間半くらいかかることもあり、二週間に一度の夜のレッスンになった。スタートはバイエルと岡先生自身が作曲、編集した入門のピアノ教則本と言われた。これは音大のピアノ科の生徒でも同じだ、とのことだった。つまり初めてピアノを弾くつもりで、レッスンに臨むということなのだろう。のちに会った同じ門下のピアノ科卒の元音大生は、バイエルを終えるまでが大変だった、と言っていた。
ベートーベンでもドビュッシーでもリストでも自在に弾く音大生が、バイエルで苦労するとはどういうことか。わたし自身のことで言えば、岡先生のところで手にした最大の財産は、ハーモニーとアウフタクトの感覚だった。それは未知のものと言ってもよかった。少なくとも明確に意識されたものとしては。どちらも「日本人」のからだや感覚には備わっていないものだ。あるいは、日本の文化環境の中には存在しないものだ。
子どもの頃ピアノを習っていたときは、まったく別のことに気を取られていた。教えている先生の方もそうだったのではないか。まず譜面をまちがわずに弾くこと、音高、音長、拍、テンポ、f(フォルテ)と楽譜にあれば強く弾き、p(ピアノ)とあれば小さな音で弾く、クレッシェンドはだんだん大きく、ディミヌエンドはしだいに小さく、というように。ほとんどそれが全てだった。「ここのメロディーはもっと歌って」くらいのことはあったかもしれないが。日本の子どものピアノ教育は、今でもあまり変わっていないかもしれない、と想像される。近所のシティホールで子どものピアノの発表会を覗いたことがあるが、だいたいそんな感じだった。
では譜面をまちがわずに弾く以外に何があるのか。表現力? それは、たとえば、「気持ちを込めて」弾けば、達成できるものなのか。日本の伝統音楽であれば、「気」を入れて弾くことが表現力につながるかもしれない。しかし西洋音楽はもっと構造的、構成的にできているので、気を込めただけでは表現に至らない。一度高度な楽譜を弾けるようになった者が、岡先生のレッスンではバイエルから始めなければならない理由はそこにある。
西洋音楽を遡っていくと、10世紀以前のグレゴリオ聖歌にたどりつくのかもしれないが、現代のピアノ音楽の原型となるものでいうと、おそらく18世紀のバッハあたりではないか。対位法があり、のちの和声音楽への発露となっている。ピアノの入門書であるバイエルも、この和声音楽が基本となっている。つまりハーモニーをもった音楽、バスがありその上にそれに沿ったメロディーが乗せられるスタイルの音楽だ。(つづく)