音の記録、音の記憶。岡利次郎さんのこと(3)
岡先生から教わった和声感とアウフタクトは、大人になってから得た、音楽における貴重な財産だったが、それ以外にも、岡先生から学んだことは多い。岡利次郎さんが演奏家出身ではなく、作曲家であったことが、関係しているかもしれない。演奏家の弾くピアノと作曲家の弾くピアノは、かなり違いがあるように思う。非常にピアノの達者な高橋悠治さんのような人でも、演奏を聴くと作曲家的なエッセンスを感じる。林光さんも達者なピアノ弾きだったが、やはり作曲家の弾くピアノの面白さがあった。どちらも生の演奏を何回か聴いたことがある。あるいは奇異なピアノを弾くとされるグレン・グールドも作曲家だった。
何が違うのか、言葉で言うのは難しい。たぶん、楽曲に向かう姿勢とか態度がピアニストとは違うのではないか。ピアニストが音楽解釈と演奏訓練の割合が、3対7だとすれば、作曲家は7対3かもしれない。全くの私見だけれど。ある音楽をどう捉えるか、はもちろんピアニストにとっても重要だ。ただ作曲家の場合、自分も曲をつくっているわけで、他人の曲を演奏するときも、音楽の成り立ちに対する好奇心がピアニストの何倍か強い、ということは考えられる。
岡先生のピアノレッスンでは、曲の分析に関して、ハッとするような指摘や助言をたくさん受けた。「ここは減7になっているでしょう、、、」というような指摘や、こんな風に和声進行が行われている、というようなヒントをよくもらった。また表現や構成の面での助言も言葉豊かだった。あるフレーズのところで、「暗い小屋の中で小さな窓をみつけて、それを開けてみたら、光がワッと入ってきて、見れば外には緑の大草原が広がっていた、っていうような感じじゃないかな」というような例えをしてくれたりもした。また音の力学というか、あるフレーズでこうくれば(例えば小さくチョロチョロとした動き)、次にはこんなものが出てきてね(ドスドスと勇ましい動き)、そうかと思ったらさっきのフレーズの変形がまた現れる、というような、物理学的な運動要素を心理的な表現に置き換える、あるいはその逆を説明してくれる。
楽譜にフォルテとかクレッシェンドと書いてあると、音の強さの度合いにばかり気がいってしまいがちだが、本当に大事なのは響きの質や性質だったりする、ということも岡先生から学んだ。それは物理学的にも理にかなった音の運動となる。日本ではf(フォルテ)は強く、ff(フォルテッシモ)はもっと強く「音を出す」、のように言われているが、そうすると演奏者は、大きな音を出せばOKと考えてしまう。岡先生によれば、フォルテの意味は、一つには音の幅を広げること、響きを豊かに充実させ太く幅のある音を出すこと、それによって音量も上がり、強度も増す。ある楽譜の中のフォルテを、作曲者が意図したような豊かで強く鳴り響く音にするには、演奏者の楽譜理解力と聴力(音を聞き分ける感度)と指の強度が必要だ。「f」と見れば強く鍵盤を押して、あるいは叩いて、大きな音を出すのはただの運動だ。
子どものころのピアノレッスンでは、楽曲や楽譜の解析や解釈はしたことがなかった。音符が読めるようになること、それを弾ける指と手をもつこと、そのための練習ばかりしていた気がする。子どもでも、自分の弾く楽曲の簡単な説明を受ければ、もっと興味をもって深く演奏することができるのではないか。音だけ出している演奏は、弾いている子どもにとって退屈だ。「気分をだして」あるいは「気を入れて」弾いたとしても、ベースに音楽解釈がないと独りよがりの演奏になってしまう可能性もある。この弾き方だと、何回か弾くうちに飽きてしまう。弾くたびに発見がある、という風になるには、やはり楽曲をどう理解するかが関わってくると思う。
岡先生はピアノの演奏のことを「再創造」という言葉で表していた。作曲家の「創造」したものを、つまり楽譜として残されたものを、弾く人が命を吹き込むことによって生き返らせる。そのときに新たな創造が起き、その行為は再創造となる。演劇でもダンスでもオリジナルをつくる人、作家や振付家がいて、俳優やダンサーはそれを再創造している。料理のレシピをみて、自分の家族のためにそれを調理するのも、再創造の一つか。ある言語で書かれた小説を、違う言語に置き換える翻訳も、再創造の一種かもしれない。料理と同じように、変換後の言語を母語とする人々の顔を想像しながら、「食べやすい」ものにアレンジすることも再創造の一環だ。いずれのメディアにおいても、オリジナルの創造物に命を吹き込むための、最初の解釈が重要で、それが再創造のベースになる。
最後に岡先生のレッスンの中で、効果を上げていた録音について書こう。岡先生のところでは、生徒が成果を発表する演奏会は、三、四年に一回と少なめだった(通常一年に一回くらいやっているのではないか)。準備に半年はかけるので、毎年はやっていられないこともあっただろう。それくらい演奏会は、ある意味練習の成果が厳しく問われる場だった。演奏会場も駒場エミナース小ホールなど、一定レベルの楽器があり、ホールの環境もいい選ばれた場所でやっていた(ちなみにわたしは、駒場エミナースの舞台で生まれて初めて、スタインウェイのピアノに触れた。リハーサルのとき鍵盤に触れて、その柔らかなタッチと音の響きに感動したことを覚えている。駒場にあったのは、中レベルのコンサートグランドだと聞かされてもなお、自分が触ったことのある中では一番のピアノだった)。演奏会が少ない代わり、一、二年に一回、レッスン室で録音をやっていた。長期(三、四ヶ月)練習した曲(ときに一つの曲集)を、一発録りで録音する。最初の頃はオープンリールの録音機だったと思う。
聴衆のいない、先生と自分だけの場での録音だが、緊張度は高かった。演奏会場で弾く半分くらいは緊張した。楽曲を仕上げることの大切さとともに、ある緊張感の中で演奏する練習としても意味があったのだろう。普段の練習では100%仕上げるところまでは、なかなか行かないもの。しかし録音するとなれば、最低でも7、8割の完成度は必要になってくる。6割程度でよしとするか、8、9割まで仕上げるかでは、大きな違いが生まれる。小さな子でも、録音のときは曲を8割くらいまでは仕上げなければならない。「仕上げる」ということがどういうことか、学ぶチャンスでもある。それが100%近い完成度を要求される演奏会の練習でも生きてくる。
最初のところで書いた、屋根裏にしまってあった録音テープの半分は、このようなわけでレッスン室で録ったものだ。ただの音の記録ではあるが、録るにいたる経緯やその意味も考えると、長い歳月と自分の経験したこと、岡先生から教えを受けたことなど多くの、一言では言えないものが詰まっていると感じる。