想田監督×平田オリザの「演劇1」「演劇2」を見て
想田和宏さんの撮った全編6時間におよぶドキュメンタリー映画を見た(日本映画専門チャンネル)。想田さんの映画は初めてだったが、平田オリザさんは著書や脚本を読んで知っていた。最初に読んだ本は、「ニッポンには対話がない」だったと思う。そのあとで、平田さんがまだ16歳の少年だった頃の旅行記「十六歳のオリザの未だかつてためしのない勇気が到達した最後の点と、到達しえた極限とを明らかにして、上々の首尾にいたった世界一周自転車旅行の冒険をしるす本」(17歳で出版)を読み、さらなる衝撃を受けた。なんともスゴイ子がいるもんだ、と。
平田オリザは劇作家で演出家、また小劇場「こまばアゴラ劇場」の経営者であり、劇団「青年団」(この名称が今どきなんだかスゴイ)の主宰者でもある。平田さんのスゴさは(わたしが思うに)、他の誰とも似ていないこと、社会をよく知っているが、時流に擦り寄ることはなく、いったいこの人はどこから出てきたんだ、と思えるようなきわめて強い独自性や独創性のある活動をしていることだ。名前からして「青年団」とは。裏返しのウケ狙いではなく、たぶんストレートな命名だと思う。いかにも前衛の、先を行っている、時流に乗ったカッコイイ感のある劇団のようには見えない。しかしやっていることは、誰もやったことのないことであり、常識を打ち破ることであり、そのやり方を通すことで海外でも広く人気を得てきた、真の実力者なのだ。
その平田オリザの演劇の秘密、いかに作品をつくっているのか、を観察記録したのが映画「演劇1」「演劇2」だ。想田監督自身が発案し「観察映画」と命名した、そこで起きていることをそのまま延々撮っていく手法のドキュメンタリーで、この映画はつくられている。通常ドキュメンタリー映画と言っても、台本があり、それに沿って撮影は進められるものらしい。想田監督はそこに疑問を持ち、台本なしで、定めた対象に迫り、自分でカメラをまわして、今起きていることを写し取る手法を選んだ。
通常のドキュメンタリー映画であれば、要所要所を編集して短くまとめ、余分と思われる部分はカットして、スッキリしたものにしていると思う。この「演劇1」「演劇2」でも、もちろんそれをしてはいると思うが、その基本となるレンジ(幅、範囲)が長大なのだ。だからあるシーンを見せる場合も、サッとある程度わかる範囲で見せるのではなく、延々見る方があきるほど映し出す。要約された感がない。俳優たちが一つのシーンを稽古しているとしよう。オリザさんが途中で「あ、そこの『⚪︎⚪︎⚪︎』のところ、前のセリフとの間を1.5秒くらいあけて」と言えば、最初からそのセリフのところをやり直す。またオリザさんが別の箇所を指摘する。また最初のからそのセリフのところをやり直す。これを何度も繰り返す。その全てを映画は映し出す。稽古風景だけでなく、多くの(重要な)場面を、このやり方で撮っているので、映画は6時間近くにおよぶ長いものになったのだろうと想像される。
しかし、この撮り方は平田オリザさんの演劇の手法を理解するのに、欠かせないものではないか、と思わされるところがある。平田さんのつくる作品は、平田さん自身が脚本を書いている。「ソウル市民」という作品の脚本を劇団から購入して読んだことがある。それを読んで、まず第一の感想は、これがよく芝居になるな、というものだった。
「ソウル市民」は、1909年のソウル(当時は漢城)を舞台に、そこに住む日本人一家の一日を描いた作品。1909年は日本が韓国を植民地化する一年前に当たる。登場人物は中心となる篠崎家の人々に加え、書生やら女中やら出入りする人々やら多数。交わされる会話は、多くが日常の普通のやりとり。そこにいる人々のそれぞれのセリフや行動に一見特異なものは見当たらない。しかし見ている者は、うっすらとした人間の(この場合当時の日本人の)常識化された差別意識を感じとることができる。ごく当たり前の普通の人間が、普通に暮らしている風景を切り取って見せているだけなのに、劇を見ている者が、何か落ち着かない気分にさせられるものを放っている。それは非常に微妙なもので、見る人の知性や感性によって、受けとめ方はかなり変わるのではないか、と思わされる。たとえば韓国人が見た場合(実際に韓国でも上演されている)、日本人なら「うっすら」としか感じられない差別意識は、もっと強い印象や反発として受けとめられるのではないか。
平田さんの芝居は、脚本を読んでいるだけでもわかるが、演劇的なセリフというのはなく、すべてその辺の人が日常話しているような言葉のみで構成されている。映画の中の練習風景を見ていると、そのあまりな普通さに、役者たちが稽古のあいまにおしゃべりしているのかと勘違いしそうだ。役者たちのしゃべり具合も、普通にその辺の人が話しているそのままの話し方だ。脚本を読んでいると、同時進行で複数の人間が別々に話している場面がいくつもあり、その部分のテキストには網がかかっている。稽古風景や上演場面を見ても、会話やセリフが重なる箇所はあり、それも通常の演劇とは異なるようだ。舞台にお尻を向けない、というルールもないように見えた。これまで気づかなかったが、どんなに自然に見えても、他の演劇では、演劇でしか起こらないような方法論ですべて統制され、それを見せられているのだ。
平田さんの演技指導を見ていて、楽譜に沿って演奏するクァルテットや室内楽のようだと思った。「はい、⚪︎⚪︎さん、⚪︎⚪︎⚪︎と言う前、少し間をとって」「そこのセリフは声を高く」というような秒刻みの、具体的で細かい、声のタイミングや手足の出し方の指示がほとんどだ。人物描写や心理への言及、感情の込め方などの指摘、指導はない。問題は心ではなく、声や手や足にある、ということなのだろう。
近年、平田さんが大阪大学とプロジェクトを組んで試みているロボット演劇は、上に書いたような秒単位のセリフのタイミングや手足の動かし方、という指導法がそのまま生きている。ロボットのプログラミングの際、このような指示は的を得ていて、効果の高いものだと想像できる。0.5秒セリフを遅らせる、顔の角度を15度上げる、といったような指示で、ロボットの演技は「上達」する。映画の中でも、そのロボット演劇の稽古場面は出てくる。青年団はアンドロイド版『変身』(カフカ原作)でヨーロッパツアーも行なっている。
もともと青年団は海外での公演が多く、アジア、ヨーロッパ、アメリカなど多くの国をまわり、かなり好評を博しているようである。海外公演の場面も、映画の中に出てきた。面白かったのは、装置担当の人の話。「ヨーロッパでは劇場は創作の場なので、装置の作り込みも現場する。劇場は創作の場でもある、という思想がはっきり現れている。日本では劇場はつくったものを見せる場でしかないので、装置はできたものを運び込むのが主流」とのこと。劇場のことを日本では「ハコ」と言ったりするが、ものづくりの場ではない、という思想の一端が現れている言葉とも受けとれる。
平田さんは芝居を上演したり、脚本を書くだけでなく、日本各地で演劇のワークショップをしたり、学校に行って国語の授業をしたりしている。演劇というものを、「上演のためのイベント」とだけ捉えているのではないようだ。演劇を体験することで、もっと人間の生活を豊かにしたり、生きる術を学んだりできると考えているらしい。