元号とわたし:または安保法案
元号、「昭和」とか「平成」など(のちに天皇の名前となる名称)で数え、呼ぶ年号のことに、わたしは否定的なこだわりをもってきた。その理由の一番大きなものは、面倒だから、というものだ。区役所に行って書類を書いたり、銀行や郵便局で送金や受け取りをするとき、年月日のところに「平成 年」とあり、空欄に年度入れるわけだがそれがパッとわからない。いま平成でいうと何年に当たるのかが計算しないとわからないのだ。また昭和何年に創立、などと言われたときに、何年前のことなのかがすぐに思い浮かばない。足し算、引き算をしないと出てこない。それでイライラする。
日本の社会内では西暦を補足的につかいながらも、元号を主としてつかっていると思われ、会社勤めの人などは、書類を書く際、日常、年度は元号で書くことに慣れているかもしれない。想像だが、外資系の会社では、内外の事務処理をする上で、西暦が主になっているのではないか。一般の人の日常の感覚がよりどちらに依存しているか、これも想像でしかないが、おそらく時間感覚としては、いまは西暦で年度を数えて生きている人の方が多いのではないかと思う。
インターネットの世界では、電子メディアの新聞各紙、ブログなどの日付は西暦で表記されている。記事を書く人や投稿する人が日付をつけるのではなく、投稿時に自動的につくものが西暦の年度、日付(時間も)なのだ。これはコンピューターの処理として、元号より合理的だからだろう。元号の場合、それが変わるたびに、日付のシステムを替えなければならない。
さてこの元号、自分がつかい慣れないからイライラするということの他に、あまりつかいたくない気分もあった。なぜなのか、あまり考えたことがなかったが、理由の一端が最近わかった(ように思い腑に落ちた)。
安保法制に関する記事を(ネット新聞の)ハフィントンポスト日本語版で読んでいたときのことだ。2015年6月15日付の記事で、安倍政権が成立させようとしている安保法案について、衆院憲法審査会で憲法違反であると述べた長谷部恭男・早稲田大学教授と、小林節・慶応大学名誉教授の二人が、日本外国特派員協会で会見したときの模様が記されていた。その中にあった外国人記者からの質問に次のようなものがあった。「新しい憲法解釈を支持する著名学者は、日本会議にみんな属している。影響力をどう見ているか」。日本会議?
思い出した。そういう民間組織があり、日本の政界に大きな影響を与えている、というか自民党議員の大多数が「日本会議」に属している、という事実を以前に知り、びっくりしたことがあったのだ。役員には安倍晋三、麻生太郎、下村博文といったなるほどという面々が名を連ねている。(この日本会議については、日本のメディアではほとんど扱われたことがないので、大多数の国民はその存在を知らない)
日本会議の活動には、憲法の改正や有事法制の整備、学校の教科書から「自虐的」「反国家的」表現(慰安婦問題など)を取り除き、愛国心を育てることに力を入れることがある。国旗国歌法の制定もその一つである。その日本会議について、ハフィントンポストを読んだあとで、改めて調べていて気づいたことがあった。日本会議の成り立ちについて、ウィキペディアに次のように書いてあった。
1997年5月30日に「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」とが統合して組織された。
この「日本を守る国民会議」とはなんなのか調べてみると、その元は「元号法制化実現国民会議」であり、その組織がのちに旧軍人関係者や保守系文化人などとともに、現在の日本会議を創立したらしい。元号法制化は、「元号法制化実現国民会議」がつくられた翌年、閣議決定され、国会で元号法が制定された(1979年)。いかにこの組織が政界で力をもつかがわかる一例だと感じた。元号は、戦後の日本国憲法下では法制化されていなかった。1979年の時点で昭和天皇が高齢化していたこともあり、死んだときに議論が起きないよう法制化しておきたい、ということだったようだ。この旧組織も、現在の日本会議も、戦前の日本の価値観を重視し、そこに戻りたいという意思があるように見える。安倍首相の言う「戦後レジームからの脱却」というのも、この考えにぴたりと重なる。戦後レジームというのは、戦後の憲法や教育基本法に代表される新体制のことだ。
安倍政権下で教育基本法はすでに改定された(2006年)。そしていま、安保法制が変えられようとしている。わたしが思うには、元号法の制定は、一見小さなことのようだが、日本会議がやろうとしている法制化の流れの一環であり、もっとも早く実現された法案ということになるのではないか。元号法制定(1979年)、国旗国歌法の制定(1999年)、教育基本法改定(2006年)ときて、いま安保法案(憲法改正が叶わなかったため)の改定と見てくると、その流れははっきりとした一本の道を描いているように感じられる。
ところで先にあげたハフィントンポスト日本語版の、外国人記者からの質問に小林節・慶応大学名誉教授は以下のように答えていた。
“日本会議には知り合いがたくさんいますが、彼らに共通する思いは、第2次大戦で負けたことが受け入れがたい。その前の日本に戻したい。彼らの憲法改正は明治憲法と同じですし、今回も、明治憲法下の5大軍事大国となって世界に進軍したい。そういう思いを共有する人々が集まっていて、自民党の中に広く根を張っていて、よく見ると明治憲法下でエスタブリッシュだった人の子孫が多い。”
「第2次大戦で負けたことが受け入れがたい」人々。そういった人々は、最近見た映画「日本のいちばん長い日」(1967年の旧版の方)にもたくさん登場していた。映画を見ていて、この人々の心情は(生死にかかわらず)いまも生きているし、子供や孫にも受け継がれているだろう、と思った。つまり少なくはないボリュームの人々が、戦前の日本社会をいまも夢見ているのかもしれない。信じられないようにも思うが、安倍さんが首相になっていることや、日本会議という右派団体が存在して政界に影響を与えているのは、その証明だろう。
元号がいまも日本社会で広くつかわれている理由は、法制化により企業や団体が使用を強制されているから、というより、おそらく役所への提出書類の基本が元号になっているからではないかと思う。日本のあらゆる公的主要機関への提出書類の基本が元号だから、企業もそれに合わせているのではないか。その意味で、元号法の制定は重要な意味をもっていたと思われる。
わたしの元号に対する「なんとなくいやな感じ」の背景には、戦前の価値観への復帰という志向が、透けて見えているからではないかと思う。
日本の社会内では西暦を補足的につかいながらも、元号を主としてつかっていると思われ、会社勤めの人などは、書類を書く際、日常、年度は元号で書くことに慣れているかもしれない。想像だが、外資系の会社では、内外の事務処理をする上で、西暦が主になっているのではないか。一般の人の日常の感覚がよりどちらに依存しているか、これも想像でしかないが、おそらく時間感覚としては、いまは西暦で年度を数えて生きている人の方が多いのではないかと思う。
インターネットの世界では、電子メディアの新聞各紙、ブログなどの日付は西暦で表記されている。記事を書く人や投稿する人が日付をつけるのではなく、投稿時に自動的につくものが西暦の年度、日付(時間も)なのだ。これはコンピューターの処理として、元号より合理的だからだろう。元号の場合、それが変わるたびに、日付のシステムを替えなければならない。
さてこの元号、自分がつかい慣れないからイライラするということの他に、あまりつかいたくない気分もあった。なぜなのか、あまり考えたことがなかったが、理由の一端が最近わかった(ように思い腑に落ちた)。
安保法制に関する記事を(ネット新聞の)ハフィントンポスト日本語版で読んでいたときのことだ。2015年6月15日付の記事で、安倍政権が成立させようとしている安保法案について、衆院憲法審査会で憲法違反であると述べた長谷部恭男・早稲田大学教授と、小林節・慶応大学名誉教授の二人が、日本外国特派員協会で会見したときの模様が記されていた。その中にあった外国人記者からの質問に次のようなものがあった。「新しい憲法解釈を支持する著名学者は、日本会議にみんな属している。影響力をどう見ているか」。日本会議?
思い出した。そういう民間組織があり、日本の政界に大きな影響を与えている、というか自民党議員の大多数が「日本会議」に属している、という事実を以前に知り、びっくりしたことがあったのだ。役員には安倍晋三、麻生太郎、下村博文といったなるほどという面々が名を連ねている。(この日本会議については、日本のメディアではほとんど扱われたことがないので、大多数の国民はその存在を知らない)
日本会議の活動には、憲法の改正や有事法制の整備、学校の教科書から「自虐的」「反国家的」表現(慰安婦問題など)を取り除き、愛国心を育てることに力を入れることがある。国旗国歌法の制定もその一つである。その日本会議について、ハフィントンポストを読んだあとで、改めて調べていて気づいたことがあった。日本会議の成り立ちについて、ウィキペディアに次のように書いてあった。
1997年5月30日に「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」とが統合して組織された。
この「日本を守る国民会議」とはなんなのか調べてみると、その元は「元号法制化実現国民会議」であり、その組織がのちに旧軍人関係者や保守系文化人などとともに、現在の日本会議を創立したらしい。元号法制化は、「元号法制化実現国民会議」がつくられた翌年、閣議決定され、国会で元号法が制定された(1979年)。いかにこの組織が政界で力をもつかがわかる一例だと感じた。元号は、戦後の日本国憲法下では法制化されていなかった。1979年の時点で昭和天皇が高齢化していたこともあり、死んだときに議論が起きないよう法制化しておきたい、ということだったようだ。この旧組織も、現在の日本会議も、戦前の日本の価値観を重視し、そこに戻りたいという意思があるように見える。安倍首相の言う「戦後レジームからの脱却」というのも、この考えにぴたりと重なる。戦後レジームというのは、戦後の憲法や教育基本法に代表される新体制のことだ。
安倍政権下で教育基本法はすでに改定された(2006年)。そしていま、安保法制が変えられようとしている。わたしが思うには、元号法の制定は、一見小さなことのようだが、日本会議がやろうとしている法制化の流れの一環であり、もっとも早く実現された法案ということになるのではないか。元号法制定(1979年)、国旗国歌法の制定(1999年)、教育基本法改定(2006年)ときて、いま安保法案(憲法改正が叶わなかったため)の改定と見てくると、その流れははっきりとした一本の道を描いているように感じられる。
ところで先にあげたハフィントンポスト日本語版の、外国人記者からの質問に小林節・慶応大学名誉教授は以下のように答えていた。
“日本会議には知り合いがたくさんいますが、彼らに共通する思いは、第2次大戦で負けたことが受け入れがたい。その前の日本に戻したい。彼らの憲法改正は明治憲法と同じですし、今回も、明治憲法下の5大軍事大国となって世界に進軍したい。そういう思いを共有する人々が集まっていて、自民党の中に広く根を張っていて、よく見ると明治憲法下でエスタブリッシュだった人の子孫が多い。”
「第2次大戦で負けたことが受け入れがたい」人々。そういった人々は、最近見た映画「日本のいちばん長い日」(1967年の旧版の方)にもたくさん登場していた。映画を見ていて、この人々の心情は(生死にかかわらず)いまも生きているし、子供や孫にも受け継がれているだろう、と思った。つまり少なくはないボリュームの人々が、戦前の日本社会をいまも夢見ているのかもしれない。信じられないようにも思うが、安倍さんが首相になっていることや、日本会議という右派団体が存在して政界に影響を与えているのは、その証明だろう。
元号がいまも日本社会で広くつかわれている理由は、法制化により企業や団体が使用を強制されているから、というより、おそらく役所への提出書類の基本が元号になっているからではないかと思う。日本のあらゆる公的主要機関への提出書類の基本が元号だから、企業もそれに合わせているのではないか。その意味で、元号法の制定は重要な意味をもっていたと思われる。
わたしの元号に対する「なんとなくいやな感じ」の背景には、戦前の価値観への復帰という志向が、透けて見えているからではないかと思う。