パリのテロ:なぜニュースは間違いを犯したのか
パリで11月13日に起きた多発テロ事件。わたしは日本時間14日の午前中、毎日新聞のデジタル版からの速報メールで知った。「フランステロ:パリのレストランなどで銃撃 120人死亡」と題した記事で、サイトではサンドニのサッカー場の写真とともに、事件のあらましが書かれていた。写真のキャプションは、「付近で爆発のあった競技場。観客はピッチに下りて避難に向かった=パリ近郊のサンドニで、AP」。記事では、フランスとドイツの親善試合が行われている最中に爆発音があった、となっていたので、その試合はどうなったのか気になって調べてみた。
検索で「サッカー親善試合、フランス、ドイツ」で引くとすぐに結果が出てきた。フランス2ードイツ0。なんだ、試合は終わりまでやったんだ。新聞を見た印象では、試合は中断され、スタジアムの観客は避難のためピッチに降りて逃げた、という感じだった。「試合中断」とは書かれていなかったが。サッカーの試合結果とともに、試合のハイライト動画もあったので、どんな様子だったのか見てみた。2分くらいの縮小版と7分くらいのロングヴァージョンがあり、とりあえず短い方を見た(あとで長い方も見た)。試合は普通に進んでいるように見え、2回の得点シーンを中心に、通常のハイライト映像となんら変わりなかった。ピッチに降りて逃げ惑う人の姿はない。
サッカーの試合中にファンがスタンドから飛び降りて、ピッチを駆けまわることはたまにある。そうした場合、ピッチのそばで待機している警備員が、すぐに駆けつけて不届き者を捕まえる。しかしこの日の試合では、そんな様子もなく、ハイライトを見ている限りでは、何かが起こったようには見えなかった。その後、別の動画で、「爆発音がしたときの選手の反応」を見たが、ボールを保持していた選手は音に反応して一瞬ビクッとしたが、すぐに試合に戻った。サッカー場では爆竹が鳴らされたりすることはよくあるので、そのように解釈したのかもしれない。
それから少しして、毎日新聞の追加記事「パリ同時多発テロ:『これは大虐殺』 やまぬ銃声、悲鳴」と題された記事を読んだ。サイトでは、サッカー場のピッチを走る人の写真とともに、記事が掲載されていた。キャプションは「険しい表情で観客席から避難する人たち」(同じくAP)。その記事には、「会場周辺で数度にわたり爆音がとどろくと、多くの観客がピッチに飛び降りた。恐怖にかられた人々は避難指示の放送がかかる前に、幾つかの出口に殺到。会場は大混乱した。」とあった。この「ピッチを逃げ惑う観客」の写真は、同じアングルのほぼ同一もの(大きく映っている人物も同じ。ピッチに選手の姿はない)が、その日の朝日新聞夕刊にも掲載された。そちらのキャプションは「サッカーの国際親善試合が行われていたスタジアム周辺での爆発音を聞き、ピッチに逃げる観客」。
写真を見て、キャプションと記事を読んだら、何万人も入ったスタジアムで、大変な混乱が起きたことを想像するのが自然だろう。しかし実際はどうもこうではなかったようだ。サッカー関連の記事によれば、試合中に爆発音がしたが試合は続行され、試合が終了した時点で、安全が確認できるまで場内にとどまるよう観客に指示が出たようだった。30分程度、観客は外に出るのを待ったらしい。その記事には大きな混乱があったとは書いてなかった。
サッカーの試合の動画と合わせて考えると、どうもそちらの方が事実に近いのではないか、と感じた。少なくとも、試合中に爆発音を聞いて、多くの観客がピッチに降りて走りまわった、という事実はなさそうだ。毎日新聞、朝日新聞が使用していたAPによる写真は、試合後にピッチが開放され、観客が場内で待機していたときのものと考えられる。
朝日、毎日、どちらもAPからの第一報をそのまま鵜呑みにして載せたのだろうか。毎日のデジタル版では、現在もそのままの記事と写真が掲載され、訂正は特にない。「パリでテロ」のニュースが入った途端、日本の新聞社はどこも全社をあげて「大混乱のパニック」に陥っていたのかもしれない。たとえスポーツ部の記者が「試合は最後までやり、ジルーとジニャックのゴールでフランスが勝ちました」と言ったとしても、聞く耳もたずだったのかもしれない。一般人であるわたしが、試合の経過に興味をもち調べたら、最後まで試合が行われていたことはすぐに確認できた。事実確認が重要な仕事である(はずの)新聞記者であればなおのこと、赤子の手をひねるように容易いことだ。
報道とはいったい何なんだろう、と考えさせられた。単なる稚拙な誤報だったのだろうか。それとも「扇動」に近い意図されたものがあったのだろうか。先進国フランス、花の都パリがイスラム過激派に襲撃された、傷つけられた!!! 許しがたい大虐殺!!! 先進国はみな手をつなぎ連帯してテロに立ち向かおう、絶対に許してはいけない!!! ただちに制裁だ!!! という強い思いのために、どれだけ酷いことが、いかに衝撃的なことが起きたかを写真で見せつけなければならない、だからあの写真をあのキャプション付きで(たとえ事実とズレがあっても)載せなければ、ということだったのだろうか、と勘ぐりたくなる。
戦争をめぐる新聞記事などに誤報や扇動が含まれることはみんな過去の事例では知っている。しかしこれは現在進行中の世界に影響を与える出来事だ。誤報や扇動があったとしたら、(たとえ小さな誤差であったとしても)衝撃的なことに思える。
わたしが最近ときどき読んでいるMuftahという中東・北アフリカ関連の英語ニュースサイトでは、「中東もパリのテロを追悼している」というタイトルの記事を掲載していた。ヴァルキアニという記者は、その記事でこう書いていた。「同じ13日にバグダッドで、1日前にベイルートで、同じような恐ろしいテロが起きたことに対して、西洋社会は目立った関心を示さなかったとしても、中東の人々はパリのテロを厳しく非難し、フランスの人に哀悼の意を表しています」 そしてバーレーン、エジプト、ヨルダン、クゥエート、イランなどの国々からの追悼の言葉を紹介していた。
世界はこのような不均衡の中に成立しているのだ。なぜフランスの人々の命は重く、中東の人々の命は軽いのか。これは世界がずっと変わらぬ価値観のままであることを示している。こういった意識の中で、常識の中で、ある者は酷い目にあっていても見向きもされず、ある者は世界中から悲しまれ、同情され、哀悼され、フィイスブックのプロファイル画像が三色旗に染まるのだ。ある中東の人は、ツイッターで「プロファイル画像を変えたいけれど、どの国旗を選べばいいかしら?」とたくさんの国旗を並べて皮肉っていた。
日本の新聞社が、「パリで酷いことが起きたこと」を「もっとリアルに」伝えたいために、事実ではない説明で写真を大きく掲載していたとしたら、それこそが世界の不均衡をさらに促進させる間違った姿勢であると糾弾されるべきだ。そしてそれに同調し共感する「ふつうの」「良き」人々の不均衡な意識も、中東やムスリムの人々をいらだたせ、今の世界を不安なものに陥れていく要因となるはずだ。
*パリの事件に関して、参考になったニュースサイトを三つ紹介します。
1.Newsweek 日本版:2015.11.16 パリとシリアとイラクとベイルートの死者を悼む(酒井啓子)
2.SYNODOS:2015.11.24「中東のパリ」で何が起きているのか――2015年11月12日のベイルートのテロ事件を考える(末近浩太)
3.Muftah:2015.11.17 The Middle East Also Mourned with Paris After the Attacks(Adrienne Mahsa Varkiani)
検索で「サッカー親善試合、フランス、ドイツ」で引くとすぐに結果が出てきた。フランス2ードイツ0。なんだ、試合は終わりまでやったんだ。新聞を見た印象では、試合は中断され、スタジアムの観客は避難のためピッチに降りて逃げた、という感じだった。「試合中断」とは書かれていなかったが。サッカーの試合結果とともに、試合のハイライト動画もあったので、どんな様子だったのか見てみた。2分くらいの縮小版と7分くらいのロングヴァージョンがあり、とりあえず短い方を見た(あとで長い方も見た)。試合は普通に進んでいるように見え、2回の得点シーンを中心に、通常のハイライト映像となんら変わりなかった。ピッチに降りて逃げ惑う人の姿はない。
サッカーの試合中にファンがスタンドから飛び降りて、ピッチを駆けまわることはたまにある。そうした場合、ピッチのそばで待機している警備員が、すぐに駆けつけて不届き者を捕まえる。しかしこの日の試合では、そんな様子もなく、ハイライトを見ている限りでは、何かが起こったようには見えなかった。その後、別の動画で、「爆発音がしたときの選手の反応」を見たが、ボールを保持していた選手は音に反応して一瞬ビクッとしたが、すぐに試合に戻った。サッカー場では爆竹が鳴らされたりすることはよくあるので、そのように解釈したのかもしれない。
それから少しして、毎日新聞の追加記事「パリ同時多発テロ:『これは大虐殺』 やまぬ銃声、悲鳴」と題された記事を読んだ。サイトでは、サッカー場のピッチを走る人の写真とともに、記事が掲載されていた。キャプションは「険しい表情で観客席から避難する人たち」(同じくAP)。その記事には、「会場周辺で数度にわたり爆音がとどろくと、多くの観客がピッチに飛び降りた。恐怖にかられた人々は避難指示の放送がかかる前に、幾つかの出口に殺到。会場は大混乱した。」とあった。この「ピッチを逃げ惑う観客」の写真は、同じアングルのほぼ同一もの(大きく映っている人物も同じ。ピッチに選手の姿はない)が、その日の朝日新聞夕刊にも掲載された。そちらのキャプションは「サッカーの国際親善試合が行われていたスタジアム周辺での爆発音を聞き、ピッチに逃げる観客」。
写真を見て、キャプションと記事を読んだら、何万人も入ったスタジアムで、大変な混乱が起きたことを想像するのが自然だろう。しかし実際はどうもこうではなかったようだ。サッカー関連の記事によれば、試合中に爆発音がしたが試合は続行され、試合が終了した時点で、安全が確認できるまで場内にとどまるよう観客に指示が出たようだった。30分程度、観客は外に出るのを待ったらしい。その記事には大きな混乱があったとは書いてなかった。
サッカーの試合の動画と合わせて考えると、どうもそちらの方が事実に近いのではないか、と感じた。少なくとも、試合中に爆発音を聞いて、多くの観客がピッチに降りて走りまわった、という事実はなさそうだ。毎日新聞、朝日新聞が使用していたAPによる写真は、試合後にピッチが開放され、観客が場内で待機していたときのものと考えられる。
朝日、毎日、どちらもAPからの第一報をそのまま鵜呑みにして載せたのだろうか。毎日のデジタル版では、現在もそのままの記事と写真が掲載され、訂正は特にない。「パリでテロ」のニュースが入った途端、日本の新聞社はどこも全社をあげて「大混乱のパニック」に陥っていたのかもしれない。たとえスポーツ部の記者が「試合は最後までやり、ジルーとジニャックのゴールでフランスが勝ちました」と言ったとしても、聞く耳もたずだったのかもしれない。一般人であるわたしが、試合の経過に興味をもち調べたら、最後まで試合が行われていたことはすぐに確認できた。事実確認が重要な仕事である(はずの)新聞記者であればなおのこと、赤子の手をひねるように容易いことだ。
報道とはいったい何なんだろう、と考えさせられた。単なる稚拙な誤報だったのだろうか。それとも「扇動」に近い意図されたものがあったのだろうか。先進国フランス、花の都パリがイスラム過激派に襲撃された、傷つけられた!!! 許しがたい大虐殺!!! 先進国はみな手をつなぎ連帯してテロに立ち向かおう、絶対に許してはいけない!!! ただちに制裁だ!!! という強い思いのために、どれだけ酷いことが、いかに衝撃的なことが起きたかを写真で見せつけなければならない、だからあの写真をあのキャプション付きで(たとえ事実とズレがあっても)載せなければ、ということだったのだろうか、と勘ぐりたくなる。
戦争をめぐる新聞記事などに誤報や扇動が含まれることはみんな過去の事例では知っている。しかしこれは現在進行中の世界に影響を与える出来事だ。誤報や扇動があったとしたら、(たとえ小さな誤差であったとしても)衝撃的なことに思える。
わたしが最近ときどき読んでいるMuftahという中東・北アフリカ関連の英語ニュースサイトでは、「中東もパリのテロを追悼している」というタイトルの記事を掲載していた。ヴァルキアニという記者は、その記事でこう書いていた。「同じ13日にバグダッドで、1日前にベイルートで、同じような恐ろしいテロが起きたことに対して、西洋社会は目立った関心を示さなかったとしても、中東の人々はパリのテロを厳しく非難し、フランスの人に哀悼の意を表しています」 そしてバーレーン、エジプト、ヨルダン、クゥエート、イランなどの国々からの追悼の言葉を紹介していた。
世界はこのような不均衡の中に成立しているのだ。なぜフランスの人々の命は重く、中東の人々の命は軽いのか。これは世界がずっと変わらぬ価値観のままであることを示している。こういった意識の中で、常識の中で、ある者は酷い目にあっていても見向きもされず、ある者は世界中から悲しまれ、同情され、哀悼され、フィイスブックのプロファイル画像が三色旗に染まるのだ。ある中東の人は、ツイッターで「プロファイル画像を変えたいけれど、どの国旗を選べばいいかしら?」とたくさんの国旗を並べて皮肉っていた。
日本の新聞社が、「パリで酷いことが起きたこと」を「もっとリアルに」伝えたいために、事実ではない説明で写真を大きく掲載していたとしたら、それこそが世界の不均衡をさらに促進させる間違った姿勢であると糾弾されるべきだ。そしてそれに同調し共感する「ふつうの」「良き」人々の不均衡な意識も、中東やムスリムの人々をいらだたせ、今の世界を不安なものに陥れていく要因となるはずだ。
*パリの事件に関して、参考になったニュースサイトを三つ紹介します。
1.Newsweek 日本版:2015.11.16 パリとシリアとイラクとベイルートの死者を悼む(酒井啓子)
2.SYNODOS:2015.11.24「中東のパリ」で何が起きているのか――2015年11月12日のベイルートのテロ事件を考える(末近浩太)
3.Muftah:2015.11.17 The Middle East Also Mourned with Paris After the Attacks(Adrienne Mahsa Varkiani)