20151228

旧エンブレム案に関する審査委員からの告発

10日前の12月18日、白紙撤回されたオリンピックのエンブレムについての、外部有識者による調査報告書*が提出された。翌日の新聞にはこれについての記事が確かに載っていたが、それは社会面ではなくスポーツ欄であり、新聞第一面の題字下のトピックにも取り上げられていなかった(朝日新聞)。あれほど大騒ぎした事件の調査報告であるにもかかわらずだ。わたし自身、当日の新聞閲覧時には、記事に気づかなかった。

大きな事件が起きたとき、その場では大騒ぎするが、ひとたび「悪」とされたものが葬られ、ことが違う方向に進めば、事実関係の分析や最終判断はなおざりにされる、興味の範疇から外れる。日本ではよくあることだ。でも本当は、そこを厳しく追及して、起きたことの原点、本質を見極めようとしなければ、また同じことが繰り返される。間違ったことをしたとき、それをどう「取り繕うか」ではなく、どのような追及と処理ができるかが最も問われることであり、信用回復につながるのに。

旧エンブレムを選考した8人の審査委員の中の一人、デザイナーの平野啓子さんが単独で、個人として、何が公募や審査の過程で起きたのかを広く一般に説明するために、ブログを立ち上げた。実は審査委員である平野さん自身、主催者側から知らされていなかったことがあまりに多く、組織委員会や一部の審査委員への疑問が湧いたことも、ブログのきっかけになっているようだ。

第一回目「責任がとれる方法で」と題された文章は、2015年10月10日の日付になっている。そこでは、審査委員を務めながら、ここまで公開の場で発言してこなかったことをまず謝罪している。事態がいっこうに改善されず、審査に関わった人間として、自分が知り得ることを直接書き記す以外、解決への道はないと決断、このブログをスタートさせたとのことだ。

平野さんのブログは昨日(12月27日付け)の「024 負の遺産とならないように」まで現在公開され、さらに進行中である。平野さんはこの文書のすべてを日本語で書くだけでなく、英文でも載せている(27日分の英文は28日午前9:00 A.M. 時点では未更新。通常1、2日後に翻訳されたものが掲載されるようだ)。つまり日本語が読める人以外の、全世界の人間に向けて発信しているのだ。オリンピックのエンブレム問題は、日本国内の問題ではない。審査がどのように進んだのか、疑惑の元にはなにがあったのか、日本のオリンピック組織委員会は何をどう進めたのか、なぜ白紙撤回などということが起きたのか、こういった詳細を審査の現場で深く関わった人間の言葉から知ることができるのは非常に好ましいことだと思う。必要なことでもある。

日本語でも英語でも発表することは、そしてその内容が公平、公正なものであれば、異論を挟むことは可能でも、頭ごなしに否定するのは難しく、平野さんが提出しているものと同等以上の信憑性を示さないと意味のないものになる。すべての文書に英文があるのを見て、わたしはこれは一種の発言者の身を守る保険ではないか、と思った。国際問題について、英語で発表することは、自分に卑しいところがなく、書いた内容が公正で間違いがない自信があれば、世界じゅうを目撃証人に設定することが可能だ。それにより国内でしか通じない、感情的な反論や合理性のない言いがかりに対抗できる。しかもブログは現在も進行中なのだから、何が起きても、すべての顛末をここで報告していけばいいのだ。日本語と英語で。「日本国内の常識」は当てにならなくても、審判を世界の良識に任せることができる。

わたしは平野啓子さんのこのブログを001から読み始め、最新の024まですべて(日本語で)読んだ。エンブレムの問題が起きたのち、デザインの専門家たちは、どのようにこのできごとを、エンブレム自身を見ているのか知りたいと思い、機会あるごとにネットなどで発言を探していた。しかし核心をつくもの、デザインの専門家として中立的かつ通り一遍ではない発言に出会うことはなかった。印象としては、発表されたエンブレムは、独自のプランによるものであり問題となった他のロゴとの類似性は見られない、というデザインの専門家の意見が多かったように思う。(論点は類似性の判断にのみ絞られていた印象もある)

旧エンブレムは、実は応募時に提出された原案を修正したものだった、ということが類似疑惑が出たのちに発表された。元の案は商標調査で問題があったとし(当初、日の丸を表す赤い丸を下に置くとはいかがなものか、という意見があったとも報道されたが)、エンブレム制作者と組織委員会のクリエイティブ・ディレクター(審査委員でもある)の二人が、審査委員会を通すことなく勝手に修正した。平野さんを初めとする他の審査員にとって、修正は寝耳に水のことだった。修正後に各審査委員に代案が示され、承認するよう要請があったようだが、平野さんを除く6人(修正したクリエイティブ・ディレクターも審査員の一人なので)がそれを受け入れたのに対し、平野さんは受け入れを拒否した。

平野さんが修正案を拒否した理由は、選考時に選んだものと全く違う案であり、修正案のシンボルは「T」には見えず「L」の文字が目につく。「L」の意味は不明であり、説明要請に対して答えも得られなかった。図像に伝達力がないとアイコンとして機能しない、というもの。また制作者とディレクター二人きりで処理した、という手順についても理解できない、と述べている。加えて、公表されていないが、パラリンピックのエンブレムの修正案はさらに悪質だ、とも書いている。

こうして平野さんは、どんな事情があっても修正案は発表すべきでない、という主張を最後までつづけた。しかし修正案発表の記者会見では、平野さんの反対の本当の理由が組織委員会から説明されることはなく、一人反対者がいたことに問題がないかのように伝えられたらしい。反対意見の詳細について、一記者から質問があったにもかかわらず、それには答えず、それ以外の審査委員の承認を得ていることに話は終始したようだ。

平野さんによれば、原案は審査委員の票を最も多く集めた作品で、平野さん自身もその案に投票していた。しかし審査が終了したのち、作成者名がわかった段階で、平野さんは原案にも疑問を抱いたようだ。修正案提出時のエンブレムの説明ボードが、「タイポグラファーが制作したような専門的な書式に見えた」こと、また平野さんが認識しているエンブレム制作者(佐野研二郎氏)の個性、作風ではない、ということから、誰かと組んで制作したのではないか(その場合ルール違反となる)、とクリエイティブ・ディレクターに尋ねている。答えは、佐野研二郎さんが一人で制作したものだ、とのことだった。

平野さんの疑問点は、修正案にとどまらず、公募時の公正・公平性から今回の調査報告書に至るまで多岐にわたる。いくつか例をあげて書いてみたい。

平野さんはエンブレムの公募期間の短さに疑問をもって、何度も組織委員会に訴えていた。通常このような国際的な規模のシンボルマークをデザインする場合、少なくとも半年から10ヶ月(最低でも3ヶ月)は必要だが、今回の応募は2ヶ月(応募要項が届いてからは1ヶ月半)しかなかったのは何故なのか。

審査を依頼された際の概要説明で、審査では『展開力』を評価するよう強調された。しかし応募要項の『エンブレムデザイン制作諸条件』の中では、展開力に関する記述はなかった。提出物5項目の中に「大会デザイン展開アイデア」の項目はあったが、他の4項目が「必須」とされているのに対し、展開アイディアについては「自由提出」となっていた。つまり応募の際はそれほど重要視されていないことが、審査では選ぶ際の最重要事項として審査委員に伝えられたということだ。

平野さんは、実際の審査の中で、『展開力』を発揮していた一部の作品と、そうでない作品とは(展開案の)量に圧倒的な差があったと書いている。どこに力点を置いて制作し、提出するかは、応募者にとって重要なことだ。このことから、わたしは一部の応募作家にのみ、『展開力』の重要性が知らされていた可能性がある、とみた。

平野さんをはじめとする6名の審査委員は、応募者の中に招待作家が8名いることを事前に知らされていなかった。この事実は2015年9月の組織委員会の記者会見で、初めて明らかにされた。平野さんが言うには、招待作家そのものに問題はないが、そのことが審査委員や一般公募者に知らされていなかったことは大問題である、と。特定の審査委員2名のみが知っており、審査の際、他の審査委員は知らずに選考をしたことになる。

記者会見を聞いて、招待作家がいたことを知った平野さんは、審査のとき耳にした言葉を思い出す。組織委員会の担当者が「これは招待作家の作品だから残さなくていいのか」というようなことを誰かに言ったのを小耳にはさんだ。そのときは、平野さんは招待作家について知らされていなかったこともあり、その言葉の意味を深追いすることはなかった、という。記者会見で招待作家のことを知り、審査の際聞いた言葉が意味することを認識したようだ。

ここにあげた2、3の例を読んだだけでも、組織委員会のことの進め方のまずさ、密室性、不公正さなどがよくわかる。いまどきこんなやり方が通るのか、と不思議でならないが、日本の社会では特別なことではないのかもしれない。組織委員会は公募時から、外部有識者に意見を聞きながら進めていることを強調していたようだが、なぜその「外部有識者」たちは、平野さんが指摘しているような問題点について、アドバイスしたり是正するよう要請しなかったのか。当初は「外部」であった人も、ひとたび組織と関係をもつと、すぐに取り込まれて「内部」になってしまうのだろうか。外部性を失った「第三機関」というのは、日本のお家芸かもしれない。

大きなプロジェクトで問題が起きたとき、その原因や真相を知ることは、日本の社会や政治、人々の価値観や生き方を、改めて目の前に突きつけられる思いがする。

HIRANO KEIKO’S OFFICIAL BLOG
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*18日発表の調査報告書についても、平野さんは「終息ありきの不十分な調査」と、12月22日付けの「023 摩訶不思議な調査報告書」(英文:023 Mystifying investigation report is out)で批判している。

20151214

所有とアート

ある日、友だちとエルメスのバッグの話をしていた。友だちが言うには、会社の同僚が100万円以上するバーキンを予約しているが、なかなか手に入らないとのこと。100万円の価値について検証していて、ブランド力、職人技術、デザイン、素材、販売方法、などの優位性に話が及んだ。どれも重要な要素ではあるが、わたしは中でも職人技術というものが大きくものをいっているのではないか、と感じた。一流の選ばれた職人が、素材から工法まで最高級、最高度なものを選択し、一つのバッグをつくりあげる。それを個人が所有する。お金を出せば、誰もが買えるのだ。身分や資格は求められない。

所有されること、これが職人技術においては、ある意味重要だ。職人技術は製品(モノ)という形をとって、人がそれを所有できる道をひらく。

バーキンのバッグは、自分が所有してこそ意味があるものだ。誰かがもっている、あるいはどこかに展示されている、人類の共有財産である、というのでは、おそらくエルメス・ファンにとってはあまり意味がないのではないか。素晴らしい質の、職人技術を極めた、高価で、手に入りにくいものを、自分が所有する。それをもって歩く。人が自分のバッグに目をとめる。その価値を知るの人の目を惹きつける。羨ましがらせる。ほめられる。

何かを自分のものにしたい。所有したい、そう思う人でないと、こういうものの価値はおそらく意味をなさない。

バーキンの話をしている中で、わたしはふと、雨に濡れてシミの広がったノートの表紙を、版画家の友人が「美しい!」と言ったことを思い出した。それは大雨の日に、わたしが持ち歩いていた緑のノートがひどく濡れてしまい、表紙全面に雨のシミがついたものだった。そう言われて改めて見てみると、確かに人為的にはつくりだすのが難しそうな、不思議なグラデーションの曲線が一面に広がっていた。おそらく版画家の友人は、ふだん版画を制作しているとき、一枚一枚の刷り具合を何度も何度も検討する中で、ものを見る際の特別な視点が育っているのだろう。

美しいという感覚。それはアートのはじまりであり、要素でもある。ノートにできた雨のシミは、偶然のなせる技で、そのものに商品価値はない。職人技術も、もちろん使用されていない。それはある意味、所有できないものだ。ノートの持ち主であるわたしは、ノートそのものは所有しているが、その美を所有しているかどうかは別だ。むしろその美を発見した所有者ではない友人の方が、「ノートの美」の近くにいる。

結局のところ、アートというものを人は所有できないのではないか。そんな風に思った。絵画や彫刻作品を買うことはできる。ピカソでもセザンヌでも。しかしそれで購入者がアートを所有したことになるのか。アートにはマルセル・デュシャンやジョン・ケージの作品のように、購入しにくいものもある。アートがアートたる所以は、商品や所有とは別のところにあるのかもしれない(パトロンという存在があったとしても)。アートはお金を出して自分の手元に置くことはできても、エルメスのバッグのように「所有者のモノ*」には永遠になり得ないのではないか。

アートには、所有することより、むしろ共有することの重要性があるように思う。素晴らしいもの、美しいもの、質の高いもの、がこの世に存在すること自体が人間に幸福感を与える。それを所有することは叶わないが、味わい、堪能し、それについて語る、そういった深い楽しみが所有できる。上質なワインを味わうのと似ている。しかし所有しなくてもいい。所有は重要ではない。いや所有できないことが、アートの価値を高めているとも言える。

エルメスのバッグを100万円出して買おうという人には、その質の高さや美を味わうだけの能力やセンスがあるのだと思う。その点はアートを愛する人と変わらない。違うのはそれを所有したいと思うかどうか、だ。質や美を所有したいと思わない人は、一般にものを買うことに、所有することに、それほど熱心ではない人だ。そこに違いがあると思う。

わたしは音楽が好きで、自分でピアノを弾きもする。最近のことだが、モーツァルトの通称「きらきら星変奏曲」を試し弾きしていて、最初の四つ(テーマ、第一変奏、第二変奏、第三変奏)まで弾いたところで、胸打たれた。譜面的にも奏法的にも難しいところはなく、初見でポロポロゆっくり弾いても感じがつかめるような曲だ。そしてテーマとなっているメロディは子どもの歌として知られる、きらきら星。これ以上ないくらい単純な旋律だ。そこにモーツァルトらしいハーモニーと変奏されたメロディやリズムが付く。変奏曲というのは作曲家が即興で弾いたものを楽譜にしたのではないか、と思われる節があるが、この曲もモーツァルトが達者なピアノの腕でパラパラと思いつくまま演奏したもののように思える。

単純なやさしい曲だけに、なおのことモーツァルトの音楽的才能とユニークさが際立って見えた。少ない音数で、単純なメロディで、ここまで美しいものが編める。質の高いものがつくれる。わたしはそのゴージャスな質感を味わう。職人芸のバッグを味わうように。そもそもこのきらきら星を弾いてみようと思ったきっかけは、哲学者のロラン・バルトはこの曲を弾くたびに喜びに満たされた、とある本に書いてあったから(「ピアノを弾く哲学者/サルトル、ニーチェ、バルト」 フランソワ・ヌーデルマン著)。バルトの意味するところは、最初の4曲を自分で弾いてみただけでわかる。わたしはこの楽譜をIMSLPという楽譜や楽曲演奏を保存するインターネットのライブラリーで手に入れた(A4判のPDF)。ここでは過去の作曲家の作品をたくさんアーカイブしていて、誰もが好きなページを、あるいは曲集全部をダウローンドして使うことができる。もちろん無料だ。つまりお金をかけず、質の高いものを自分の手で楽しめる。楽譜は所有するためではなく、作曲者の意図を知るための手がかりだ。何を想い、どう編んだか、その中身を知るためにある。

楽譜を手に入れ、自分の手で演奏したとしても、アートを所有したことにはならない。所有はしない、ただ味わうだけ。しかしその味わいは贅沢なものだ。上質なワインと同じように。こちらの眼力、感性、知性、演奏する才能が高ければ高いほど、その味わいも深くよりゴージャスなものになる。それが低い場合も、その人なりのレベルでは味わうことが可能だ。わたしの場合も、ほんの触りを味わっているにすぎない。

しかしモーツァルトのような過去の、それも200年、300年と前の作曲家の作品を演奏することは、ときに不思議な体験をもたらしてくれる。これも最近のことだが、IMSLPでダウンロードしたショパンの「24の前奏曲」の第20曲を弾いていたときのこと。短い1ページもない曲で、分厚い和音がフォルテで朗々と鳴り響く。手の大きくないわたしにとっては、指が届かなくて一度に押さえきれない箇所が一箇所あるものの、譜面自体は難しいものではない。曲調は葬送行進曲のようなイメージ。あまりショパンぽい曲ではない。ある日この曲を弾いていて、何か深いところに降りていくような、どこか遠く、あるいは遥か昔の時代につながっていくような感じがもたらされた。過去の時代の匂いを嗅いだような、そんな体験をした。200年近い年月、そこに流れる時間、そこに生きた人々、その曲が存在した街の風景、そういったものに触れたように感じた。最後の音を鳴らしたあと、しばらくその衝撃の余韻で動けなかった。決してうまく弾けたわけではない。たどたどしいといっていい演奏だ。しかしそこで味わった音の、音響の、メロディの質感、ゴージャス感は、「高価な」ものだった。わたしはショパンを所有したのか、と言えばNO、体験し味わっただけだ。ショパンの時代から現在までの間に生きた人々とともに。共有財産として。それがアートの醍醐味だと思う。

*所有者のモノ:エルメスのバッグの場合も、買いさえすれば「所有者のもの」になるわけではないかもしれない。しかししかるべき時間と手かずをかければ、所有者が手なずけて自分の持ち物にすることも可能と思われる。