旧エンブレム案に関する審査委員からの告発
10日前の12月18日、白紙撤回されたオリンピックのエンブレムについての、外部有識者による調査報告書*が提出された。翌日の新聞にはこれについての記事が確かに載っていたが、それは社会面ではなくスポーツ欄であり、新聞第一面の題字下のトピックにも取り上げられていなかった(朝日新聞)。あれほど大騒ぎした事件の調査報告であるにもかかわらずだ。わたし自身、当日の新聞閲覧時には、記事に気づかなかった。
大きな事件が起きたとき、その場では大騒ぎするが、ひとたび「悪」とされたものが葬られ、ことが違う方向に進めば、事実関係の分析や最終判断はなおざりにされる、興味の範疇から外れる。日本ではよくあることだ。でも本当は、そこを厳しく追及して、起きたことの原点、本質を見極めようとしなければ、また同じことが繰り返される。間違ったことをしたとき、それをどう「取り繕うか」ではなく、どのような追及と処理ができるかが最も問われることであり、信用回復につながるのに。
旧エンブレムを選考した8人の審査委員の中の一人、デザイナーの平野啓子さんが単独で、個人として、何が公募や審査の過程で起きたのかを広く一般に説明するために、ブログを立ち上げた。実は審査委員である平野さん自身、主催者側から知らされていなかったことがあまりに多く、組織委員会や一部の審査委員への疑問が湧いたことも、ブログのきっかけになっているようだ。
第一回目「責任がとれる方法で」と題された文章は、2015年10月10日の日付になっている。そこでは、審査委員を務めながら、ここまで公開の場で発言してこなかったことをまず謝罪している。事態がいっこうに改善されず、審査に関わった人間として、自分が知り得ることを直接書き記す以外、解決への道はないと決断、このブログをスタートさせたとのことだ。
平野さんのブログは昨日(12月27日付け)の「024 負の遺産とならないように」まで現在公開され、さらに進行中である。平野さんはこの文書のすべてを日本語で書くだけでなく、英文でも載せている(27日分の英文は28日午前9:00 A.M. 時点では未更新。通常1、2日後に翻訳されたものが掲載されるようだ)。つまり日本語が読める人以外の、全世界の人間に向けて発信しているのだ。オリンピックのエンブレム問題は、日本国内の問題ではない。審査がどのように進んだのか、疑惑の元にはなにがあったのか、日本のオリンピック組織委員会は何をどう進めたのか、なぜ白紙撤回などということが起きたのか、こういった詳細を審査の現場で深く関わった人間の言葉から知ることができるのは非常に好ましいことだと思う。必要なことでもある。
日本語でも英語でも発表することは、そしてその内容が公平、公正なものであれば、異論を挟むことは可能でも、頭ごなしに否定するのは難しく、平野さんが提出しているものと同等以上の信憑性を示さないと意味のないものになる。すべての文書に英文があるのを見て、わたしはこれは一種の発言者の身を守る保険ではないか、と思った。国際問題について、英語で発表することは、自分に卑しいところがなく、書いた内容が公正で間違いがない自信があれば、世界じゅうを目撃証人に設定することが可能だ。それにより国内でしか通じない、感情的な反論や合理性のない言いがかりに対抗できる。しかもブログは現在も進行中なのだから、何が起きても、すべての顛末をここで報告していけばいいのだ。日本語と英語で。「日本国内の常識」は当てにならなくても、審判を世界の良識に任せることができる。
わたしは平野啓子さんのこのブログを001から読み始め、最新の024まですべて(日本語で)読んだ。エンブレムの問題が起きたのち、デザインの専門家たちは、どのようにこのできごとを、エンブレム自身を見ているのか知りたいと思い、機会あるごとにネットなどで発言を探していた。しかし核心をつくもの、デザインの専門家として中立的かつ通り一遍ではない発言に出会うことはなかった。印象としては、発表されたエンブレムは、独自のプランによるものであり問題となった他のロゴとの類似性は見られない、というデザインの専門家の意見が多かったように思う。(論点は類似性の判断にのみ絞られていた印象もある)
旧エンブレムは、実は応募時に提出された原案を修正したものだった、ということが類似疑惑が出たのちに発表された。元の案は商標調査で問題があったとし(当初、日の丸を表す赤い丸を下に置くとはいかがなものか、という意見があったとも報道されたが)、エンブレム制作者と組織委員会のクリエイティブ・ディレクター(審査委員でもある)の二人が、審査委員会を通すことなく勝手に修正した。平野さんを初めとする他の審査員にとって、修正は寝耳に水のことだった。修正後に各審査委員に代案が示され、承認するよう要請があったようだが、平野さんを除く6人(修正したクリエイティブ・ディレクターも審査員の一人なので)がそれを受け入れたのに対し、平野さんは受け入れを拒否した。
平野さんが修正案を拒否した理由は、選考時に選んだものと全く違う案であり、修正案のシンボルは「T」には見えず「L」の文字が目につく。「L」の意味は不明であり、説明要請に対して答えも得られなかった。図像に伝達力がないとアイコンとして機能しない、というもの。また制作者とディレクター二人きりで処理した、という手順についても理解できない、と述べている。加えて、公表されていないが、パラリンピックのエンブレムの修正案はさらに悪質だ、とも書いている。
こうして平野さんは、どんな事情があっても修正案は発表すべきでない、という主張を最後までつづけた。しかし修正案発表の記者会見では、平野さんの反対の本当の理由が組織委員会から説明されることはなく、一人反対者がいたことに問題がないかのように伝えられたらしい。反対意見の詳細について、一記者から質問があったにもかかわらず、それには答えず、それ以外の審査委員の承認を得ていることに話は終始したようだ。
平野さんによれば、原案は審査委員の票を最も多く集めた作品で、平野さん自身もその案に投票していた。しかし審査が終了したのち、作成者名がわかった段階で、平野さんは原案にも疑問を抱いたようだ。修正案提出時のエンブレムの説明ボードが、「タイポグラファーが制作したような専門的な書式に見えた」こと、また平野さんが認識しているエンブレム制作者(佐野研二郎氏)の個性、作風ではない、ということから、誰かと組んで制作したのではないか(その場合ルール違反となる)、とクリエイティブ・ディレクターに尋ねている。答えは、佐野研二郎さんが一人で制作したものだ、とのことだった。
平野さんの疑問点は、修正案にとどまらず、公募時の公正・公平性から今回の調査報告書に至るまで多岐にわたる。いくつか例をあげて書いてみたい。
平野さんはエンブレムの公募期間の短さに疑問をもって、何度も組織委員会に訴えていた。通常このような国際的な規模のシンボルマークをデザインする場合、少なくとも半年から10ヶ月(最低でも3ヶ月)は必要だが、今回の応募は2ヶ月(応募要項が届いてからは1ヶ月半)しかなかったのは何故なのか。
審査を依頼された際の概要説明で、審査では『展開力』を評価するよう強調された。しかし応募要項の『エンブレムデザイン制作諸条件』の中では、展開力に関する記述はなかった。提出物5項目の中に「大会デザイン展開アイデア」の項目はあったが、他の4項目が「必須」とされているのに対し、展開アイディアについては「自由提出」となっていた。つまり応募の際はそれほど重要視されていないことが、審査では選ぶ際の最重要事項として審査委員に伝えられたということだ。
平野さんは、実際の審査の中で、『展開力』を発揮していた一部の作品と、そうでない作品とは(展開案の)量に圧倒的な差があったと書いている。どこに力点を置いて制作し、提出するかは、応募者にとって重要なことだ。このことから、わたしは一部の応募作家にのみ、『展開力』の重要性が知らされていた可能性がある、とみた。
平野さんをはじめとする6名の審査委員は、応募者の中に招待作家が8名いることを事前に知らされていなかった。この事実は2015年9月の組織委員会の記者会見で、初めて明らかにされた。平野さんが言うには、招待作家そのものに問題はないが、そのことが審査委員や一般公募者に知らされていなかったことは大問題である、と。特定の審査委員2名のみが知っており、審査の際、他の審査委員は知らずに選考をしたことになる。
記者会見を聞いて、招待作家がいたことを知った平野さんは、審査のとき耳にした言葉を思い出す。組織委員会の担当者が「これは招待作家の作品だから残さなくていいのか」というようなことを誰かに言ったのを小耳にはさんだ。そのときは、平野さんは招待作家について知らされていなかったこともあり、その言葉の意味を深追いすることはなかった、という。記者会見で招待作家のことを知り、審査の際聞いた言葉が意味することを認識したようだ。
ここにあげた2、3の例を読んだだけでも、組織委員会のことの進め方のまずさ、密室性、不公正さなどがよくわかる。いまどきこんなやり方が通るのか、と不思議でならないが、日本の社会では特別なことではないのかもしれない。組織委員会は公募時から、外部有識者に意見を聞きながら進めていることを強調していたようだが、なぜその「外部有識者」たちは、平野さんが指摘しているような問題点について、アドバイスしたり是正するよう要請しなかったのか。当初は「外部」であった人も、ひとたび組織と関係をもつと、すぐに取り込まれて「内部」になってしまうのだろうか。外部性を失った「第三機関」というのは、日本のお家芸かもしれない。
大きなプロジェクトで問題が起きたとき、その原因や真相を知ることは、日本の社会や政治、人々の価値観や生き方を、改めて目の前に突きつけられる思いがする。
HIRANO KEIKO’S OFFICIAL BLOG
http://hiranokeiko.tokyo/
*18日発表の調査報告書についても、平野さんは「終息ありきの不十分な調査」と、12月22日付けの「023 摩訶不思議な調査報告書」(英文:023 Mystifying investigation report is out)で批判している。
大きな事件が起きたとき、その場では大騒ぎするが、ひとたび「悪」とされたものが葬られ、ことが違う方向に進めば、事実関係の分析や最終判断はなおざりにされる、興味の範疇から外れる。日本ではよくあることだ。でも本当は、そこを厳しく追及して、起きたことの原点、本質を見極めようとしなければ、また同じことが繰り返される。間違ったことをしたとき、それをどう「取り繕うか」ではなく、どのような追及と処理ができるかが最も問われることであり、信用回復につながるのに。
旧エンブレムを選考した8人の審査委員の中の一人、デザイナーの平野啓子さんが単独で、個人として、何が公募や審査の過程で起きたのかを広く一般に説明するために、ブログを立ち上げた。実は審査委員である平野さん自身、主催者側から知らされていなかったことがあまりに多く、組織委員会や一部の審査委員への疑問が湧いたことも、ブログのきっかけになっているようだ。
第一回目「責任がとれる方法で」と題された文章は、2015年10月10日の日付になっている。そこでは、審査委員を務めながら、ここまで公開の場で発言してこなかったことをまず謝罪している。事態がいっこうに改善されず、審査に関わった人間として、自分が知り得ることを直接書き記す以外、解決への道はないと決断、このブログをスタートさせたとのことだ。
平野さんのブログは昨日(12月27日付け)の「024 負の遺産とならないように」まで現在公開され、さらに進行中である。平野さんはこの文書のすべてを日本語で書くだけでなく、英文でも載せている(27日分の英文は28日午前9:00 A.M. 時点では未更新。通常1、2日後に翻訳されたものが掲載されるようだ)。つまり日本語が読める人以外の、全世界の人間に向けて発信しているのだ。オリンピックのエンブレム問題は、日本国内の問題ではない。審査がどのように進んだのか、疑惑の元にはなにがあったのか、日本のオリンピック組織委員会は何をどう進めたのか、なぜ白紙撤回などということが起きたのか、こういった詳細を審査の現場で深く関わった人間の言葉から知ることができるのは非常に好ましいことだと思う。必要なことでもある。
日本語でも英語でも発表することは、そしてその内容が公平、公正なものであれば、異論を挟むことは可能でも、頭ごなしに否定するのは難しく、平野さんが提出しているものと同等以上の信憑性を示さないと意味のないものになる。すべての文書に英文があるのを見て、わたしはこれは一種の発言者の身を守る保険ではないか、と思った。国際問題について、英語で発表することは、自分に卑しいところがなく、書いた内容が公正で間違いがない自信があれば、世界じゅうを目撃証人に設定することが可能だ。それにより国内でしか通じない、感情的な反論や合理性のない言いがかりに対抗できる。しかもブログは現在も進行中なのだから、何が起きても、すべての顛末をここで報告していけばいいのだ。日本語と英語で。「日本国内の常識」は当てにならなくても、審判を世界の良識に任せることができる。
わたしは平野啓子さんのこのブログを001から読み始め、最新の024まですべて(日本語で)読んだ。エンブレムの問題が起きたのち、デザインの専門家たちは、どのようにこのできごとを、エンブレム自身を見ているのか知りたいと思い、機会あるごとにネットなどで発言を探していた。しかし核心をつくもの、デザインの専門家として中立的かつ通り一遍ではない発言に出会うことはなかった。印象としては、発表されたエンブレムは、独自のプランによるものであり問題となった他のロゴとの類似性は見られない、というデザインの専門家の意見が多かったように思う。(論点は類似性の判断にのみ絞られていた印象もある)
旧エンブレムは、実は応募時に提出された原案を修正したものだった、ということが類似疑惑が出たのちに発表された。元の案は商標調査で問題があったとし(当初、日の丸を表す赤い丸を下に置くとはいかがなものか、という意見があったとも報道されたが)、エンブレム制作者と組織委員会のクリエイティブ・ディレクター(審査委員でもある)の二人が、審査委員会を通すことなく勝手に修正した。平野さんを初めとする他の審査員にとって、修正は寝耳に水のことだった。修正後に各審査委員に代案が示され、承認するよう要請があったようだが、平野さんを除く6人(修正したクリエイティブ・ディレクターも審査員の一人なので)がそれを受け入れたのに対し、平野さんは受け入れを拒否した。
平野さんが修正案を拒否した理由は、選考時に選んだものと全く違う案であり、修正案のシンボルは「T」には見えず「L」の文字が目につく。「L」の意味は不明であり、説明要請に対して答えも得られなかった。図像に伝達力がないとアイコンとして機能しない、というもの。また制作者とディレクター二人きりで処理した、という手順についても理解できない、と述べている。加えて、公表されていないが、パラリンピックのエンブレムの修正案はさらに悪質だ、とも書いている。
こうして平野さんは、どんな事情があっても修正案は発表すべきでない、という主張を最後までつづけた。しかし修正案発表の記者会見では、平野さんの反対の本当の理由が組織委員会から説明されることはなく、一人反対者がいたことに問題がないかのように伝えられたらしい。反対意見の詳細について、一記者から質問があったにもかかわらず、それには答えず、それ以外の審査委員の承認を得ていることに話は終始したようだ。
平野さんによれば、原案は審査委員の票を最も多く集めた作品で、平野さん自身もその案に投票していた。しかし審査が終了したのち、作成者名がわかった段階で、平野さんは原案にも疑問を抱いたようだ。修正案提出時のエンブレムの説明ボードが、「タイポグラファーが制作したような専門的な書式に見えた」こと、また平野さんが認識しているエンブレム制作者(佐野研二郎氏)の個性、作風ではない、ということから、誰かと組んで制作したのではないか(その場合ルール違反となる)、とクリエイティブ・ディレクターに尋ねている。答えは、佐野研二郎さんが一人で制作したものだ、とのことだった。
平野さんの疑問点は、修正案にとどまらず、公募時の公正・公平性から今回の調査報告書に至るまで多岐にわたる。いくつか例をあげて書いてみたい。
平野さんはエンブレムの公募期間の短さに疑問をもって、何度も組織委員会に訴えていた。通常このような国際的な規模のシンボルマークをデザインする場合、少なくとも半年から10ヶ月(最低でも3ヶ月)は必要だが、今回の応募は2ヶ月(応募要項が届いてからは1ヶ月半)しかなかったのは何故なのか。
審査を依頼された際の概要説明で、審査では『展開力』を評価するよう強調された。しかし応募要項の『エンブレムデザイン制作諸条件』の中では、展開力に関する記述はなかった。提出物5項目の中に「大会デザイン展開アイデア」の項目はあったが、他の4項目が「必須」とされているのに対し、展開アイディアについては「自由提出」となっていた。つまり応募の際はそれほど重要視されていないことが、審査では選ぶ際の最重要事項として審査委員に伝えられたということだ。
平野さんは、実際の審査の中で、『展開力』を発揮していた一部の作品と、そうでない作品とは(展開案の)量に圧倒的な差があったと書いている。どこに力点を置いて制作し、提出するかは、応募者にとって重要なことだ。このことから、わたしは一部の応募作家にのみ、『展開力』の重要性が知らされていた可能性がある、とみた。
平野さんをはじめとする6名の審査委員は、応募者の中に招待作家が8名いることを事前に知らされていなかった。この事実は2015年9月の組織委員会の記者会見で、初めて明らかにされた。平野さんが言うには、招待作家そのものに問題はないが、そのことが審査委員や一般公募者に知らされていなかったことは大問題である、と。特定の審査委員2名のみが知っており、審査の際、他の審査委員は知らずに選考をしたことになる。
記者会見を聞いて、招待作家がいたことを知った平野さんは、審査のとき耳にした言葉を思い出す。組織委員会の担当者が「これは招待作家の作品だから残さなくていいのか」というようなことを誰かに言ったのを小耳にはさんだ。そのときは、平野さんは招待作家について知らされていなかったこともあり、その言葉の意味を深追いすることはなかった、という。記者会見で招待作家のことを知り、審査の際聞いた言葉が意味することを認識したようだ。
ここにあげた2、3の例を読んだだけでも、組織委員会のことの進め方のまずさ、密室性、不公正さなどがよくわかる。いまどきこんなやり方が通るのか、と不思議でならないが、日本の社会では特別なことではないのかもしれない。組織委員会は公募時から、外部有識者に意見を聞きながら進めていることを強調していたようだが、なぜその「外部有識者」たちは、平野さんが指摘しているような問題点について、アドバイスしたり是正するよう要請しなかったのか。当初は「外部」であった人も、ひとたび組織と関係をもつと、すぐに取り込まれて「内部」になってしまうのだろうか。外部性を失った「第三機関」というのは、日本のお家芸かもしれない。
大きなプロジェクトで問題が起きたとき、その原因や真相を知ることは、日本の社会や政治、人々の価値観や生き方を、改めて目の前に突きつけられる思いがする。
HIRANO KEIKO’S OFFICIAL BLOG
http://hiranokeiko.tokyo/
*18日発表の調査報告書についても、平野さんは「終息ありきの不十分な調査」と、12月22日付けの「023 摩訶不思議な調査報告書」(英文:023 Mystifying investigation report is out)で批判している。