いまアラブ、イスラム世界を知る楽しみ(1)
最近、フランスの経済学者トマ・ピケティ氏が、ヨーロッパ社会におけるイスラム嫌いのエスカレート具合について述べているコラムを読んだ(ル・モンド誌/朝日新聞)。ピケティ氏は「ヒステリー」「ヒステリック」という言葉で、状況の極端さを表していた。
フランスでは、イスラム系の名前をもつ者が就職時の審査で高い確率で落とされる、といったことはもちろんここ最近の「テロ」と関係していると思われる。日本にはそれほど多くのイスラム教徒やアラブ人がいるわけではないので、テロと関連してそういった人々が差別を受けたり、排斥されるという話はまだあまり聞かない。
しかしイスラム教徒に対する差別感がない、というわけではないと思う(韓国人や中国人に対するものほど現実的ではないとしても)。わたし自身、イスラム教に対してある種の偏見をずっと持ち続けてきた。ベールの着用や女性に対する戒律の厳しさ、女性蔑視、一夫多妻制など男性に都合のよさそうな制度や慣習、といった印象があった。またムハマンド(モハメッド)が実在の人物であるなら、大天使と出会って開祖した話などは荒唐無稽に思えた。
しかし自分が何かに偏見をもっている、というのはあまり気持ちのいいものではない。多くの人間は、自分は偏見などないと思って暮らしている。しかし偏見はどこにでも、いくらでもあると思う。まずはそれを認めないことには話が進まない。わたしは自分がイスラムに対して偏見がある、と自覚した時点から、まずその世界を知る努力をしてみようと思った。多くの偏見は無知から発生している。気長に少しずつ、興味がもてそうなものから手をつけてみることにした。
Mutahという非営利のネットジャーナルがある。ミーナ(MENA=Midle East North Africa=中東、北アフリカ)を中心に、中央アジアや東ヨーロッパも含めた地域のニュースやコラムを集めたサイトだ。欧米の伝統的(既存の)大メディアが扱わない、あるいは避けて通るトピックをMutah独自の視点から取材して載せている。文学の話題やブックレビューも多く、アラブ系作家の短編小説がコレクションされていることもある。アラブ系現代作家の作品を英語で(日本語ではもちろん)読める機会は多くないので、これは大変貴重だ。
チュニジアで活動する作家Atiaf Alwazirの“I Just Can’t Understand You”という短編小説を読んだ。その中で印象的だったのは、サナア(イエメンの首都)の西洋風のこじゃれたカフェテラスで、主人公のアハメド(電気店に勤めている)が、注文したお茶に文句をつけるところ(顧客に呼ばれてその店に行った)。その店は入口にガードマンがいるような店で、アハメドはカート(覚醒作用のある葉っぱで、この地域の嗜好品の一種)をくちゃくちゃ噛んでいたので呼び止められ、やめるよう言われる。注文したお茶へのアハメドの不満はこうだ。「普通の4倍もする料金をとって、お湯に浸したリプトン・ティーバッグか? コリアンダーも、カルダモンも、ブラックペッパーも、クローブも、シナモンもなしなのか。こんな高いお金を取られて馬鹿にされて、みんなよく平気だな」
小説のストーリーとは別に、このアハメドのセリフに妙に感じ入ってしまった。そうか、紅茶にこういうスパイスを入れて飲むのだな、彼らは。それでさっそくやってみた。カルダモンはシードを割って少し砕き、シナモンスティックも縦に割り、ブラックペッパーは粒をナイフで刻んだ。他にドライジンジャーやベイリーフを入れてもいい。うーん、香る、美味しい、ビリっとする(ペッパー)。どこかアラブの香りがする。ただの紅茶は味気ない、というのがなんとなくわかる気がした。以降、毎朝コーヒーを飲む前に、このようなスパイス&ハーブティーをブレンドして楽しんでいる。
Mutahは女性の記者やコラムニストも多く、ジェンダーや性的少数者の話題も多い。ここでは一般的な用語LGBTではなくLGBTQと言っている。Qはqueer(クィア)でLGBTに入らない性的少数者を指しているのではないかと思う。そういった用語の使い方にも、このメディアの視点やセンスを感じる。
今苦労しながら少しずつ読んでいるイスラムの女性についての本「Women and Gender in Islam」は、エジプト人学者レイラ・アハメド(イスラム・フェミニズムの専門家)の著作。副題にHistorical Roots of a Modern Debateとあるように、近年論議の対象となっているイスラムの問題について、新石器時代にまで遡って、イスラム教が誕生する以前からのメソポタミア、アラブ、ギリシアに広がる地域の社会や習慣、思想を探ることで、新たな見解を示している。今読んでいるところまでの感じでいうと、現在イスラム教の戒律と思われているものの多くは、ベールの着用も含めて、イスラム以前のこの地域や都市で優勢だった法や思想を源にしているように見える。中でも都市のはじまりと興隆によって、女性の地位が低下していったというアハメドの指摘には目を開かされた。(この項、次回につづく)
*Women and Gender in Islam:1992年イェール大学出版刊(最近のMutahのブックレビューで紹介されていた本。出版年は古いものの、今読むにふさわしい本として書評されていた)
フランスでは、イスラム系の名前をもつ者が就職時の審査で高い確率で落とされる、といったことはもちろんここ最近の「テロ」と関係していると思われる。日本にはそれほど多くのイスラム教徒やアラブ人がいるわけではないので、テロと関連してそういった人々が差別を受けたり、排斥されるという話はまだあまり聞かない。
しかしイスラム教徒に対する差別感がない、というわけではないと思う(韓国人や中国人に対するものほど現実的ではないとしても)。わたし自身、イスラム教に対してある種の偏見をずっと持ち続けてきた。ベールの着用や女性に対する戒律の厳しさ、女性蔑視、一夫多妻制など男性に都合のよさそうな制度や慣習、といった印象があった。またムハマンド(モハメッド)が実在の人物であるなら、大天使と出会って開祖した話などは荒唐無稽に思えた。
しかし自分が何かに偏見をもっている、というのはあまり気持ちのいいものではない。多くの人間は、自分は偏見などないと思って暮らしている。しかし偏見はどこにでも、いくらでもあると思う。まずはそれを認めないことには話が進まない。わたしは自分がイスラムに対して偏見がある、と自覚した時点から、まずその世界を知る努力をしてみようと思った。多くの偏見は無知から発生している。気長に少しずつ、興味がもてそうなものから手をつけてみることにした。
Mutahという非営利のネットジャーナルがある。ミーナ(MENA=Midle East North Africa=中東、北アフリカ)を中心に、中央アジアや東ヨーロッパも含めた地域のニュースやコラムを集めたサイトだ。欧米の伝統的(既存の)大メディアが扱わない、あるいは避けて通るトピックをMutah独自の視点から取材して載せている。文学の話題やブックレビューも多く、アラブ系作家の短編小説がコレクションされていることもある。アラブ系現代作家の作品を英語で(日本語ではもちろん)読める機会は多くないので、これは大変貴重だ。
チュニジアで活動する作家Atiaf Alwazirの“I Just Can’t Understand You”という短編小説を読んだ。その中で印象的だったのは、サナア(イエメンの首都)の西洋風のこじゃれたカフェテラスで、主人公のアハメド(電気店に勤めている)が、注文したお茶に文句をつけるところ(顧客に呼ばれてその店に行った)。その店は入口にガードマンがいるような店で、アハメドはカート(覚醒作用のある葉っぱで、この地域の嗜好品の一種)をくちゃくちゃ噛んでいたので呼び止められ、やめるよう言われる。注文したお茶へのアハメドの不満はこうだ。「普通の4倍もする料金をとって、お湯に浸したリプトン・ティーバッグか? コリアンダーも、カルダモンも、ブラックペッパーも、クローブも、シナモンもなしなのか。こんな高いお金を取られて馬鹿にされて、みんなよく平気だな」
小説のストーリーとは別に、このアハメドのセリフに妙に感じ入ってしまった。そうか、紅茶にこういうスパイスを入れて飲むのだな、彼らは。それでさっそくやってみた。カルダモンはシードを割って少し砕き、シナモンスティックも縦に割り、ブラックペッパーは粒をナイフで刻んだ。他にドライジンジャーやベイリーフを入れてもいい。うーん、香る、美味しい、ビリっとする(ペッパー)。どこかアラブの香りがする。ただの紅茶は味気ない、というのがなんとなくわかる気がした。以降、毎朝コーヒーを飲む前に、このようなスパイス&ハーブティーをブレンドして楽しんでいる。
Mutahは女性の記者やコラムニストも多く、ジェンダーや性的少数者の話題も多い。ここでは一般的な用語LGBTではなくLGBTQと言っている。Qはqueer(クィア)でLGBTに入らない性的少数者を指しているのではないかと思う。そういった用語の使い方にも、このメディアの視点やセンスを感じる。
今苦労しながら少しずつ読んでいるイスラムの女性についての本「Women and Gender in Islam」は、エジプト人学者レイラ・アハメド(イスラム・フェミニズムの専門家)の著作。副題にHistorical Roots of a Modern Debateとあるように、近年論議の対象となっているイスラムの問題について、新石器時代にまで遡って、イスラム教が誕生する以前からのメソポタミア、アラブ、ギリシアに広がる地域の社会や習慣、思想を探ることで、新たな見解を示している。今読んでいるところまでの感じでいうと、現在イスラム教の戒律と思われているものの多くは、ベールの着用も含めて、イスラム以前のこの地域や都市で優勢だった法や思想を源にしているように見える。中でも都市のはじまりと興隆によって、女性の地位が低下していったというアハメドの指摘には目を開かされた。(この項、次回につづく)
*Women and Gender in Islam:1992年イェール大学出版刊(最近のMutahのブックレビューで紹介されていた本。出版年は古いものの、今読むにふさわしい本として書評されていた)