いまアラブ、イスラム世界を知る楽しみ(2)
エジプト人学者レイラ・アハメドの「Women and Gender in Islam」についてもう少し。アハメドは都市のはじまりと興隆によって、女性の地位が低下していったと述べている。メソポタミア地域で、B.C.3500〜3000年ごろ都市が形成されはじめ、初期の社会が生まれた。都市は人口および労働力の増加を必要とする。また都市間の戦争において、人口と戦力は比例するものだっただろう。人口を増やすには女が子を産むことだ。子を産むのは女性、それにより女は「子を産む性」という見方が強まり、同時に性的対象として価値あるものともなり、社会にとっての最初の、競える「財産」となった。
当時は家父長的家族が一般的で、父権が強く、父、夫の順で力をもっていた。父権により財産(女性の性的価値)は管理、支配されており、女の性は「男の財産である」という価値観が確立した。また女の性が財産となったことで、それは換金可能なものとも見られるようになり、娼婦が誕生した。妻はまともな女として扱われ、性を提供し子を産む能力をもつ存在として男に従属していた。いっぽう娼婦の方は、誰もが所有できる「公的な」存在として扱われた。人口の増加により社会の構造が複雑化し、職人、商人、農夫などが生まれたが、女性は主要な職業からは排除され、その地位は劣化した。
当時のアッシリア法ではベールの着用に関して、男の支配下にある女(上級に属する者)は、ベールの着用が許された。妻、娘、内妻、元神殿娼婦でのちに結婚した女などがそれに当たる。娼婦や奴隷はベールの着用が許されず、従わなかった場合の罰則(耳を切り取るなど)もあったようだ。当時の女性は男の支配下にあることに優位性を感じ、その地位を享受した面がある。男より地位が低いことや家父長制への抵抗感はなかった、とアハメドは書いている。またこのような傾向は、地位の低い男女にも影響を与えたようだ。
確かに男の従属下にあることがある種の特権であり、奴隷や娼婦と区別されているとき、その地位にいる女性たちが進んで(あるいは権利として)ベールを着用したことは十分想像できることだ。こういった習慣、伝統が基本にある地域でイスラム教は生まれ、発展した。ムハマンドの妻たちはベールを着用していたそうだが(また匿われた場所に住んでいた)、ベール自体はムハンマドによる導入ではないとされる。アラブと関係のあった国々、シリア、パレスチナ、またギリシア人、ローマ人、ユダヤ人、アッシリア人もベールを使用していた。コーランにはベールに関する明確な指示はないという。詩の中に「秘所をスカーフで隠す」というような記述はあるようだが。しかしムハマンドの征服地域では、上の階級ではベール着用は普通だった。それはムハマンドの妻たちがモデルになったのでは、とアハメドは推測する。
女性の地位の低さ、換金可能なモノとしての扱い、妻の貸し出し、職業からの排除、ハーレムの存在、男女間の規律(女は男に従うなど)、姦通罪など女性蔑視的なさまざまな決まりごとは、主として当時の中東地域の社会習慣や、ゾロアスター教が支配的だった時代の影響が大きいように見える。のちにこの地域で支配的になったイスラム教は、こういったベースの上に生まれ、また経典であるコーランもそれぞれの時代の権力者の「解釈」に大きく作用されたようだ。
ということで、まだアハメドの本は三分の一程度までしか読んでいないものの、基本的なものの見方として、今イスラム教独自の思想や習慣と思われている女性蔑視的な態度は、イスラム教やコーラン、あるいはムハマンドから生まれたというより、古い時代にさかのぼるこの地域の社会習慣や人々の思想の傾向とより強く重なる。これは一つの発見だった。
アハメドと同じく学者の書いた本ではあるが、もう少し論文調ではない本を1冊あげておきたい。レイナ・ルイスの「Muslim Fashion: Contemporary Style Cultures」(2015年)はタイトル通りムスリムのファッションの周辺を調査した本で、トルコ、イギリス、アメリカなどのファッションデザイナーやショップオーナー、ブロガーなどを数多くインタビューしている。ルイスはイギリスのファッションカレッジやアート大学で、カルチャラル・スタディーを教える教授である。
この2冊はともに英語による著作なので、日本語の本でアラブ世界を知る手がかりになりそうなものを紹介したい。『「アラブの春」の正体』(2012年)は、中東を専門とするジャーナリスト、重信メイの著作。重信メイは元日本赤軍リーダーの重信房子の娘である。2001年に日本国籍を取得し(それまで28年間無国籍だった)中東から帰国している。わたしは『秘密:パレスチナから桜の国へ 母と私の28年』(2002年)を最初に読んだのだが、その数奇な人生に驚きまた心打たれた。日本では犯罪者となっている(現在刑を受けている)母親の重信房子だが、アラブ世界では尊敬され支援される存在だったようだ。娘のメイはパレスチナ人活動家の父親との間に生まれ、生地であるレバノンを中心にアラブ世界で生活してきたという。アラビア語と英語、それに日本語を使い、今もシリア、レバノンなど中東地域に足を運びながら取材活動をしている。
重信メイの描く中東は、日本(あるいはアメリカなど欧米)のメディアで目にする視点とはかなり違う。『「アラブの春」の正体』の副題が「欧米とメディアに踊らされた民主化革命」とあるように、著者は欧米の主要メディアが伝えるアラブ関係のニュースには懐疑的である。のちに「ジャスミン革命」と呼ばれるようになったアラブの春の最初のムーブメント、チュニジアの民主運動は当初BBCやCNNはもちろん、アルジャジーラでさえあまり報道していなかったという。著者が最初にこの動きを知ったのは、焼身自殺事件が起きたチュニジアの友人たちのフェイスブックへの書き込みや写真、YouTubeの動画だった。ネット環境がアラブ諸国の中でも整っていたことが、チュニジアの民主運動に火をつけたと著者はみている。またリビアのカダフィやシリアのアサド大統領に対しても、日本での一般的な見方とは大きく異なる分析を著者はしている。中東政治が専門の学者、酒井啓子(ニューズウィーク日本版でコラム連載中)とはまた違った、かなり視点を低く置いた市民目線の重信メイのレポートや分析は貴重に思える。
イスラムのことがわかる、という意味でもう1冊、高野秀行の「イスラム飲酒紀行」をあげたい。高野秀行は人の行かない所に行って取材する、というノンフィクション作家だが、面白おかしく綴ることをモットーにしている人。それはこの「イスラム飲酒紀行」でも実行されている。大変な酒好きで酒がないと禁断症状が出る著者が、あえて禁酒が建前のイスラムの国々を訪れ、なんとかして酒を手に入れ飲もうという「冒険談」を綴った。多くの地元民と酒を介して触れ合い、また旅の合間に、イスラムの国々の男女の関係(公共の場では男は女性に対して召使のように仕える)などの実態も垣間見られ、これがイスラムの姿なのだろうか、、、と思いを新たにさせられる。
中東の姿を知るのに映画も参考になることがある。最近「雪の轍」というトルコ映画と「彼女が消えた浜辺」というイラン映画を見た。「雪の轍」は2013年のパルムドール受賞作で3時間に及ぶ大作。印象的だったのは主人公の中年の作家の男とその妹が、夜になると延々と思想あるいは哲学的話題を議論し続けるシーン。妹はこの映画の中で唯一、主人公に対して本音の厳しい発言や追求をする人物だ。また主人公が家を貸しているモスクの導師の態度、物言いは、イラン映画の登場人物を彷彿とさせる。キアロスタミやマフマルバフのような。多弁でいろいろ言いつづけるのだが、その論理はどこか奇妙でおかしく人間味があり、西欧的な四角四面さとは程遠い。イラン映画「彼女が消えた浜辺」の中で起きる複数の男女間の議論も、その傾向がある。女も男もよくしゃべる、決して黙っていない。「雪の轍」はセリフ劇と言ってもいい作品だった。原作はチェーホフだそうで、映画の作りも西洋を意識したものではあるが、溢れる言葉とその応酬は、この地域の文化の核をなすもののようにも見える。
こんな風にして、今わたしはアラブ、イスラムの世界を知る旅をつづけている。散発的、思いつき的でまとまりのなり旅だが、長い時間をかけてゆっくり深く知っていきたい。最後にもう一人、日本でも著作が翻訳されている作家で人権活動家のナワル・エル・サーダウィについて。中東、アフリカ関係のジャーナリストであるナイジェリア出自の記者ミナ・サラミのブログで知った、エジプトのフェミニスト作家である。『女子刑務所-エジプト政治犯の獄中記』を少し読んだが、きっぱりとした強い態度でものを書き行動する素晴らしい女性と感じた。現在84歳、ミナのブログにあったモノクロのポートレートが絶品だった。こういう顔に将来なりたい、と思わせるような知的で、強くて、美しい写真だった。
http://www.msafropolitan.com/2015/09/nawal-el-saadawi-upcoming-talks.html
当時は家父長的家族が一般的で、父権が強く、父、夫の順で力をもっていた。父権により財産(女性の性的価値)は管理、支配されており、女の性は「男の財産である」という価値観が確立した。また女の性が財産となったことで、それは換金可能なものとも見られるようになり、娼婦が誕生した。妻はまともな女として扱われ、性を提供し子を産む能力をもつ存在として男に従属していた。いっぽう娼婦の方は、誰もが所有できる「公的な」存在として扱われた。人口の増加により社会の構造が複雑化し、職人、商人、農夫などが生まれたが、女性は主要な職業からは排除され、その地位は劣化した。
当時のアッシリア法ではベールの着用に関して、男の支配下にある女(上級に属する者)は、ベールの着用が許された。妻、娘、内妻、元神殿娼婦でのちに結婚した女などがそれに当たる。娼婦や奴隷はベールの着用が許されず、従わなかった場合の罰則(耳を切り取るなど)もあったようだ。当時の女性は男の支配下にあることに優位性を感じ、その地位を享受した面がある。男より地位が低いことや家父長制への抵抗感はなかった、とアハメドは書いている。またこのような傾向は、地位の低い男女にも影響を与えたようだ。
確かに男の従属下にあることがある種の特権であり、奴隷や娼婦と区別されているとき、その地位にいる女性たちが進んで(あるいは権利として)ベールを着用したことは十分想像できることだ。こういった習慣、伝統が基本にある地域でイスラム教は生まれ、発展した。ムハマンドの妻たちはベールを着用していたそうだが(また匿われた場所に住んでいた)、ベール自体はムハンマドによる導入ではないとされる。アラブと関係のあった国々、シリア、パレスチナ、またギリシア人、ローマ人、ユダヤ人、アッシリア人もベールを使用していた。コーランにはベールに関する明確な指示はないという。詩の中に「秘所をスカーフで隠す」というような記述はあるようだが。しかしムハマンドの征服地域では、上の階級ではベール着用は普通だった。それはムハマンドの妻たちがモデルになったのでは、とアハメドは推測する。
女性の地位の低さ、換金可能なモノとしての扱い、妻の貸し出し、職業からの排除、ハーレムの存在、男女間の規律(女は男に従うなど)、姦通罪など女性蔑視的なさまざまな決まりごとは、主として当時の中東地域の社会習慣や、ゾロアスター教が支配的だった時代の影響が大きいように見える。のちにこの地域で支配的になったイスラム教は、こういったベースの上に生まれ、また経典であるコーランもそれぞれの時代の権力者の「解釈」に大きく作用されたようだ。
ということで、まだアハメドの本は三分の一程度までしか読んでいないものの、基本的なものの見方として、今イスラム教独自の思想や習慣と思われている女性蔑視的な態度は、イスラム教やコーラン、あるいはムハマンドから生まれたというより、古い時代にさかのぼるこの地域の社会習慣や人々の思想の傾向とより強く重なる。これは一つの発見だった。
アハメドと同じく学者の書いた本ではあるが、もう少し論文調ではない本を1冊あげておきたい。レイナ・ルイスの「Muslim Fashion: Contemporary Style Cultures」(2015年)はタイトル通りムスリムのファッションの周辺を調査した本で、トルコ、イギリス、アメリカなどのファッションデザイナーやショップオーナー、ブロガーなどを数多くインタビューしている。ルイスはイギリスのファッションカレッジやアート大学で、カルチャラル・スタディーを教える教授である。
この2冊はともに英語による著作なので、日本語の本でアラブ世界を知る手がかりになりそうなものを紹介したい。『「アラブの春」の正体』(2012年)は、中東を専門とするジャーナリスト、重信メイの著作。重信メイは元日本赤軍リーダーの重信房子の娘である。2001年に日本国籍を取得し(それまで28年間無国籍だった)中東から帰国している。わたしは『秘密:パレスチナから桜の国へ 母と私の28年』(2002年)を最初に読んだのだが、その数奇な人生に驚きまた心打たれた。日本では犯罪者となっている(現在刑を受けている)母親の重信房子だが、アラブ世界では尊敬され支援される存在だったようだ。娘のメイはパレスチナ人活動家の父親との間に生まれ、生地であるレバノンを中心にアラブ世界で生活してきたという。アラビア語と英語、それに日本語を使い、今もシリア、レバノンなど中東地域に足を運びながら取材活動をしている。
重信メイの描く中東は、日本(あるいはアメリカなど欧米)のメディアで目にする視点とはかなり違う。『「アラブの春」の正体』の副題が「欧米とメディアに踊らされた民主化革命」とあるように、著者は欧米の主要メディアが伝えるアラブ関係のニュースには懐疑的である。のちに「ジャスミン革命」と呼ばれるようになったアラブの春の最初のムーブメント、チュニジアの民主運動は当初BBCやCNNはもちろん、アルジャジーラでさえあまり報道していなかったという。著者が最初にこの動きを知ったのは、焼身自殺事件が起きたチュニジアの友人たちのフェイスブックへの書き込みや写真、YouTubeの動画だった。ネット環境がアラブ諸国の中でも整っていたことが、チュニジアの民主運動に火をつけたと著者はみている。またリビアのカダフィやシリアのアサド大統領に対しても、日本での一般的な見方とは大きく異なる分析を著者はしている。中東政治が専門の学者、酒井啓子(ニューズウィーク日本版でコラム連載中)とはまた違った、かなり視点を低く置いた市民目線の重信メイのレポートや分析は貴重に思える。
イスラムのことがわかる、という意味でもう1冊、高野秀行の「イスラム飲酒紀行」をあげたい。高野秀行は人の行かない所に行って取材する、というノンフィクション作家だが、面白おかしく綴ることをモットーにしている人。それはこの「イスラム飲酒紀行」でも実行されている。大変な酒好きで酒がないと禁断症状が出る著者が、あえて禁酒が建前のイスラムの国々を訪れ、なんとかして酒を手に入れ飲もうという「冒険談」を綴った。多くの地元民と酒を介して触れ合い、また旅の合間に、イスラムの国々の男女の関係(公共の場では男は女性に対して召使のように仕える)などの実態も垣間見られ、これがイスラムの姿なのだろうか、、、と思いを新たにさせられる。
中東の姿を知るのに映画も参考になることがある。最近「雪の轍」というトルコ映画と「彼女が消えた浜辺」というイラン映画を見た。「雪の轍」は2013年のパルムドール受賞作で3時間に及ぶ大作。印象的だったのは主人公の中年の作家の男とその妹が、夜になると延々と思想あるいは哲学的話題を議論し続けるシーン。妹はこの映画の中で唯一、主人公に対して本音の厳しい発言や追求をする人物だ。また主人公が家を貸しているモスクの導師の態度、物言いは、イラン映画の登場人物を彷彿とさせる。キアロスタミやマフマルバフのような。多弁でいろいろ言いつづけるのだが、その論理はどこか奇妙でおかしく人間味があり、西欧的な四角四面さとは程遠い。イラン映画「彼女が消えた浜辺」の中で起きる複数の男女間の議論も、その傾向がある。女も男もよくしゃべる、決して黙っていない。「雪の轍」はセリフ劇と言ってもいい作品だった。原作はチェーホフだそうで、映画の作りも西洋を意識したものではあるが、溢れる言葉とその応酬は、この地域の文化の核をなすもののようにも見える。
こんな風にして、今わたしはアラブ、イスラムの世界を知る旅をつづけている。散発的、思いつき的でまとまりのなり旅だが、長い時間をかけてゆっくり深く知っていきたい。最後にもう一人、日本でも著作が翻訳されている作家で人権活動家のナワル・エル・サーダウィについて。中東、アフリカ関係のジャーナリストであるナイジェリア出自の記者ミナ・サラミのブログで知った、エジプトのフェミニスト作家である。『女子刑務所-エジプト政治犯の獄中記』を少し読んだが、きっぱりとした強い態度でものを書き行動する素晴らしい女性と感じた。現在84歳、ミナのブログにあったモノクロのポートレートが絶品だった。こういう顔に将来なりたい、と思わせるような知的で、強くて、美しい写真だった。
http://www.msafropolitan.com/2015/09/nawal-el-saadawi-upcoming-talks.html