セックスワーカー:差別や人権という観点から
セックスワーカーとは、俗に「風俗」と呼ばれる業界で働く人のことを指す。ここ最近は女性の貧困問題と結びつけて語られることも多くなった。それは離婚やDV(夫婦間などの暴力)、その他の理由で生活に支障をきたしている女性が、収入を得る最後の手段として風俗で働くことを選択する場合があるからだ。
わたしは最近、2冊のセックスワーカーに関する本を読み、未知の世界を知った思いを経験した。「風俗」という業界、あるいはそこで働く人、そこに通う人、そのどれに対してもある程度の「偏見」が自分にはあった。無知ということがまずあるわけだが、特に関心をもったことはなく、ただ漠然とグレーなイメージをもっていたように思う。それが『性風俗のいびつな現場』(坂爪真吾著、2016年、筑摩書房)を読んで、その偏見の持ち方は明らかに正しくないことがわかった。性風俗が「あってはいけないもの」として、見えない裏の社会に追いやられることで、犯罪や病気を含めた様々な問題を発生させているとしたら、それはもう「表」社会の問題でもある。
近年この業界で起きた大きな出来事として、2004年の繁華街浄化作戦があげられるそうだ。東京都や警視庁などが一体となり、無届けの店舗型風俗店を取り締まったため、近県も含む風俗街が壊滅状態になったという。それにより店舗型ではないデリバリー式のサービスが生まれ、宣伝や集客はインターネットで行われるようになった。つまりリアル社会、街の中から姿を消し、より見えにくいところへ姿を消したということだ。
デリバリー型サービスの問題点は、店舗に客を集めるのと違って、ラブホテルなど外部の施設をつかうため、風俗店の経営者、管理者の目が届かず、ワーカーの身の安全が保障できないところにある。店舗内で接客するのであれば、何かあれば従業員が気づいて助けに行ったり、警察を呼ぶこともできる。しかしワーカーが一人で外部施設に派遣されて接客する場合、自分で自分の身を守るしかなくなる。つまり働き手にとっては、著しく労働条件が悪化したことになる。性風俗にかぎらず、実在するものを表面上浄化すると、裏に隠されることによって状況をさらに悪化させることはある。このことからも自治体や警察が、現状の実態を改善しようとして浄化をはじめたのではなく、目障りなものを消すことだけを考えて実施したことがわかる。ホームレスの人々を公道や公園から追い立てるのと同じ手法だ。その意味で自治体としての東京都が、福祉に関して、かなり低いレベルにあることが浮かびあがる。
風俗と福祉はまるで違った世界のように見えるかもしれない。しかし風俗店が弁護士や社会福祉士などの協力を得て、在籍女性の無料生活・法律相談をするなどの試みも、一部ではあるが行われているようだ。ソーシャルワークと風俗店の連携の見本といっていいだろう。ワーカーたちが安全に健康に働けることを保障するには、社会全体で取り組まなければならないことがわかる。『性風俗のいびつな現場』の著者坂爪真吾が代表を務めるセックスワーカーを支援する団体ホワイトハンズは、毎年「セックスワーク・サミット」を開催し、「セックワークの社会化」を模索している。「これからのセックスワーク(性風俗労働、売春労働)のあり方、進むべき方向性を議論するサミット」とのことだ。
ここまで読んで、「しかし売春という行為は、社会的に許されることなのか」という疑問が浮かぶかもしれない。性労働に対して対価をもとめる売春が、良いか悪いかを判断する基準として、たとえば倫理意識や宗教観などがある。しかし何を基準にするにしろ、整合性のある判断や万人に受け入れられる合意は果たして可能だろうか。そしてもし、セックスワーカー自身がこの職業を自分の能力の発揮の場と考え、そこで幸せを感じていたとしたら。法的な禁止や行為に対する犯罪性を主張するなら、その人たちをも納得させなければならないだろう。
そんな人間がいるのか、みんな仕方なくそれしかできないから風俗で働いているのだろう、と言う人には水嶋かおりん著『風俗で働いたら人生変わったwww』をお薦めする。著者は風俗で働くことによって、少女時代に負った精神的な欠損、ミサンドリー(男性嫌悪)を克服できたと書いている。水嶋は自身が風俗嬢として働くだけでなく、風俗嬢の講師もしている。この世界を生き抜くには、仕事上のスキルだけでなく、人生設計上のたくさんの知識が必要なのに、それを取得する機会や機関がどこにもない、と彼女は主張する。確かにどんな職業でも、プロとして高いレベルを保ち、自分の利益に結びつけるためのノウハウは必要だ。風俗嬢もその点は同じ、と水嶋は考えているようだ。
売春の存在の善悪に関して考えているとき、あることに気づいた。ヨーロッパの多くの国では売春が合法化されている、という事実。ドイツで2002年に売春が合法化された、という話を聞き、他の国も調べてみると、デンマークは1999年に、オランダは2000年に、他の多くの国々もウィキペディアによると合法化されている。国により売春は合法だが斡旋業は非合法とか、売春は合法だが買春は非合法など条件が違っていたりもする。国際的な人権団体アムネスティ・インターナショナルは、2015年に売買春の合法化を支持する方針を決定し、数日前の5月26日、セックスワーカーを暴力や人権侵害から守るためのポリシーを(パプアニューギニア、香港、ノルウェー、アルゼンチンでの実態調査報告とともに)発表した。このように世界的な潮流として、売春の存在を社会的に認めることで、セックスワーカーの人権を向上させ、犯罪や性病をなくそうとしていることがわかる。
水嶋かおりんに話を戻すと、彼女が主張するもう一つのことは、現在セックスワーカーとして働いている人の転職への道を開くこと。性風俗が社会化することで、社会の日陰者でなくなり一労働者としての自信がもてるようになれば、(他の職業の誰もしているように)別の働き方を模索したり、実際に兼業で働いてみることで、この職業にだけ縛られることがなくなる。サッカー選手と同様、セックスワーカーも年齢の壁があるという。セカンドキャリアの可能性が見つかれば、将来が明るくなり、今の仕事をつづけながら人生設計が組めるだろう。そのような健全さは、セックスワーカーにかぎらず必要なことだ。
このようなことが可能になるには、社会全体がセックスワーカーに対する差別觀をもたないようにする必要がある。会社の経営者レベルだけでなく、同僚としていっしょに働くかもしれないすべての人間が、「元風俗嬢」を単に他業種から転職してきた人、と受けとめることが求められる。難しいことだろうか。そうかもしれない。しかし業界外にいる人が、つまり一般表社会で暮らす人々が風俗に対する偏見をなくすことで、セックスワーカーたちの未来が明るくなるのであれば、努力してみる価値はあるのではないか。偏見をなくすことが社会貢献となるのだ。
最後にこのテーマで参考になる記事をいくつかあげたい。
新しいセックスワークの語り方―― 風俗、援デリ、ワリキリ…、同床異夢をこえて(水嶋かおりん×鈴木大介×荻上チキ)
風俗嬢の『社会復帰』は可能か?セックスワーク・サミット2012(要友紀子 / SWASH)
風俗の安全化と活性化のための私案――セックスワーク・サミット2013
アムネスティ・インターナショナルが発表した、セックスワーカーを暴力や人権侵害から守るためのポリシー(2016年5月26日)
わたしは最近、2冊のセックスワーカーに関する本を読み、未知の世界を知った思いを経験した。「風俗」という業界、あるいはそこで働く人、そこに通う人、そのどれに対してもある程度の「偏見」が自分にはあった。無知ということがまずあるわけだが、特に関心をもったことはなく、ただ漠然とグレーなイメージをもっていたように思う。それが『性風俗のいびつな現場』(坂爪真吾著、2016年、筑摩書房)を読んで、その偏見の持ち方は明らかに正しくないことがわかった。性風俗が「あってはいけないもの」として、見えない裏の社会に追いやられることで、犯罪や病気を含めた様々な問題を発生させているとしたら、それはもう「表」社会の問題でもある。
近年この業界で起きた大きな出来事として、2004年の繁華街浄化作戦があげられるそうだ。東京都や警視庁などが一体となり、無届けの店舗型風俗店を取り締まったため、近県も含む風俗街が壊滅状態になったという。それにより店舗型ではないデリバリー式のサービスが生まれ、宣伝や集客はインターネットで行われるようになった。つまりリアル社会、街の中から姿を消し、より見えにくいところへ姿を消したということだ。
デリバリー型サービスの問題点は、店舗に客を集めるのと違って、ラブホテルなど外部の施設をつかうため、風俗店の経営者、管理者の目が届かず、ワーカーの身の安全が保障できないところにある。店舗内で接客するのであれば、何かあれば従業員が気づいて助けに行ったり、警察を呼ぶこともできる。しかしワーカーが一人で外部施設に派遣されて接客する場合、自分で自分の身を守るしかなくなる。つまり働き手にとっては、著しく労働条件が悪化したことになる。性風俗にかぎらず、実在するものを表面上浄化すると、裏に隠されることによって状況をさらに悪化させることはある。このことからも自治体や警察が、現状の実態を改善しようとして浄化をはじめたのではなく、目障りなものを消すことだけを考えて実施したことがわかる。ホームレスの人々を公道や公園から追い立てるのと同じ手法だ。その意味で自治体としての東京都が、福祉に関して、かなり低いレベルにあることが浮かびあがる。
風俗と福祉はまるで違った世界のように見えるかもしれない。しかし風俗店が弁護士や社会福祉士などの協力を得て、在籍女性の無料生活・法律相談をするなどの試みも、一部ではあるが行われているようだ。ソーシャルワークと風俗店の連携の見本といっていいだろう。ワーカーたちが安全に健康に働けることを保障するには、社会全体で取り組まなければならないことがわかる。『性風俗のいびつな現場』の著者坂爪真吾が代表を務めるセックスワーカーを支援する団体ホワイトハンズは、毎年「セックスワーク・サミット」を開催し、「セックワークの社会化」を模索している。「これからのセックスワーク(性風俗労働、売春労働)のあり方、進むべき方向性を議論するサミット」とのことだ。
ここまで読んで、「しかし売春という行為は、社会的に許されることなのか」という疑問が浮かぶかもしれない。性労働に対して対価をもとめる売春が、良いか悪いかを判断する基準として、たとえば倫理意識や宗教観などがある。しかし何を基準にするにしろ、整合性のある判断や万人に受け入れられる合意は果たして可能だろうか。そしてもし、セックスワーカー自身がこの職業を自分の能力の発揮の場と考え、そこで幸せを感じていたとしたら。法的な禁止や行為に対する犯罪性を主張するなら、その人たちをも納得させなければならないだろう。
そんな人間がいるのか、みんな仕方なくそれしかできないから風俗で働いているのだろう、と言う人には水嶋かおりん著『風俗で働いたら人生変わったwww』をお薦めする。著者は風俗で働くことによって、少女時代に負った精神的な欠損、ミサンドリー(男性嫌悪)を克服できたと書いている。水嶋は自身が風俗嬢として働くだけでなく、風俗嬢の講師もしている。この世界を生き抜くには、仕事上のスキルだけでなく、人生設計上のたくさんの知識が必要なのに、それを取得する機会や機関がどこにもない、と彼女は主張する。確かにどんな職業でも、プロとして高いレベルを保ち、自分の利益に結びつけるためのノウハウは必要だ。風俗嬢もその点は同じ、と水嶋は考えているようだ。
売春の存在の善悪に関して考えているとき、あることに気づいた。ヨーロッパの多くの国では売春が合法化されている、という事実。ドイツで2002年に売春が合法化された、という話を聞き、他の国も調べてみると、デンマークは1999年に、オランダは2000年に、他の多くの国々もウィキペディアによると合法化されている。国により売春は合法だが斡旋業は非合法とか、売春は合法だが買春は非合法など条件が違っていたりもする。国際的な人権団体アムネスティ・インターナショナルは、2015年に売買春の合法化を支持する方針を決定し、数日前の5月26日、セックスワーカーを暴力や人権侵害から守るためのポリシーを(パプアニューギニア、香港、ノルウェー、アルゼンチンでの実態調査報告とともに)発表した。このように世界的な潮流として、売春の存在を社会的に認めることで、セックスワーカーの人権を向上させ、犯罪や性病をなくそうとしていることがわかる。
水嶋かおりんに話を戻すと、彼女が主張するもう一つのことは、現在セックスワーカーとして働いている人の転職への道を開くこと。性風俗が社会化することで、社会の日陰者でなくなり一労働者としての自信がもてるようになれば、(他の職業の誰もしているように)別の働き方を模索したり、実際に兼業で働いてみることで、この職業にだけ縛られることがなくなる。サッカー選手と同様、セックスワーカーも年齢の壁があるという。セカンドキャリアの可能性が見つかれば、将来が明るくなり、今の仕事をつづけながら人生設計が組めるだろう。そのような健全さは、セックスワーカーにかぎらず必要なことだ。
このようなことが可能になるには、社会全体がセックスワーカーに対する差別觀をもたないようにする必要がある。会社の経営者レベルだけでなく、同僚としていっしょに働くかもしれないすべての人間が、「元風俗嬢」を単に他業種から転職してきた人、と受けとめることが求められる。難しいことだろうか。そうかもしれない。しかし業界外にいる人が、つまり一般表社会で暮らす人々が風俗に対する偏見をなくすことで、セックスワーカーたちの未来が明るくなるのであれば、努力してみる価値はあるのではないか。偏見をなくすことが社会貢献となるのだ。
最後にこのテーマで参考になる記事をいくつかあげたい。
新しいセックスワークの語り方―― 風俗、援デリ、ワリキリ…、同床異夢をこえて(水嶋かおりん×鈴木大介×荻上チキ)
風俗嬢の『社会復帰』は可能か?セックスワーク・サミット2012(要友紀子 / SWASH)
風俗の安全化と活性化のための私案――セックスワーク・サミット2013
アムネスティ・インターナショナルが発表した、セックスワーカーを暴力や人権侵害から守るためのポリシー(2016年5月26日)