フゥー‼︎ 非言語コミュニケーションの威力
今年のユーロ(UEFA欧州選手権、6月~7月)で試合とは別に、印象に残るパフォーマンスを見た。それは最初アイスランド代表チーム(とサポーターの間)で起き、その後トーナメントに入ってから、他の代表チームにも伝染していった。拍手(手拍子)と声による応援という形でまず、アイスランドのサポーターたちの間で起きたものだった。
両手を肘をのばした状態で肩幅より広くかかげ、その姿勢で一定の「間」をとったのち、「フゥー!!」という息を吐き出すような掛け声と同時に両手を頭の上で合わせて打ち鳴らす。手拍子のあと手を元の位置に戻し(広げて掲げ)、また一定の間をとり、同じように「フゥー!!」の掛け声とともに両手を打ち鳴らす。それを繰り返すのだが、手拍子と手拍子のあいだの「間」を徐々に縮めていくことで、アクセルを踏んだような、音楽用語でいうアッチェレランドの効果を生み、興奮を高め早る心をぐんぐん回転させ、最後は手拍子の連打になだれこみクライマックスに到達する。
わたしがこのパフォーマンスに気づいたのは、グループリーグの第3戦、オーストリア対アイスランド戦の試合後だった。このときにはまだ、このパフォーマンスのことはほとんど話題にのぼっていなかったように思う。このグループ(F)は大会前にそれほど注目された組み合わせではなかったが、優勝したポルトガル、ここ最近FIFAランキングを10位とあげてきたオーストリア、W杯などではなじみはないものの20位とそれなりのハンガリー、それにユーロ初出場の新顔アイスランドの4チームでの争いとなった。グループリーグの結果は、意外なことにハンガリーが1位、アイスランドが2位、ポルトガルが3位という結果で、この3チームが決勝トーナメントに残った(3位はA~Fの各グループから、上位4チームが進出)。第2戦が終わったところで、ハンガリーが抜けていたが、他の3チームはどこが残れるかまったくわからない状態だった。
ここまでのアイスランドの戦いは、ポルトガル、ハンガリーそれぞれに引き分けており、勝ち点合計は2だった。残りの2チームもそれぞれ勝ち点2と1だったので可能性は十分あったが、第3戦で負ければ敗退となっただろう。引き分けであればまだ可能性はあったが、確実なのは勝って勝ち点を2+3=5とすることだった。第3戦の相手はオーストリア。メンバー的に言えばオーストリアはバイエルンミュンヘンの選手がいるなど、アイスランドを凌いでいた。そんな中、アイスランドは素晴らしいプレーぶりを見せ、観衆やサポーターをおおいに沸かせて勝利した。決勝点となったゴールは終了間際の94分(追加タイム)だっただけに、その興奮度はそこで頂点に達した。
ゴール直後に試合終了のホイッスル。抱き合い喜ぶ選手や監督、チームスタッフ。選手たちがアイスランドのサポーター席の前まで行って陣形をつくって並び、「フゥー!!+ 手拍子」がはじまった。最初、選手たちが観衆の方に向いてそろって並び、両手を掲げている格好を見て、何をしているのだろう、と思った。そしてはじまった手拍子パフォーマンス。しかしそのときは、なんか変わったことをやっているな、で終わった。
そして決勝トーナメントの第1戦。初出場でグループリーグ抜けしただけでもサプライズだったアイスランドが、優勝候補の一角とも言われていたイングランドと対戦した。試合がはじまってすぐにイングランドにPKを与えてしまい失点したものの、アイスランドはその2分後には同点打。さらに前半のうちに決勝点となるもう1点を追加し、それを最後まで守りきって準々決勝に進んだ。試合終了後、呆然とピッチに座り込むイングランド選手たちを尻目に、アイスランドの選手たちがスタジアムのアイスランド・サポーター席の前にずらりと陣形をつくって並んだ。そのときオーストリア戦で見たあのパフォーマンスのことが蘇った。あれだ! あれがはじまる! 選手たちがピッチで、そしてスタジアムのたくさんのサポーターが立ち上がり、両手を掲げる。第1打が打たれるまでの間が、異様に長く感じられた。今回は明らかに、長いあごひげのチーム・キャプテンが音頭をとっているように見えた。そのキャプテンが両手を掲げ、第1打をうつ間をはかり体勢を整えた。間を十分にとっているように見えた。
フゥー!! バン!..................... フゥー!! バン!................. フゥー!! バン!............
予想外の快進撃(多くの人がイングランド有利と思っていただろう)を果たしたこの瞬間、これほどピタリとくるパフォーマンスは他に思いつかない。
フゥー!! バン!........ フゥー!! バン!.... バン!バン!バン!バン!バン!
海外のメディアはもちろん、日本のメディアや放映をしていたWOWOWのハイライト番組でも話題になり、WOWOWのアナウンサーや解説者が番組終了時に「ではみなさんもごいっしょに」といってこのフゥー!! バン!を揃ってやってみせたほどの感化ぶりだった。
このフゥー!! バン!は、Icelandic viking thunder clap(アイスランドのバイキングのカミナリ手拍子)のように呼ばれ、オリジナル探しが海外メディアを中心にはじまった。フゥー!!という掛け声やどこか原始的なムードをかもしだす一連の手拍子から、フォークロア的なものと予測されたのかもしれない。いずれにしても言語や文化の違いを超えて、この非言語パフォーマンスが多くの人々の心に響いたことは間違いない。それはそのパフォーマンスが行われた状況、アイスランド代表チームの素晴らしい活躍を抜きには起こり得ないことだと思うが。面白いのは、このパフォーマンスが他の代表チームにも「伝承された」あるいは「伝播した」ことだ。アイスランドの準々決勝の相手、ユーロ開催国であるフランスも、アイスランドに勝ったあと、サポーターや選手がこのパフォーマンスをやっていた。ユーロ初出場のウェールズも準々決勝でベルギーに3-1で驚きの勝利をし、このパフォーマンスをやったと聞いている。
これは勝利のパフォーマンスなのか。いや違う。アイスランドはフランスに負けたあと、同じようにサポーター席の前に集合し、陣形をつくり、フゥー!! バン!をやって、応援感謝の意を表した。どうするのだろうと思っていただけに、それもまた感動的なシーンとなった。一方、フランスは決勝戦でポルトガルに負けたあと、落胆からか、このパフォーマンスをすることはなかった。
アイスランドがはじめたこの特徴あるパフォーマンス、声と手拍子という単純な構成ながら、観衆と選手、チームが一体になれたフゥー!! バン! やりたいひと誰もが参加でき、敵対する相手でさえやってみたくなる、自分たちのヴァージョンでやってみようとするパフォーマンス。この広がりを、広がり方をとても新鮮なものに感じた。
のちに英語圏のメディアを調べたところ、この応援手拍子の元は、スコットランドのクラブチームMotherwellのサポーターの応援パフォーマンスにあった。アイスランドのクラブチームStjarnanがスコットランドに遠征試合に行ったとき、サポーターがこれを見て、自分たちのチームに取り入れた。それが代表チームに伝わったものらしい。「古代のバイキングの戦闘前の儀式」ではないかと思われていたものは、スコットランドから伝わったものだった。そしてユーロという4年に一度のヨーロッパ王者を決める大会で、フランスやウェーズも巻き込み、2016年のユーロの注目の出来事の一つになった。
人間のコミュニケーションにおいて、さらには動物全体のコミュニケーションにおいても、このような言語を介さない伝播は広くつかわれている。動物の場合は「言語」といったとき、人間的な視点からはそれを言語と呼ぶか議論が分かれる場合もあるかもしれないが、人間の場合は、言語といえば、発声されたり書かれた言葉、あるいは手話による言葉を指している。非言語コミュニケーションにはいるものは、身ぶりや視線、表情、からだの体勢、声のトーン、大きさ、イントネーション、呼吸などで、服装や髪型もこの中に含められるそうだ。服装は、ウィキペディア英語版によれば、「もっとも普通に見られる非言語コミュニケーションの形」であると定義されている。
非言語だからといって、それが言語や文化の影響を受けないということではない。場合によっては言語と同等の違いや境界をあらわす。たとえば欧州や南米のサッカーの試合で、何かのきっかけで選手同士が敵対意識をあらわにするとき、頭と頭を付き合わせることがある。手をつかうと(相手をたたくなど)反則をとられる、ということもあるかもしれないが、この対決(攻撃)体勢は欧州を中心とする文化圏の非言語コミュニケーションとして成立しているのだと思う。
服と同様にタトゥー(刺青)も、非言語コミュニケーションの一部かもしれない。世界中にタトゥーの文化はあるが、その意味は地域によって異なるようだ。日本ではヤクザのものというイメージが定着していたので、今もその名残りが強く、温泉や銭湯ではその部分を隠すことになっていて、従わないと入場拒否されると聞いている。欧州や南米ではタトゥーはそれほど反社会的なものではないようだ。女性がファッションとして腕や首などにしているし、サッカー選手にいたっては片腕まるまるといった大掛かりなカラーのタトゥーをしている人も多い。あのメッシも腕と足に「袖」か「タイツ」のような全面タトゥーがある。アジアの選手にはほとんどいないが、中国の選手には南米なみのタトゥーの人がいる。わたしの知る中でもっとも意外性のあるタトゥーの主は、ポルトガルのピアニスト、ジョアン・ピリス。クラシックの演奏家で現在70歳を超えている。ブラジルに移住し、NHKのピアノレッスン番組でユニークな教授法を見せて人気だった人だ。この人がどちらの手首か忘れたが、片手首に小さな黒いタトゥーを入れいている。何かの思い出なのか、誰かに捧げるものなのか、クラシック音楽という文脈の中で見ると、なおのこと印象的で神秘的だ。
このように言語を介さない非言語コミュニケーションの場合も、普遍的な伝わり方をするとは限らず、その受け止められ方は文化や社会の影響を強く受ける。そう考えると、あのアイスランドの応援&感謝パフォーマンスが、文化や言語の違いを超えて伝わり、一気に広がったのは稀有なことに思える。ある限定された時と場とシチュエーションが、人々の心をダイナミックに統合した理由かもしれない。そこに見たものは、おそらく「一国の枠内におさまる伝統や美意識」といったものとは対極にあるものではないか。だから伝播したのだ。