20160830

オリンピックどうでした?

リオオリンピックは日本ではどのくらい楽しまれたのだろう。テレビの実況や新聞の報道を覗いた感じでは、相当もりあがっているように見えた。NHKをはじめとするテレビ(ラジオもあったようだ)では地上波、BSどちらも一日中といっていいくらいライブや録画を放映していた。新聞については一面から社会面まで、べったりブチ抜き記事も含め、オリンピック(特に日本のメダル獲得)のニュースで埋め尽くされていた。2020年に東京でオリンピック開催が決まっていることの影響があるのかもしれない。しかし日本に住む住人のどれくらいの人が、このオリンピック一辺倒のやり方も含めて、この大会を心から楽しんでいたかは不明だ。

オリンピックは国際スポーツ大会の一つに過ぎないし、そもそもオリンピックはオリンピック憲章によれば、国ごとのメダル数を数えたり、誇ったりするものではないという。国際オリンピック委員会は、国ごとのメダル数を数えることを禁止もしている。オリンピックとは個々の選手やチームの健闘を称えるものであって、国ごとの競争ではない、ということらしい。オリンピックへの参加度は、スポーツの能力だけでなく、その国の経済事情が影響し、かなりバラつきがあるようだ。日本は経済的に豊かで、また「国体」を重要視する国なので、オリンピックへの参加度は高く、「国としての参加」の側面がかなり強い。だから禁止されているにも関わらず、日本のオリンピック委員会は堂々「2020年の大会では、メダル数で3位になることが目標」などと、オリンピック憲章に反する発言をしている。

6月にこのブログで「スポーツ小国、ニッポン」という記事を書いたが、オリンピックが終わった今、ますますそれを強く感じる。あれは(オリンピックの日本のテレビ放映と新聞の記事の扱い)は、スポーツ報道というより、国威の誇示の典型のように見えた。niftyニュースによると、NHKの番組『おはよう日本』では、「五輪開催5つのメリット」として「国威発揚」を挙げていたという。確かに安倍内閣の憲法改正案では、「個人」より「国体」を重視するという内容の変更が「前文」に起きているのだから、国営放送がそう発言しても驚くことではないのかもしれない。そのような国なのだ。でも一人一人の市民(国民)はどうか、オリンピック=国威発揚に同意したり、共感をもったりするだろうか。

わたしはオリンピック自体にはさほど興味がないので、見た競技数は非常に少ない。見ようと思って見たのは、サッカーとテニスくらいだ。男子400mリレー決勝と水球の一試合はたまたま目にしたが。それ以外ほとんど見ていない。テレビのニュースも見ないのでハイライト映像も見ていない。これが特殊なのか、まあそうなのかもしれないが、よくわからない。

違和感を感じたのは、テレビの放映が日本戦に集中していたこと、そして新聞の(日本の)メダル獲得の記事が、第一面からスポーツ、社会面にまで渡って、大見出しと特大の写真で何度も繰り返されたこと。時差の関係でまず夕刊で2、3回、朝刊で2、3回。一つのメダル獲得記事が、およそ数回紙面を占めていた。まるで何倍もの数のメダルをとったようだ。通常、第一面は国内外の大きな事件や事故、戦争開始や重大な政治的決断、法改正などの最重要事項を扱うものだと思うが、そこに「金、金、金」のような踊る特大文字と、特大の写真入り記事が連日のようにあった。スポーツ新聞のようなイメージ。スポーツ面はもっとすごいが、まあスポーツ面ということで大目に見たとして、さらに社会面でも、大きな文字とぶち抜き写真でメダル獲得の記事は繰り返された。しかし内容的にはあまり実がない。スポーツジャーナリズムとして見ると、視野が狭く、情報量も少なく、日本サイドに偏った内容がほとんどで、記事のレベルは低いと思った。スポーツではなく、国威発揚の記事ということなら、そんなこと知ったことではないのかもしれないが。

テレビの放映については、EPGで夜中のサッカーやテニスの試合を録画しようとしても、日本戦以外は、ベタで5時間くらいの一つの(他の競技と混合の)番組登録になってしまい、個別の試合の予約ができなかった。また個別に予約できる場合も、再生してみると、試合最初の10分が欠けていたり、終わりの30分が切れていたりした。日本戦はこんな扱いは絶対にしない。それでも他国の試合を中継するだけでも良いほうで、多くの試合は見ることができない。今回、NHKなどのネットでライブが見られることを発見し、サッカーの韓国、ホンジュラス戦を見ることができた。これは良い方法だと思う。ただし見れるのはライブのみようで、録画映像をあとで見ることはできなかった。

テレビ放映で自国の試合に偏ってしまうのは、ある程度は仕方のないこととは思う。しかしもう少し工夫があっていいと思うし、日本在住の外国人のためにも、日本が関係しない試合のプログラムを組めないものかと感じる。日本のテレビ放映、日本の新聞を見ていると、オリンピック全体が見えない。オリンピックの競技といえば、柔道であり、体操であり、レスリングであり、平泳ぎであり、マラソン(最近はダメだが)ということになる。実際はもっとたくさんの競技がオリンピックにはある。それを知り、発見し、楽しむ機会が、日本では奪われている。東京オリンピックではホストシティとなるが、この状況は変わらないのだろうか。

サッカー以外では、テニスの決勝戦を見た。サッカーもそうだが当初は、日本が敗退した場合は、試合の放映は決勝までしない(あるいは未定)となっていてがっかりした。テニスの決勝はアンディ・マレーとデルポトロだった。テニスのオリンピックの試合は、四大大会とは異なり、著名なスター選手ではない人が金メダルをとるケースが歴史的に多い。四大大会では優勝経験のないチリの選手が、金メダルをとったりもしている。現世界1位でチャンピオンとして名高いジョコビッチも、数々の大会を制覇してきたフェデラーも金メダルをとっていない。前提としてオリンピックのテニス(サッカーもそうだが)は、通常の大きな国際大会とは違うものと思って見る必要がある。スポーツをあまり見ない人にとっては、オリンピックこそ世界一を決める大会と思っているかもしれないが、競技によってはそれは当たらない。

今年のテニスの決勝戦は、現在世界ランク2位のイギリスのアンディ・マレーと、世界ランク141位のアルゼンチンのデルポトロだった。マレーはロンドン大会でも優秀しているし、これはオリンピックだからデルポトロが勝つかなと期待していたが、マレーの連勝だった。連勝はオリンピック史上、初めてのことらしい。この決勝戦は見ていてかなり面白かった。フルセットにはならかったものの、4セット中2セットはタイブレークになった。世界ランク141位といえば、トップレベルの選手とは言えない。しかし、このオリンピックでは、デルポトロは第1戦でジョコビッチと当たり、7-6、7-6と2セットともタイブレークの接戦で勝っている。準決勝ではナダルと接戦を演じて、ここでも競り勝った。それでどのような選手なのか、ウィキペディアで調べてみた。

デルポトロは1988年生まれの27歳、錦織選手と同世代だ。実はまったく無名の選手だったわけではなく、20歳のときに全米オープンで優勝している(そうだったんだ!)。しかしその後、右の手首、左の手首をそれぞれ痛めて手術し、長期にわたりプレーしていない時期があったようだ。そのため世界ランクはガタ落ち。しかし2012年のロンドンオリンピックでは、準決勝まで進み、3位決定戦でジョコビッチに勝って銅メダルをとっている。そして今年の決勝戦と銀メダル。オリンピックのテニスは、こういった下位にいる選手が復活し、なんとか競り勝ってメダルを得ることが可能な大会なのだ。錦織選手の銅メダルも、そういう文脈の中にある。錦織選手は世界ランク10位内に入るトップレベルの選手と言えるが、四大大会やATPマスターズでの優勝経験はない。そういう選手にもメダルの可能性があるのがオリンピックのテニスだ。

20歳で全米オープン優勝ということは、デルポトロは当時、才能ある若手選手だったのだと思う。怪我のために棒に振ったキャリアを、オリンピックで取り戻せたのは素晴らしい。しかもジョコビッチやナダルを破っての銀メダルなのだから。日本の報道では「ジョコビッチの目に涙」と世界ランク1位の初戦敗退を報じていたが、ノーシードから勝ち上がったデルポトロの奮闘には、まったく触れられていなかった。そこには取材すれば、語られるべきストーリーがたくさんあっただろうに。スポーツジャーナリズムの記事の種としては、十分な素材と思われた。実はストーリーどころか、決勝戦の結果は、新聞のスポーツ欄の囲み記事で小さく報じられただけだった。そのページにデカデカとあったのは、錦織選手の銅メダルの記事。もちろん朝夕刊合わせて数回、第一面から社会面にいたるまで、繰り返しデカデカと写真入りで。決勝の記事は、見逃すほど小さなもの、それも1回のみ。これは何を意味しているかと言えば、オリンピックのテニスとは、日本人選手(錦織)のことであり、メダルメダルと騒ぎはするが(日本にとって)大会自身はたいして意味がない、ということだ。誰がどんな風に優勝しようが、どうでもいいという。決勝戦の記事の扱いはそのことを示している。

このような報道や試合の実況の中で、スポーツの国際大会としてのオリンピックを楽しむのは難しいことだ。子どもたちもオリンピックとは、スポーツを楽しむというより、日本人の活躍に沸き、日本人を応援することだと解釈するだろう。日本国という「国体」や愛国心の必要性こそが、子どもたちに伝えるべきことなのだ。

20160816

日々推敲

この秋出版予定の『イルカ日誌:バハマの海でマダライルカたちと25年』(仮題)の翻訳の最終段階に入っている。全文を細かな点に注意しながら推敲をしている。

1冊の本を丸ごと訳すときは、だいたい第1稿は大掴みに訳し、不明な部分があった場合も深追いせずに、とりあえず最後まで一度たどり着くことに努める。不明なところも、全部訳し終えるとわかることがある。

次の第2稿は素読みをする。なるべく日本語として理解しやすいように、手を入れていく。

第3稿では、改めて頭から原文と突き合わせをして、間違っているところ、原文の意図とかみ合わない部分、思い違いなどに修正を入れ、文中に出てくる地名、書籍の名前、人名の発音などその他いろいろ詳細を調べ、確認しながら改良を加える。ここまでで第一段階。

そのあとの第二段階は、ひたすら推敲をする。書法や名称の記法の統一、事実関係の調査などは主にここでする。

日本語の書記法は必ずしもルール化されていないので、自分で決めるしかないのだが、自分の中でもいつも同じルールが働いているわけではないので、統一しようとすれば結構やっかいだ。

あるいはすべてを統一すべきかどうか、という問題もある。考え方次第かもしれない。無頓着にそのときの気分で書法、記法をころころ変えることで、読む人をとまどわせたり、深読みさせたりするようなことは避けたいと思うが。

もともと漢字だらけの文章は苦手で、できれば、特に動詞はひらいて書きたいが、前後関係でひらがながつづく場合は読みにくくなるので、漢字を適度に交えたい。そうすると「いま」と書く部分と「今」と書く部分ができてしまう。「いま」と「今」はニュアンスが違うことを表しているのか、と思われたくはないが、場合によってそうすることにしている。

一つの本の中では表記は厳密に統一されているべきだ、という考え方もあるだろう。しかし部分部分の便宜性から見れば、無理に統一するより、それぞれの文を読みやすくした方がいいという考え方もあっていい。そのほうが自然かもしれない。はっきりとした記憶ではないが、確か須賀敦子さんが、この件について、かなり自由度の高い意見を書いていた記憶がある。

ただし地名の表記などは、統一した方がいいと思う。同じ場所であることを示す意味で。「リトルバハマバンク」とするか「リトル・バハマ・バンク」とするか、一つに決めた方がいい。今はデジタル原稿であれば、検索と置換で簡単に統一できるのだから。

今回は、英語が母語の友人に声をかけ、万が一の場合のヘルプを頼んでおいた。そのうちの一人に1つだけ質問を送ってみたが、半分だけ役立った。結局のところ、英語の問題というより、ある描写をどのように想像するか、という問題だったのだが。(マリーナにあるold jettyが、コンクリートでできた海に突き出た突堤のようなもの、という点がはっきりしたことはよかった。こういうことは辞書で調べても、状況がわかりにくい)

第2段階の推敲が終わったところで、他者に素読みを依頼する。今回は一般読者を想定した人と、海洋生物学を研究調査する人の2者に頼む予定だ。後者は日本の近海で実際に海にもぐって、イルカの調査をしている人である。紹介者を介さない未知の人だったが、メールでお願いをしたら、快く引き受けてくださった。

この二人に草稿を読んでもらっている間に、本のデザイン作業をする予定だ。PODの紙の本とKindleの本と両方だ。読んでもらった二人からコメントをもらい、直した方がいい部分が出れば、修正をする。そしておそらく、最終的にもう一度、頭から読み直すかもしれない。それはデザインに入れ込んだもので読むと思う。

先日、原著の版元の担当者に、本の中でつかわれている写真について質問のメールを送った。ペーパーバックの本には、15枚程度のカラー写真が入っている。内容を説明し補足する写真で、主として著者や研究員が撮ったもの。日本語版でこの写真の使用ができるか問い合わせたところ、デジタルデータの場合、1点につきそれなりの料金がかかるという。15点となると相当な金額になってしまう。

向こうの提案で、本からスキャンしてつかうのなら料金はかからない、と言ってもらった。それでスキャナー(プリンター付きの)をつかってみたところ、高解像度(600dpi)でスキャンすると、紙のテクスチャーやモアレが出てしまうことがわかった。

葉っぱの坑夫の本の制作でいつもアドバイスをもらっているブックデザイナーのMさんに聞いたところ、網点が取れる設定をスキャナーにできればそれに越したことはないが、できない場合も、こういった学術的な(内容を説明する)写真は、きれいでなくとも載せたい方がいいと言う。情報を必要としている人は、どんな素材であっても、そこから必要なことを読み取ろうとするからだ。

アドバイスを受けて、写真の使用を決めた。PODの場合、本文ページはモノクロしか印刷できない。またPODは写真印刷は得意でなく、ドットが出たりもする。その後Photoshopの使い方を見ていたら、モアレを消す方法がわかり、修正をかけたらかなりきれいになった。おそらくPODでは問題ないだろう。またKindleでも、それなりの(おそらく遜色ない)表示ができると思う。

そのむねアメリカの版元に伝えた。この担当者はすぐに対応してくれ、こちらの低予算を考慮して代替案も示してくれるなど、かなり親切だ。名の知れた大手の出版社であるが、翻訳出版権取得の際も、終始丁寧に接してくれた。海外の企業や組織では比較的よくあることだが、紹介なしの見知らぬ者、貧乏な相手に対しても公平な扱いをする。ありがたいことだ。

8月、9月は、原稿の仕上げ(最終稿)とデザイン、さらに出版するための様々な雑務(書誌情報の作成から「なか見検索」のファイルづくりまで)をこなすことになる。うまく進めば10月中に出版ができそうだ。

版元との話し合いで、本の内容の一定量(10%程度)をウェブ上で公開してもよいことになっている。本の出版の前後に、公開の準備をするつもりなので、楽しみにしていただけたらと思う。

20160802

最近の活動、新しい本のことなど

このブログは「葉っぱの坑夫の活動日誌」という名がついていながら、活動のことを書くというよりは、そのときそのとき考えていることや気になっていることを記すことが多い。とはいえスタート当時(2003年10月12日)は、本の出版準備のことなど作業過程について、短い文を載せていた。最近は2週間に1回程度の更新で、3000字から4000字くらの比較的長い文を書いている。特に葉っぱの坑夫の活動と関係がないことが多いが、何かを考えたり調べたりと、そのときの関心ごとというのは、ウェブの作品や本づくりと(少なくともその中にある思想のようなものは)無関係とは言えない。

本をつくる、作品をつくる、ということは、いつも脳を活性化してよく動くよう、鋭敏に反応するよう土壌を整えておく必要がある。どんよりとカオス化した所からは何も生まれない。脳を鍛えるというか、考えるくせをつけたり、考えの幅を広げたり(脳の活動領域を広げる?)、理解しがたいことをなんとか自分なりに噛み砕いたりする習慣をつけ、それを文章にまとめることでさらに、考えをまとめたり、ある結論に到達したりというところまで行き着けるようにする。書く前にすべて決まっているのではなく、動機だけ携え、考えながら探りながら書く。書くことで考えが出てくる。書きながら、とりあえずの結論まで(行けるようなら)行く。書くからには事実関係が正確でなければならず、いろいろ調べる。調べると、思っていたことと違う事実が出てきて、それに導かれるようにして、到達点がどんどん変わっていく。知らなかった新しい地点に行き着けたりもする。

4000字前後というのはそこそこ長く、何かまとまったことを書こうすれば、それなりに詳細にも踏み込める。十分ではないかもしれないが。読む方にすれば、特にブログであれば、10000字というのは長くて負担かもしれない。4000字前後というのは決めてそうしていたわけでなく、ある一つのことを追って書こうとすると、だいたいそれくらいはいるということで、自然にそうなった。日本語では、ブログでも、新聞記事でも、雑誌記事でも、ウェブのテキストは短いことが多い。えっ、たったこれだけ? というものがほとんどだ。がっかりする。突っ込んだ議論に至らないものが多い。何故なのかな、と思う。英語圏の記事は、けっこう長いものが多い。日本語で、それなりに読み応えがあるものというと、シノドス(6000字くらい)や田中宇の国際ニュース解説(9000字くらい)がある。これくらいあると、一つの考えがある程度伝わり、読む人に何らかの影響を与える。

さて今回は、秋に出す予定の本が大詰め(現在翻訳を推敲中)にきていて、長いものを書く余裕がないので、その本のことも含め、現在の葉っぱの坑夫の活動について簡単に書こうと思う。現在翻訳の最終一歩手前段階にきている作品というのは、アメリカの海洋生物行動学者デニース・ハージングのDolphin Diaries: My 25 Years with Spotted Dolphins in the Bahamas(イルカ日誌:バハマの海でマダライルカたちと25年)という本。2年くらい前に、TEDで彼女のスピーチを聞き、興味をもったのがきっかけだった。イルカに特別興味があったわけではなく、そのスピーチに惹かれて著書を読んだのだ。読んでみて、予想通り素晴らしい本だとわかり、ぜひ日本語にして出版したいと思った。

著者やアメリカの版元、さらには日本の仲介会社とも連絡をとり、翻訳出版権を取得した。そこに至るまでに時間を要し、たくさんの日本語、英語のメールも書きと簡単にはいかなかったが、去年の11月に無事契約を取り交わすことができた。いつもの通り、KindleとPOD(プリント・オン・デマンド)での出版だ。そして今年にはいって翻訳をスタートさせた。

今回の本は小説ではなく、ノンフィクションでしかも(専門書ではないものの)学者の書いたもの。『イルカ日誌』のタイトルどおり、著者の25年にわたるバハマ諸島での研究調査の日々(その楽しさや苦労)を綴ったもので、学術論文ではなく読み物として楽しめる本だが、生物学や認知科学などの専門用語も多少は出てくるし、事実関係を調べたり、フィクションとは違う苦労がある。しかしイルカ社会のことや個性ある個々のイルカたちのこと、人間たちとの交流など、未知のことを詳しく知ることができ、とても良い経験になった。イルカだけでなく、生物一般、地球環境や宇宙のことまで、改めて考える機会にもなった。本を読む前とあとでは、価値観が大きく変わったと言ってもいい。自分も含めて、いかに人間が自己中心的(人間至上主義)かということに気づかされた。本の内容については、また別の機会に詳しく紹介したいと思う。

今年の1月からこの本の翻訳を進めてきたわけだが、それ以外にはウェブで二つの連載のコンテンツをこなしていた。一つはウルグアイの作家、オラシオ・キローガの童話集『南米ジャングル童話集』で、現在連載は終了している。全8話のお話に、毎回ミヤギユカリさんの絵を添え、デザインオフィスSu-の角谷さんによる美しいページで公開していた。

もう一つは『世界消息:そのときわたしは』というノンフィクションの連載で、これは今もつづいている。間もなく第7回目の記事を公開するが、タイトルは『知られざる国のサッカー代表』。日本在住のイギリス人サッカーライター、ショーン・キャロルの北朝鮮代表選手を取材した記事だ。第8回はアメリカのジャーナリスト、ピーター・ヘスラーの『中国人の目をとおしたチベット』が決まっている。ピーター・ヘスラーはThe New Yorkerなどで記事を書いてきた人で、中国に長く住み、中国語を話し、その体験を書いたものが日本の白水社からも出版されている。『疾走中国 ─ 変わりゆく都市と農村』と『北京の胡同』の2冊。まず前者を読んだが素晴らしかった。いま後者を読みはじめている。こちらも非常に面白い。ここまで中国の社会に、人々の中に入りこんでいけるとは、と驚き感心した。言葉ができたことが大きいのかもしれないが、ジャーナリストとしてだけでなく、人としての能力が高いとも思った。いかにも「欧米人」的な視点から中国や中国人を見ていないところが新鮮だ。

彼を知ったのはGoogleを検索しているときだった。中国のチベット問題を知りたいと思い、日本的視点(つまり一方的に中国非難的な)ではない記事を探していたときのことだ。日本語ではネットでも書籍でも見つからないとわかり、英語でChina, Tibetのようなワードで検索をかけていた。検索1ページ目の比較的上の方に、Tibet Through Chinese Eyesというアトランティック誌の記事を見つけた。それがピーターの書いた記事だった。1999年と少し古い記事ではあるが、いま読んでも十分意味があると感じた。アトランティック誌が、古い記事をネット上に残していることも素晴らしいと思った。これはまだ翻訳に手をつけていない。『イルカ日誌』がもうひと段落ついて、8月に入ったら少しずつ訳していこうと思っている。


と、ここ最近はこんな風に仕事を進めている。『南米ジャングル童話集』も紙の本(POD)とKindleにする計画があるのだが、まだ手がついていない。動くのは秋以降になるだろう。