パラアスリートたち:スポーツと障害
リオのパラリンピックがはじまる前から、競技をテレビで見てみたいと思っていた。これまでほとんど見たことがなかったのだ。NHKではパラリンピックの少し前に、出場するアスリートや義手、義足をつくる技術者のドキュメンタリーをやっていて、それをいくつか見た。この分野の技術はかなり進んできたように見えたが、技術者の数はまだ少ないのか、登場した日本の技術者はいつも同じ人だった。
日本でのパラアスリートや競技への興味や認知度はどのようなものだろう。ある記者が、テニスのロジャー・フェデラー選手に「日本からはなかなかチャンピオンが生まれないが、どうしてだと思うか」と質問したところ、即座に「国枝がいるではないか」という答えが返ってきたそうだ。国枝が近年グランドスラムで圧倒的な強さを見せ、車椅子テニスの世界で、世界に名だたるチャンピオンであることはわたしも知っていた。でもフェデラーの口から国枝の名前が出るとは、と少し驚いた。さすが圧倒的な優勝回数を誇る世界的王者フェデラーだけのことはある。パラリンピックのパラとは、パラレル(平行)から来ていて、「もう一つのオリンピック」を指しているそうだ。
今回、車椅子テニスのほか、車椅子バスケット、ブラインドサッカーなどを主に見た。陸上競技もNHKの番組内で見て、義足をどのようにつかうかを目にしていた。車椅子バスケットは、日本と対戦したトルコやスペインとの試合を見た(決勝のスペイン、アメリカ戦は見ようと思っていて見逃した。アメリカの優勝!)。トルコもスペインもなかなかの強さで、残念ながら日本は負けてしまった。日本のエース、香西宏昭選手は持ち点3.5の選手。28歳、先天性両下肢欠損(膝上)。
持ち点とは、各選手が障害や身体能力の程度によって分けられるクラスごとに決められた点数のこと。プレイする5人のプレイヤーの持ち点合計が14点以内になるようにする(一人平均にする2.8ということか)。このルールを今回知って、なにか新鮮なものを感じた。香西選手の3.5という点数は、立ち上がりつたい歩きのできるレベルである。彼は生まれたときから両下肢がない。けれど1とか2(最も障害が重いレベル)ではない。1や2の人は脊椎損傷などにより、立ち上がることができない。そしてクラスごとに、それぞれの障害に合った車椅子を使用する。
障害や身体能力がクラス分けされ、それに対して各選手の持ち点が決まり、その合計点によってチームが組まれる。あるいは途中交代が行われる。からだの特徴がはっきりと区分けされ、そのことが差別につながるのではなく、チーム戦略の一環となっている。障害というものは、そういう見方ができるものなのだ。先天的に、あるいは事故で、からだの一部が、あるいは機能が欠けている。それは換算し得るものなのだ。ということは欠損をからだの他の部位で補ったり、鍛錬によって機能を高めたり、器具をつかうことで、プラスマイナス0にすることも可能なのかもしれない。
失明などからだの機能の一部を失ったとき、脳の働きによって他の部位が欠損をカバーすることがあると聞いたことがある。からだと脳の関係、活動によって機能が促進されること、からだの細胞レベルまで神経をいき渡らせること、それによって早期の察知やコントロールが効くことなど、興味深い事象がある。これについてはまた別の機会に詳しく書こうと思っている。
そもそも障害とは何だろう。著名な登山家で、凍傷により手足の指を切断している人がいる。山野井泰史さん、妙子さん夫婦は、ギャチュン・カン北壁を登攀したとき雪崩にあい、それぞれ手足の指を切断している。妙子さんは両手すべての指を切断しているが、包丁をもって料理をし、箸でご飯を食べ、縫い物をしたりもする。二人のギャチュン・カン登攀を描いた、沢木耕太郎の「凍」というノンフィクションを読んだ。帰国して手術と治療を受けているとき、病院から近くコンビニに買い物に行った妙子さんは、両手とも使えなかったので、首から財布を吊るして出かけ、店の人にそこからお金を取ってもらうようにしていたという。障害があったとしても、解決法があれば問題ないとでもいうように。
パラリンピックを見ていて思ったのは、からだのどこかに障害がある人はたくさんいる、ということだ。先天性の人も少なくない。それでもバスケットの香西選手のように、アメリカの大学から声がかかり、高校卒業後、留学してそこで車椅子バスケで活躍したり、その後ドイツでプロ契約を結んだり、と多様な道が開かれることもあるのだ。パラリンピックに出場していた選手たちの多くは、障害そのものを問題とは感じていないようで(当たり前の日常になっている)、アスリートとして記録に挑戦することに励んでいた。その意味で、健常者アスリートと大きな違いはないのだろう。
車椅子バスケットは、シュートやパスなどバスケットの技術とともに、車椅子の扱いの技巧がプレイの中で顕著だった。ホイールを片手で回し、もう片方の手でドリブルしながらトップスピードでゴールに向かう。急停止や回り込み、フェイントにバックランと自由自在だ。守備では車椅子2台での囲い込みもする。ぶつかって車椅子ごとひっくり返ることもあるが、たいていは自分の力ですぐ起き上がる。車椅子もそういう設計にできているのだろう。カウンターのときの抜け出しなどは、普通のバスケのときと同じように見事で、美しさとスピード感が味わえる。
日本車椅子バスケット連盟のオフィシャルサイトでは、今も日本代表の試合の映像をいくつか見ることができる(スケジュール&リザルトのタブ)。同じような障害をもつ子どもたちが見たら、きっと「かっこいい」、「オレも(ワタシも)やりたい」と思うようなプレイ満載だと思う。
日本車椅子バスケット連盟オフィシャルサイト
http://www.jwbf.gr.jp/national_team/
日本でのパラアスリートや競技への興味や認知度はどのようなものだろう。ある記者が、テニスのロジャー・フェデラー選手に「日本からはなかなかチャンピオンが生まれないが、どうしてだと思うか」と質問したところ、即座に「国枝がいるではないか」という答えが返ってきたそうだ。国枝が近年グランドスラムで圧倒的な強さを見せ、車椅子テニスの世界で、世界に名だたるチャンピオンであることはわたしも知っていた。でもフェデラーの口から国枝の名前が出るとは、と少し驚いた。さすが圧倒的な優勝回数を誇る世界的王者フェデラーだけのことはある。パラリンピックのパラとは、パラレル(平行)から来ていて、「もう一つのオリンピック」を指しているそうだ。
今回、車椅子テニスのほか、車椅子バスケット、ブラインドサッカーなどを主に見た。陸上競技もNHKの番組内で見て、義足をどのようにつかうかを目にしていた。車椅子バスケットは、日本と対戦したトルコやスペインとの試合を見た(決勝のスペイン、アメリカ戦は見ようと思っていて見逃した。アメリカの優勝!)。トルコもスペインもなかなかの強さで、残念ながら日本は負けてしまった。日本のエース、香西宏昭選手は持ち点3.5の選手。28歳、先天性両下肢欠損(膝上)。
持ち点とは、各選手が障害や身体能力の程度によって分けられるクラスごとに決められた点数のこと。プレイする5人のプレイヤーの持ち点合計が14点以内になるようにする(一人平均にする2.8ということか)。このルールを今回知って、なにか新鮮なものを感じた。香西選手の3.5という点数は、立ち上がりつたい歩きのできるレベルである。彼は生まれたときから両下肢がない。けれど1とか2(最も障害が重いレベル)ではない。1や2の人は脊椎損傷などにより、立ち上がることができない。そしてクラスごとに、それぞれの障害に合った車椅子を使用する。
障害や身体能力がクラス分けされ、それに対して各選手の持ち点が決まり、その合計点によってチームが組まれる。あるいは途中交代が行われる。からだの特徴がはっきりと区分けされ、そのことが差別につながるのではなく、チーム戦略の一環となっている。障害というものは、そういう見方ができるものなのだ。先天的に、あるいは事故で、からだの一部が、あるいは機能が欠けている。それは換算し得るものなのだ。ということは欠損をからだの他の部位で補ったり、鍛錬によって機能を高めたり、器具をつかうことで、プラスマイナス0にすることも可能なのかもしれない。
失明などからだの機能の一部を失ったとき、脳の働きによって他の部位が欠損をカバーすることがあると聞いたことがある。からだと脳の関係、活動によって機能が促進されること、からだの細胞レベルまで神経をいき渡らせること、それによって早期の察知やコントロールが効くことなど、興味深い事象がある。これについてはまた別の機会に詳しく書こうと思っている。
そもそも障害とは何だろう。著名な登山家で、凍傷により手足の指を切断している人がいる。山野井泰史さん、妙子さん夫婦は、ギャチュン・カン北壁を登攀したとき雪崩にあい、それぞれ手足の指を切断している。妙子さんは両手すべての指を切断しているが、包丁をもって料理をし、箸でご飯を食べ、縫い物をしたりもする。二人のギャチュン・カン登攀を描いた、沢木耕太郎の「凍」というノンフィクションを読んだ。帰国して手術と治療を受けているとき、病院から近くコンビニに買い物に行った妙子さんは、両手とも使えなかったので、首から財布を吊るして出かけ、店の人にそこからお金を取ってもらうようにしていたという。障害があったとしても、解決法があれば問題ないとでもいうように。
パラリンピックを見ていて思ったのは、からだのどこかに障害がある人はたくさんいる、ということだ。先天性の人も少なくない。それでもバスケットの香西選手のように、アメリカの大学から声がかかり、高校卒業後、留学してそこで車椅子バスケで活躍したり、その後ドイツでプロ契約を結んだり、と多様な道が開かれることもあるのだ。パラリンピックに出場していた選手たちの多くは、障害そのものを問題とは感じていないようで(当たり前の日常になっている)、アスリートとして記録に挑戦することに励んでいた。その意味で、健常者アスリートと大きな違いはないのだろう。
車椅子バスケットは、シュートやパスなどバスケットの技術とともに、車椅子の扱いの技巧がプレイの中で顕著だった。ホイールを片手で回し、もう片方の手でドリブルしながらトップスピードでゴールに向かう。急停止や回り込み、フェイントにバックランと自由自在だ。守備では車椅子2台での囲い込みもする。ぶつかって車椅子ごとひっくり返ることもあるが、たいていは自分の力ですぐ起き上がる。車椅子もそういう設計にできているのだろう。カウンターのときの抜け出しなどは、普通のバスケのときと同じように見事で、美しさとスピード感が味わえる。
日本車椅子バスケット連盟のオフィシャルサイトでは、今も日本代表の試合の映像をいくつか見ることができる(スケジュール&リザルトのタブ)。同じような障害をもつ子どもたちが見たら、きっと「かっこいい」、「オレも(ワタシも)やりたい」と思うようなプレイ満載だと思う。
日本車椅子バスケット連盟オフィシャルサイト
http://www.jwbf.gr.jp/national_team/