一般と専門のはざまで
『イルカ日誌:バハマの海でマダライルカたちと25年』(10月31日発売)の草稿の購読を、日本でイルカの調査研究をする専門の方にお願いした。原著は海洋生物学者が書いたものなので、エッセイ(回想録)といっても科学の用語が出てくるし、全体の理解としておかしなところがないかなど指摘していただこうと思ってのことだった。
この本を訳していて最初にぶつかった難問は、イルカの鳴き声の描写や名付けだった。signature whistleのような決まった呼び名の場合は、シグネチャー・ホイッスル(葉っぱの坑夫では一般の人にわかりやすいように「署名ホイッスル」としたが)とすればいいが、squawk、squeak、scream、buzzなどの擬音語のような言葉の場合は、どういう日本語で表したものか途方にくれた。それに当たると思われるイルカの音声をMP3で何回も聞いたけれど、その音を日本語にするのは難しい。イルカの鳴き声のメモ帳には、クァークァークァー、ギャーギャー・ギギギ、ガガ、キュ、ピーピーピー、ミィーー、ビィービィー、喚き声、大声、警戒音、威嚇音、叫び声などの言葉がアイディアとして書き留められている。
イルカにはクリック(ス)音(clicks)という鳴き方があるが、これをクリック音にするか、クリックス音にするかでも迷った。専門家によると、イルカはこの音を単体で出すことはないので、クリックスとするのが正しいとのこと。それで「クリック音」としてあったものを、一度すべてクリックス音に変えた。しかし一般的に日本語では、外来語を単数形(原形)で言われる方がわかりやすい。単語に「s」をつける習慣がないからだ。shoes(靴)のような二つで1組のものは、シューズの方がわかりやすく、シューと言われてもピンとこない。しかしスカーフをスカーブズ(scarves)、ボックスやケースをボクシズ、ケーシズなどと言われるとピンとこない。最終的にクリックスはクリックに戻した。他のイルカ関係の本を見たら、そこでも単数形にしてあった。
オスのイルカはある年齢に達すると、仲間の集団に入って行動をともにするようになる。それは長期にわたる、生涯の仲間といっていいものらしい。『イルカ日誌』では、著者のデニース・ハージングは、これをcoalitionと呼んでいた。これとは別に、マダライルカとハンドウイルカの異種間の連携についてはallianceという言葉をつかっていた。葉っぱの坑夫では前者を「連隊」とし、後者を「同盟」としていた。ところが購読をお願いした専門の方によると、ハンドウイルカの世界では、種内のオスの長期の連携集団をalliance(同盟)と呼んでいるという。このように種が少し違っただけでも、呼び名の習慣が違うということが起きるようだ。
最終的な判断としては、最初の解釈どおり、バハマのタイセイヨウマダライルカにおける訳語としては、coalitionは連隊、allianceは同盟とした。一般用語としても、「連隊」は同種内の仲間内の寄り集まりを連想させ、「同盟」は政治の言葉としても使われるように、異なる集団間の連携や契約関係に当てはまるように思う。
『イルカ日誌』では、出てくるイルカのほとんどが、タイセイヨウマダライルカという種で、それ以外には同じ領域に住むハンドウイルカが出てくるのと、話として汎熱帯マダライルカ(pantropical spotted dolphin)が出てくる。しかしこの本の原文では、タイセイヨウマダライルカは、マダライルカ、または単にイルカと多くの部分で書かれている。
これがまた面倒を呼んでしまった。日本語の学会ではpantropical spotted dolphinを種名として「マダライルカ」と呼んでいるそうだ。ウィキペディアによると、Spotted dolphin(マダライルカ)にはAtlantic spotted dolphin(Stenella frontalis)とpantropical spotted dolphin(Stenella attenuata)の2種があり、後者は世界中の熱帯、亜熱帯地域で見られ、名称の頭文字はpantropicalと小文字(一般名)になっている。一方 Atlantic spotted dolphinの方は大西洋のみに生息する。名前の頭文字は大文字だ。
日本の学会的に言えば、『イルカ日誌』に出てくるバハマのイルカは、すべて「タイセイヨウマダライルカ」と特定して書くことが求められる。単に「マダライルカ」と書けば、もう一つの種名と重なるからだ。しかし原著では、話の大半がタイセイヨウマダライルカのことなので、識別して記す必要のないところでは、単にマダライルカ(spotted dolphin)あるいはもっと簡略にイルカ(dolphin)としか書かれていない。葉っぱの坑夫の日本語訳では、原書の書法に沿って、多くの部分はマダライルカ、あるいはイルカと訳した。そして注釈として、本の最初のところに、このあたりの事情説明を入れておいた。
日本の専門家の世界では、通常、種名はカタカナで書く習慣があり、「マダライルカ」と書いた場合、pantropical spotted dolphinのことを指しているように感じられるという。それで専門家としては、タイセイヨウマダライルカのことを指す場合はすべてこの表記にし、pantropical spotted dolphinを指すときはマダライルカと書くのが「わかりやすい」ということになる。
ただ一般の読者のことを考えるなら(この本は一般読者がメインの本なので)、すべての文の中で「タイセイヨウマダライルカ」の語を繰り返すのは、ほとんどありそうもない話に思える。また原書の書法からも離れてしまう。「今朝もタイセイヨウマダライルカたちが船にやって来た」というような書き方は、個別のイルカの話をしているときに、種名で彼らを表すことになってしまう。しかも種名を複数形にしてしまうことになり、そこにも表現として難が出る。「今朝もイルカたちが船にやって来た」とする方が自然である。原文もそうなっている。特に説明がなければ、錨泊地にやって来るイルカは、すべてタイセイヨウマダライルカのことである、ということは読んでいれば了解できることだと思う。
おそらく「わかりやすい」とか「了解できる」というのは、読む人の立ち場によって変わってくるものなのだろう。曖昧さの許されない論文のような文書の場合は、たとえ繰り返しになっても、その都度「タイセイヨウマダライルカ」と特定し、明記することが求められる。一般的な読みものとしての文書では、ある段落内、ある章の中、あるいは一冊の本の中での了解事項は、自明のこととして理解される部分が多いと思う。これが文学作品となれば、いかに直接記さずに、あることを読者に伝えるかということが技術となったりもする。
この本を訳していて感じたのは、著者自身も、学者である自分とエッセイを書く自分との間で、迷い揺れ動いていたのではないか、ということ。論文を書くことと、作品を書くことはかなり違うことだからだ。著者は論文には含めにくいことをこの本には書いた、とも記している。イルカたちとの交流のエピソードなどで、話としては面白くても、論文の内容としては適さないことはあるのだろう。
想像するに、著者はこの本を書く途上で、担当の編集者からのアドバイスをいろいろ受けていたかもしれない。学者として書かねばならないことや論文の書き方と、一般書としての書法のはざまで、著者も苦しんだかもしれないと思う。この本を著者は、ギリシアのサントリーニ島に長期滞在して書いたそうだ。研究室や調査の現場を離れて初めて、自分の書く姿勢が定まったのかもしれない。
この本のタイトルには「タイセイヨウマダライルカ」の名は使われていない。『イルカ日誌:バハマの海でマダライルカたちと25年』(原著のタイトル:Dolphin Diaries / My 25 Years with Spotted Dolphins in the Bahamas)というタイトルからも、一般の人を主たる読者として書かれた本だということがわかる。
この本を訳していて最初にぶつかった難問は、イルカの鳴き声の描写や名付けだった。signature whistleのような決まった呼び名の場合は、シグネチャー・ホイッスル(葉っぱの坑夫では一般の人にわかりやすいように「署名ホイッスル」としたが)とすればいいが、squawk、squeak、scream、buzzなどの擬音語のような言葉の場合は、どういう日本語で表したものか途方にくれた。それに当たると思われるイルカの音声をMP3で何回も聞いたけれど、その音を日本語にするのは難しい。イルカの鳴き声のメモ帳には、クァークァークァー、ギャーギャー・ギギギ、ガガ、キュ、ピーピーピー、ミィーー、ビィービィー、喚き声、大声、警戒音、威嚇音、叫び声などの言葉がアイディアとして書き留められている。
イルカにはクリック(ス)音(clicks)という鳴き方があるが、これをクリック音にするか、クリックス音にするかでも迷った。専門家によると、イルカはこの音を単体で出すことはないので、クリックスとするのが正しいとのこと。それで「クリック音」としてあったものを、一度すべてクリックス音に変えた。しかし一般的に日本語では、外来語を単数形(原形)で言われる方がわかりやすい。単語に「s」をつける習慣がないからだ。shoes(靴)のような二つで1組のものは、シューズの方がわかりやすく、シューと言われてもピンとこない。しかしスカーフをスカーブズ(scarves)、ボックスやケースをボクシズ、ケーシズなどと言われるとピンとこない。最終的にクリックスはクリックに戻した。他のイルカ関係の本を見たら、そこでも単数形にしてあった。
オスのイルカはある年齢に達すると、仲間の集団に入って行動をともにするようになる。それは長期にわたる、生涯の仲間といっていいものらしい。『イルカ日誌』では、著者のデニース・ハージングは、これをcoalitionと呼んでいた。これとは別に、マダライルカとハンドウイルカの異種間の連携についてはallianceという言葉をつかっていた。葉っぱの坑夫では前者を「連隊」とし、後者を「同盟」としていた。ところが購読をお願いした専門の方によると、ハンドウイルカの世界では、種内のオスの長期の連携集団をalliance(同盟)と呼んでいるという。このように種が少し違っただけでも、呼び名の習慣が違うということが起きるようだ。
最終的な判断としては、最初の解釈どおり、バハマのタイセイヨウマダライルカにおける訳語としては、coalitionは連隊、allianceは同盟とした。一般用語としても、「連隊」は同種内の仲間内の寄り集まりを連想させ、「同盟」は政治の言葉としても使われるように、異なる集団間の連携や契約関係に当てはまるように思う。
『イルカ日誌』では、出てくるイルカのほとんどが、タイセイヨウマダライルカという種で、それ以外には同じ領域に住むハンドウイルカが出てくるのと、話として汎熱帯マダライルカ(pantropical spotted dolphin)が出てくる。しかしこの本の原文では、タイセイヨウマダライルカは、マダライルカ、または単にイルカと多くの部分で書かれている。
これがまた面倒を呼んでしまった。日本語の学会ではpantropical spotted dolphinを種名として「マダライルカ」と呼んでいるそうだ。ウィキペディアによると、Spotted dolphin(マダライルカ)にはAtlantic spotted dolphin(Stenella frontalis)とpantropical spotted dolphin(Stenella attenuata)の2種があり、後者は世界中の熱帯、亜熱帯地域で見られ、名称の頭文字はpantropicalと小文字(一般名)になっている。一方 Atlantic spotted dolphinの方は大西洋のみに生息する。名前の頭文字は大文字だ。
日本の学会的に言えば、『イルカ日誌』に出てくるバハマのイルカは、すべて「タイセイヨウマダライルカ」と特定して書くことが求められる。単に「マダライルカ」と書けば、もう一つの種名と重なるからだ。しかし原著では、話の大半がタイセイヨウマダライルカのことなので、識別して記す必要のないところでは、単にマダライルカ(spotted dolphin)あるいはもっと簡略にイルカ(dolphin)としか書かれていない。葉っぱの坑夫の日本語訳では、原書の書法に沿って、多くの部分はマダライルカ、あるいはイルカと訳した。そして注釈として、本の最初のところに、このあたりの事情説明を入れておいた。
日本の専門家の世界では、通常、種名はカタカナで書く習慣があり、「マダライルカ」と書いた場合、pantropical spotted dolphinのことを指しているように感じられるという。それで専門家としては、タイセイヨウマダライルカのことを指す場合はすべてこの表記にし、pantropical spotted dolphinを指すときはマダライルカと書くのが「わかりやすい」ということになる。
ただ一般の読者のことを考えるなら(この本は一般読者がメインの本なので)、すべての文の中で「タイセイヨウマダライルカ」の語を繰り返すのは、ほとんどありそうもない話に思える。また原書の書法からも離れてしまう。「今朝もタイセイヨウマダライルカたちが船にやって来た」というような書き方は、個別のイルカの話をしているときに、種名で彼らを表すことになってしまう。しかも種名を複数形にしてしまうことになり、そこにも表現として難が出る。「今朝もイルカたちが船にやって来た」とする方が自然である。原文もそうなっている。特に説明がなければ、錨泊地にやって来るイルカは、すべてタイセイヨウマダライルカのことである、ということは読んでいれば了解できることだと思う。
おそらく「わかりやすい」とか「了解できる」というのは、読む人の立ち場によって変わってくるものなのだろう。曖昧さの許されない論文のような文書の場合は、たとえ繰り返しになっても、その都度「タイセイヨウマダライルカ」と特定し、明記することが求められる。一般的な読みものとしての文書では、ある段落内、ある章の中、あるいは一冊の本の中での了解事項は、自明のこととして理解される部分が多いと思う。これが文学作品となれば、いかに直接記さずに、あることを読者に伝えるかということが技術となったりもする。
この本を訳していて感じたのは、著者自身も、学者である自分とエッセイを書く自分との間で、迷い揺れ動いていたのではないか、ということ。論文を書くことと、作品を書くことはかなり違うことだからだ。著者は論文には含めにくいことをこの本には書いた、とも記している。イルカたちとの交流のエピソードなどで、話としては面白くても、論文の内容としては適さないことはあるのだろう。
想像するに、著者はこの本を書く途上で、担当の編集者からのアドバイスをいろいろ受けていたかもしれない。学者として書かねばならないことや論文の書き方と、一般書としての書法のはざまで、著者も苦しんだかもしれないと思う。この本を著者は、ギリシアのサントリーニ島に長期滞在して書いたそうだ。研究室や調査の現場を離れて初めて、自分の書く姿勢が定まったのかもしれない。
この本のタイトルには「タイセイヨウマダライルカ」の名は使われていない。『イルカ日誌:バハマの海でマダライルカたちと25年』(原著のタイトル:Dolphin Diaries / My 25 Years with Spotted Dolphins in the Bahamas)というタイトルからも、一般の人を主たる読者として書かれた本だということがわかる。