20世紀初頭の動物作家たち
19世紀末から20世紀前半にかけて、北米を中心に新しいタイプの動物作家が数多く生まれたということを、ラルフ・ラッツの “The Wild Animal Story : Animals and Ideas” という論文で読んだ。日本でも有名な作家をあげると、たとえばカナダの作家、アーネスト・トンプソン・シートンがそれに当たる。アメリカの作家、ジャック・ロンドンもこの中に含まれている。ジャック・ロンドンを動物作家と呼ぶのがふさわしいかわからないが、『白牙』などでオオカミの野生の物語を書いていることは事実だ。
シートンは今でも子どもを中心に読まれている作家だと思うが、日本で知られる『シートン動物記』という本は、原典にはない。シートンが書いた(そして絵も描いた)たくさんの物語を、日本の出版社や訳者が編集して『….動物記』としたようだ。ファーブルの『昆虫記』にならったのかもしれない。
ラルフ・ラッツが「新しいタイプ」の動物作家と呼んだのは、人間がつくりあげた動物をめぐる架空の話ではなく、野生動物をリアルな描写で描いた、本当の動物の姿を記したという意味で「新しい」ということらしい。ほぼ同世代だが少し前の時代のイギリスの作家、ラドヤード・キプリングは、よく知られた小説『ジャングル・ブック』で動物を描いているが、新たな動物作家たちの「リアルな物語」とは境界を異にするということだと思う。
シートンを始めとする新しいタイプの動物作家たちは、自ら森や草原に出ていき、そこで長年にわたるを観察をし、それをもとに物語を書いている。物語といっても、それは必ずしもフィクションを指すわけではない。ジャック・ロンドンの作品は小説と言っていいと思うが(事実に沿っていないという意味ではない)、シートンは自著の中でわざわざ次のように書いている。
わたしは、この物語のなかで、「ウサギの言葉」を人間の言葉に訳して、読者のみなさんにお伝えします。訳すときに、わたしはウサギがいっていないことは、ひと言もつけくわえていないことを、読者のみなさんに誓います。(福音館書店『ラギーラグ』)
シートンの物語は小説ではないかもしれないが、フィクションの様式で語られた物語だと思う。「ウサギが言っていないことは、ひと言も書いていない」と言うように、実際に観察したことを創作の方法で仕上げた作品と言っていいかもしれない。
それに対して、ラルフ・ラッツが「現代版のシートン」と呼ぶ、アメリカの作家でナチュラリストのウィリアム・J・ロングは、よりノンフィクション的作法で作品を書いている。シートンが動物を主人公として書いているのに対し、ロングは一人称「わたし」が森を歩いて出会った動物たちを描写するスタイルだ。動物ルポルタージュと呼んでもいいかもしれない。シートンの物語が、登場人物である動物たちがどんな事件に遭遇するかを記したものだとすれば、ロングの物語は、「わたし」がどんな動物たちと出会い、何を目撃したかを記すことが中心だ。しかしそこには報道記事のような記録ではない、ノンフィクションとしての物語があり、動物と出会ったときの書き手の興奮や失望などが話を魅力あるものにしている。
ウィリアム・J・ロングは日本では全くと言っていいくらい知られていない。まず日本語に訳された本がない。知っている人がいるとしたら、このジャンルの研究者くらいではないか。作品は数多く、Wood Folk Seriesとして知られる何冊かは、特に有名である。1952年が没年なので、アメリカの現在の著作権法でいうと保護期間内となるが、1978年の法改正以前に死亡しているため、現行法が適用されていない可能性がある。グーテンベルクなどいくつかのアーカイブに、複数の作品が登録されており、無料で誰もが作品を読むことができる。アメリカのアマゾンでも、いくつかの本がペーパーバックや電子書籍で売られており、たくさんのレビューがついているものもある。シートン同様、アメリカでは一定の読者を今も得ているのだろう。
ロングの魅力は子どもの頃から自然のそばで暮らし、成長してからは野生動物を追って旅をし、野鳥をふくめ、さまざまな野生動物を身近に観察してきたことで「自然界のマナー」を知り尽くしているところにある。ロングは「自然の掟」というような表現はしない。少し違った観点から動物を見、動物とつきあっているようだ。多くの野生動物は臆病で、偉ぶらず、礼儀を知っている、とロングは観察の中で感じている。たとえば人間社会や物語の中ではあまり評判のよくない、カラスやキツネもこれに当てはまる。また森の動物たちの間で起きるさまざまな出来事、事件をコメディ(喜劇)として捉える感性の持ち主でもある。多くの観察者は、動物間で起きる出来事を「悲劇」と捉える傾向が強いようだが、ロングの見方は違っている。野生動物の世界を「掟」とか「弱肉強食」「悲劇」のように捉えていない。
これらのことは、わたしが小さなころ、経験から得たものだ。本で知ったことではない。自然が語る言葉をわたしは理解していたのだと思う。そしてたくさん観察することで、鳥や動物たちは野生の暮らしを受け入れていることがわかるようになった。おそらく意識せずに、遊びの一種として、面白おかしい役割をそれぞれ演じているのだ。のちに野生動物についての文学や似非科学が現れ、ある者は楽しい森を悲惨な話で満たし、またある者は厳しい生存競争として広めようとした。しかしわたしが野外に一歩足を踏み入れ、動物たちを目の前にすれば、こういった借り物の見方は白日のもとにさらされる。頭で作り出された悲しい物語であったり、誤りの多い机上の科学理論だということがわかる。(Wood-folk Comedies, 1920)
ロングは子どもの頃、庭に野鳥のための食卓を用意して毎朝観察していたが、鳥の種類や学名を覚える前に、個々の鳥の存在を個として捉えていたと書いている。「顔」や羽の色で識別し、名前をつけ、その後に鳥の種としての名前を知るという順番だったりもしたらしい。この付き合い方はごく最近になって、徐々に認識されてきた野生動物に対する理解の仕方に近いものがある。マダライルカ、アジアゾウというように、種として大雑把にその特徴を捉えてわかったように思うのではなく、indivisual(個)として動物を捉えることを大切にする 見方だ。その昔、黒人奴隷を十把一絡げにして、「字も読めない野蛮人である黒人」のように種として捉えていたのに似て、動物の能力を低く見積もり、個々の性格や能力の違いには目をとめない見方が動物に対しては長くつづいた。それは動物に対して非対称の見方をしていたからだろう。人間のほうが動物より優れているという見方だ。今もこの考え方がなくなったわけではない。
もう一人、この時代の興味深い作家に、カナダのグレイ・アウルという人がいる。前述のラルフ・ラッツの論文を読んでいたとき、この名を見て聞き覚えがあると思った。何年か前に、葉っぱの坑夫のメンバーだったカナダの友人が来日した際、もらった本があった。その作家の名前ではなかったか、と思ったのだ。実はその本はほとんど読んでいなかった。さっそく書棚を探してみたら、やはりこのグレイ・アウルの本だった。イギリスに生まれ、20世紀初頭にカナダに移住し、そこでインディアンと親しく付き合い、自分もインディアンであるように振舞っていたという。それで名前がグレイ・アウルなのだ。写真を見ると、顔立ちは確かに西洋人で、しかし髪型や服装はインディアンのものだ。オジブワ族の女性と長く暮らし、その人の影響を受けて、狩りをすることから野生動物の保護へと生き方を変えたらしい。
そもそも20世紀初頭に野生動物を描く作家が多数あらわれた要因は、18世紀から19世紀にかけて起きた産業革命に対する反応(反動)の一つだった。当時、こういった作家の作品は多くの読者を得たそうだが、それまでの動物観を壊すところがあるため、作品に対する反発もたくさんが生まれた。「動物は本能で行動するものである」から、人間のように経験から学び行動するという見方は「科学的」ではない、動物を擬人化している、というような論議があったという。そのような論者の中に当時のセオドア・ルーズベルト大統領もいた。ルーズベルトは、アメリカのあらゆる学校の図書館からロングの本を排除したとも言われる。こうした非難に対してロングは、当時の新聞で、「腰に銃を備え、馬に乗り、ときに何人もで押しかけていては、野生動物の本当の姿はわからない」と反論したようだ。
ロングは著書の中でこう書いている。
森の動物たちは、人間が彼らに興味をもつ以上に、人間に好奇心をもっている。森で静かにすわれば、ニューイングランドの山裾の町によそ者がやって来たとき程度のざわめきで済む。自分の好奇心を制御すること。そうすれば少しして、動物たちの方が好奇心に耐えられなくなる。この人間は何者か、ここで何をしているのか、見にやって来るにちがいない。そうすればこっちのもの。彼らが好奇心を満足させようとしているうちに、恐れを忘れ、あなたが見たこともないような暮らしの断片を見せてくれるだろう。(Secrets of the Woods, 1901)