子どものトランスジェンダー問題
先月末、スタンフォード大学で「子どものための栄養学と料理」を教えているマヤ・アダム教授からメールが届いた。メールの表題は「Gender and our Children」。アダム教授の授業はCoursera(ネットで大学の授業を受けることができる新しい教育システムMoocの一つ)で取っていたことがある。メールの内容は次のようなものだった。
5年前にスタンフォード大学で「子どもの健康学」をアダム教授が教えていたとき、授業のあとで一人の学生が教壇にやって来た。「アダム先生、この授業はとてもためになりました。でも一つ、子どもの健康について欠けているものがあります。先生の授業ではジェンダー・アイデンティティについて、それが子どもたちの健康や暮らしにどのような影響を与えるかの情報が全くありませんでした」 学生はそのように述べたと言う。アダム教授はそれを聞いて、ジェンダー・アイデンティティですって? それが子どもたちの健康に影響があるって? とかなり戸惑ったそうだ。
アダム教授は、ジェンダー・アイデンティティと子どもの健康に与える影響について、そこから調べ、考えはじめた。小児科医、両親、教師、地域の子どもたちに話を聞くことからはじめたと言う。その結果わかったことに対して教授は非常に驚き、知らなかった自分を恥じ、現在の状況に深く胸を痛めた。トランスジェンダーに生まれた子どものことを何一つ知らず、医学の学位をとったと思い込んでいた自分を恥ずかしく思い、また子どもたちを(それぞれの、すべての子どもたちを)ちゃんと社会が支援できていないことに対して心砕ける思いだったと打ち明けている。そしてメールの中で、Together, we can change that.と呼びかけた。5年前の自分と同じようにこのことについて知識のない人、ジェンダー・アイデンティティと子どもの健康の関係について知りたい人は、「ぜひこのコースを取ってください」と結ばれていた(上品な先生に似合わず、この部分はすべて大文字で書かれていた)。
この率直な思いを訴えかけるメールは印象深いものだった。おそらく過去にアダム教授の授業を受けたことのある人全員に送られたのではないか。子どもの健康とジェンダー・アイデンティティの関係を調べはじめて5年、その成果をMoocという仕組をつかって世界中の学生たちに呼びかけ、このことを一人でも多くの人に知ってもらおう、という教授の熱い想いが伝わってくるメールだった。その想いに打たれ、また子どものジェンダー・アイデンティティについてぜひ知りたいと思い、わたしはすぐにクラスに行って受講申請の手続きをした。
授業のタイトルは「Health Across the Gender Spectrum(ジェンダーに関わる健康について)」。3月27日からスタートした。3週間にわたる短期のコースで、第1週目は「What is Gender Identity?」、第2週目は「What is the Gender Spectrum?」、第3週目は「How Do We Create a Gender-Inclusive Society?」。3週間にわたる授業には、トランスジェンダーの子どもたちやその両親へのインタビュー、50歳を過ぎてから肉体的にも社会的にも性を変えたある大学教授の体験談、この領域の専門家たちとアダム教授の対話のビデオ、理解度をチェックするクイズ、トランスジェンダーの子どもをめぐる問いに対して自分の考えを書き、クラスの他の人々の意見を読むディスカッション、参考になる書籍などのリスト、といったものが並んだ。
わたしがまず驚いたのは、当事者たちのインタビューで多くの子どもたちが、非常に小さな頃から自分の性に対して違和感をもっていたということ。およそ3歳くらいからその感覚は始まっているように見えた。からだは女の子である子どもが、スカートやピンクの服を着るのをいやがり、ズボンをはいて男の子たちと遊びたがる。逆にからだは男の子である子どもが、女の子のものを身につけたがり、自分は女の子と主張する。
実はこれまで、わたしはトランスジェンダーというものがよく理解できないでいた。スカートをはくとか、男の子のように振る舞うといったことは、人間がつくりあげた男女を区分する社会的文脈の中でのみ意味があり、人間にとって本質的なものではないのではと考えていた。社会が男の子として、女の子として、その範囲内で振る舞うよう強制するから生まれるギャップなのではないか、と。もし社会が男女差のない中性的な、あるいは男女を横断し混合を許すような、行き来自由な文化であれば、男とか女とかといった自意識上のギャップは生まれないのでは、と考えていた。
しかしアダム教授の授業を受けてみて、非常に小さな子どもがすでに違和感をもっていることを知り、自己認識の途上で何らかの不和が肉体と精神(脳)の間で起きているのかもしれない、と思うようになった。3歳といえば、歩いたり走ったりできるようになり、外の世界を知り始める年齢だ。それまでは主に母親や父親(兄や姉)と自分、という関係の中を生きていたのに対し、同じ年頃の友だちやよその大人たちとの接触が増えてくる。そうした中で、おそらく自己認識を少しずつはじめ、自分とは何か、自分はどのような存在か、どこに属するのか、ということを認知しようとし始めるのだろう。
トランスジェンダーの問題の基本は、自己認識のあり方にあるようだ。自分はどんな存在かと認識する過程で、男女という性に関する属性の識別が出てくる。授業の中の両親へのインタビューでは、多くの親が子どもの主張に驚き、胸を痛めながらも、自分の子どもが自己認識する性をなんとか理解して認めようとしてきた経緯が語られていた。トランスジェンダーの子どもたちにとって、思春期(第二次性徴期)は最初の関門で、そこをどのように通過するか、どの性で日常生活を送り、まわりの人々にどう理解してもらうかが差し迫った問題となり、将来的に自分の性の舵をどうきるかの入り口に立たされるときでもある。
授業の中で体験談を語った大学教授は、男の子として生まれたが、小さな頃からそれに違和感をもちつづけて成長した。なんとか自分の肉体が示す男性として生きよう、生きなければと思い、高校や大学でバスケットボールなどのスポーツに心を傾け、また素晴らしい女性たちとの巡り会いも経験して、最終的にある女性と結婚し、子どもを二人もうけた。その後、最初の妻とは離婚し、非常にユニークな女性との出会いがあって再婚。そして50歳を過ぎたころに、自分の性の認識について妻に打ち明け、妻の応援もあって性を変更する決意をする。そこからホルモン療法など医学的な治療を受け、性を男性から女性に変更した。当時すでに大学教授だったため、社会的に性を変更する旨、大学の上司に申告することになる。職を失うかもしれないと思いながら打ち明けたところ、その上司は「なに、きみが初めてというわけでもないんだよ」と受け入れてくれたという。また成人した娘と息子にもそれぞれ打ち明けた。息子は「なんだ、もっと重要なことかと思ったよ。これからは共和党を支持するとかさ」と言い、娘は「じゃあ、いっしょにショッピングに行きましょう!」と喜んだという。これはきっと幸せな結末を迎えることができた例だと思うが、そうであっても、この大学教授の50歳までの人生は大変な苦痛をともなうものだったと想像できる。
この大学教授が女性との巡り会いを経験しているように、トランスジェンダーであることと、性的な指向とは必ずしも重なるものではないようだ。ジェンダー・アイデンティティというように、基本は自己認識の問題なのだと思う。そこも混同されやすい問題らしい。
この授業の中で、子どもたちの学校生活で困ることとして、男女に分かれたトイレの問題が取り上げられていた。これは同性愛の人々の問題としてよく知られているが、トランスジェンダーの子どもたちにとっても、学校という生活の場で直接的にストレスのかかる問題となる。学校ではなるべく水を飲まないようにするなど、トイレにまつわる子どもたちの苦労や告白があった。解決策としては、男女別のトイレの他に、性を区別しないトイレを設置することが上げられていた。しかしこれも、学校や教師たちがトランスジェンダーの子どもたちの状況をよく理解しないことには、実現は難しい。
どの国の社会にも、男女を区別する文化はある。そこにどの程度の必要性があるのかは、まだあまり議論されていない。慣習として、歴史的に(封建制や家父長制のもと)、特に問うことなく続いてきたことだ。ネットなどのアンケートでも、男女をチェックする項目は普通にある。最近は必須ではないことも多くなっているが。答えたくない(答えられない)人のことを考慮してのことだろう。一般にマーケティングというものは、年齢や男女の属性を知りたがる。しかし、そこにある意味は深く問われないままだ。男ならこれを欲しがる、30代の人はこういう傾向だ、女性にこういうものを勧めると効果がある。そういった方法で商売をしていく方法は、いったいあとどれくらい持つのだろうか。いやいや世の中、そうは変わりませんよ、という人もいるだろう。性別に大きな意味を感じている人、女はこうあるべき、男はこうだ、という考えの中を自分が生きていることに気づかない人もいるだろう。それしかない、それが当然と思っている人々の存在は、トランスジェンダーの人々を気づかずに傷つけてしまうこともある。それは無知からくるものだ。人間に関する、知識の無知からくるものだと思う。だから誰もが知ることで変われる可能性をもっているし、そういう人が増えれば社会も変わる。
授業の中で参考図書として上げられていた本を1冊購入した。Beyond Magentaというタイトルで、「10代のトランスジェンダーたちの発言」という副題がついている。数人の子どもたちによるモノローグと著者のスーザン・カクリンの解説をまとめたもので、複数の人間の体験を知ることは入門として役に立つのではないかと思った。著者のカクリンはこの本を短編小説集に例え、それぞれの子どもを語る際は、PGP(preferred gender pronounce=その人が望む性の人称代名詞、彼女や彼)をつかいます、と冒頭で述べている。機会があれば、この本について詳しく紹介したい。