人種と民族、その違いは?
人と話をしていて、「人種」という言葉の使い方が気になることがある。たとえばユダヤ人。ユダヤ人を「人種」と認識していて、ユダヤ教徒(あるいはその家族)であるだけでなく、鼻が大きく髪の色が濃い、などの肉体的特徴として捉えていたりする。ゲルマンについてもそうで、金髪で目が青いというようなイメージをもっていたりする。いや、ユダヤ人もゲルマンも民族の話であって人種ではないんじゃないか、と言うという、じゃあ民族とは何なの?ということになる。
確かに人種と民族とは混ざり合っているようにも思え、イメージの中では、線引きが難しい、あるいは無頓着に使われている言葉なのかもしれない。20世紀初頭のヨーロッパ人の文章を読んでいても、民族(ethnicity)と言われるべきところに、人種(race)や国家(nation, nationality)という言葉が使われていることがある。人種という言葉は、定義が曖昧なまま、人間集団を区分するときに広く適用されてきたのかもしれない。また、ethnicityという認識、言葉への意識が強く出てきたのは、もっと後の時代なのだろうか、とも思った。
わたしの中では、人種(race)とは、生物学的な分類による身体的特徴から見た人間の区分(こう書くとひどく差別的な感じがするが)であり、民族(ethnicity)とは言語を共有する人の集団という認識がある。しかし同じ言語を使っていても、集団の住む地域や歴史、文化がまったく違うことは多々あり、それを同じ民族と言うのか。また人種といったとき、白人、黒人、黄色人種、、、それ以外には? また白人は1種類なのかなど曖昧な部分がたくさんある。そこで人種について、民族について、それぞれの定義やその違いを調べてみることにした。
まず人種(race)について。コンピューター(Mac/Apple)に付属している電子辞書で「race」を引いたところ、「同じ皮膚の色、肉体的特徴を持つ集団で、Caucasian、Negroid、Mongolian、Polynesianに大別される」とあった。そしてCaucasianとは「白人、コーカサス人」、Negroidは「黒人、黒色人種」、Mongolianは「モンゴル人」(Mongoloidの方が適切かもしれない)、Polynesianは「ポリネシア人」と出てきた。この分類は正しいのか。
日本語版ウィキペディアでは、「コーカソイド」は「主要な居住地はヨーロッパ、西アジア、北アフリカ、西北インド」とあった。身体的、遺伝的特徴として、鼻、眼、頭部、皮膚や体毛の特徴があげられていた。皮膚の色に関しては、メラニン色素が影響する関係で、褐色など白ではない肌色がかなり多いとも書かれている。髪の色も同様。英語版のウィキペディアでは、18〜19世紀の学者ブルーメンバッハ(医学、生理学、人類学)の定義として、肌の白さ、ピンクの頰、茶色から栗色の髪、球体に近い頭、卵型の顔に細い鼻、小さな口などが挙げられている。とはいえ、この学者も肌色については褐色までの広い範囲を認識していたようだ。つまり生物学的(あるいは人類学的)分類の「白人」には、褐色の肌の人も含まれていることになる。
Negroid(黒人)については日本語版ウィキペディアでは、「主要な居住地はサハラ以南のアフリカ大陸」とされている。また「DNA分析の成果によれば、現生人類発祥の地はアフリカにあるとされ、ネグロイドは出アフリカをせずアフリカにとどまった集団の直系の子孫とされる。」という説明があった。解剖学的な特徴としては、「頭部全体は小さめ」「手足が長く、特に膝から下が長い。手首、足首は細い。」といった記述があった。
モンゴロイドについては、日本語版ウィキペディアでは、「東アジア(北アジア及びチベット高原を含む)・東南アジアを中心に、中央アジア・南北アメリカ大陸・太平洋諸島及びアフリカ近辺のマダガスカル島に分布する。」とあった。マダガスカルについては、最近の遺伝学で、この地に住む人はアフリカとアジアの遺伝子が混ざっていることが証明されたそうだ。モンゴロイドの肌の色に関しては、「淡黄白色から褐色までかなりの幅がある」とあり、確かに東南アジアも含めるなら、肌色は黄色に限らないとは言えそうだ。肌色以外の特徴としては、古モンゴロイドは背が低く、彫りの深い顔、体毛が多いなどがあげられ、寒冷地で適応した新モンゴロイドは、体が比較的大きく、平面的な顔、体毛の少なさなどが挙げられていた。
Polynesian(ポリネシア人)については、果たして人種の分類なのか不明なところがある。Polynesianで検索して出てくるのは、「ポリネシア語を話す人の集団」だということ(英語版ウィキペディア)。しかし日本語版ウィキペディアでは「太平洋のポリネシアに住む人々の総称」となっており、人種的区分なのか民族的区分なのかはっきりしない。前述のブルーメンバーバッハは、「頭蓋骨の比較研究などを基礎に、コーカシア(白人種)、モンゴリカ(黄色人種)、エチオピカ(黒人種)、アメリカナ(赤色人種)、マライカ(茶色人種)の5種に人種を分類した」そうで、この中にはポリネシア人は入っていない。
ブルーメンバッハの人種分類について、英語版ウィキペディアを見てみると、マライカ(茶色人種)というのは東南アジアと太平洋諸島の人々(ポリネシア人はここに入りそうだ)、アメリカナ(赤色人種)とはアメリカインディアンを含む「赤色人種」となっている。アメリカインディアンを「赤」で表すことは聞いたことがあるが、それは肌の色なのか? 彼らはモンゴロイドを祖先にもつ人々だと思っていたのだが。
このように人種の分類については、色々な見方があり、決定的な分類はないことや、中でも肌の色については、メラニン色素の影響で変化が出やすく、肌色で人種は分けられないことがわかってくる。
生物学では動物の分類を網、目、科、属、種などで分けている。では人間はこの分類法でいうとどうなるのだろう。「生物の分類」という項目を日本語版ウィキペディアで見てみた。大きい分類からヒトを見ると、ドメイン:真核生物(エノキダケなどもこれに当たる。大腸菌は「細菌」)、界:動物界、門:脊椎動物亜門、網:哺乳網、目:サル目、科:ヒト科、属:ヒト属、種:ホモ・サピエンス。
因みに南米原産のカピバラを見てみると、界:動物界、門:脊椎動物亜門、網:哺乳網、目:ネズミ目、科:テンジクネズミ科、属:カピバラ属、種:カピバラ。テナガザルはどうか。界:動物界、門:脊椎動物亜門、網:哺乳網、目:サル目、科:テナガザル科、属:テナガザル属。種としては、フクロテナガザルなど9種の名が挙げられている。
うーん。要するに、生物学的に見た場合、ヒトは誰であれヒト属に分類され、ホモ・サピエンスという種に属するということ。そうして見ると「人種」=ヒトの種類とは何なのか、生物学的にはあまり意味のない種分けのように見えてきた。あるいは「人種」という見方は、生物学的というより、人類学的な、あるいは社会学的な分類によるものと見た方がいいのかもしれない。
もし人種(race)が、社会的な産物に過ぎない分類だとすれば、言葉の側面から見てみるのもいいかもしれない。まず英語のraceの語源を見てみよう。
Online Etymology Dictionaryというオンラインの語源辞書を見てみた。
http://www.etymonline.com/word/race
race (n.2)
「共通の家系にある人々」という意味で、16世紀フランスの中世の言葉race、古くはrazza(種族、血統、家族などの意味)から来ており、イタリア語のrazzaを元にすると考えられる(同根の言語であるポルトガル語、スペイン語はraza)。語源研究家は、ラテン語の「radix(root)」とは繋がりがないが、tribeやnationの語感はもっていると認めている。
英語の元々の意味でいうと「ワインの特徴的な香り」(1520年)、「共通の仕事をもつ人々の集団)(1500年)、「世代」(1540年)などがある。「蓄えを共有していると見なしている部族、国、人々」(1560年まで)。1774年になると「人間の身体的特徴を基にした重要な分類の一つ」という解釈が出てくるが、人類学者の間でこの分類が認められたことはないそうだ。
これらの定義を見ていくと、古くは血統や家族をもとにした、部族のような利益を共有する地域集団を表す言葉だったように見える。それが18世紀なって「人間の身体的特徴」という観点が出てきたのは、地域社会が外に広がり、よそから来た人々との交流が活発になったからかもしれない。そしてそれを利用して優位に立とうとした集団が出てきたのかもしれない。
今度は日本語の資料を見てみよう。国際人類学民族学会議での竹沢泰子さん(京都大学、文化人類学者)の話。
http://oldwww.zinbun.kyoto-u.ac.jp/conference/nhk.html
1. ヒトゲノム解読の点から言っても、集団ごとに遺伝子がセットになっていて、他の集団と異なるという人種概念は破綻している。
2. 皮膚や目の色に違いが出るのは、地域の環境による作用が大きい。
3. 従っって身体的特徴をもとに、人間に境界を引くのは生物学的に有効ではない。
4. オリンピックなどでの運動能力の差異についても、社会的状況や経済的な国の政策の影響の方がはるかに大きい。
5. さまざまな集団間における遺伝学的な差異は、ヨーロッパ人とアジア人の差より大きい。「アフリカ人の特性」というような十把一絡げな括り方はあり得ない。
「人種と民族の定義の違いは?」ではじまった問いは、人種という見方は存在しない、という結論に至りそうだ。それが今の時代のものの見方だということ。近年、海外の研究者の間では、コーカソイド、ネグロイドなどの言葉ではなく、ヨーロッパ人、アフリカ人、アジア人といった地理的な呼び方をするようになっているようだ。ということは、ヨーロッパ人の中には、日本からヨーロッパに移住した両親の子も入るわけで、この分類では身体的特徴は関係ないことになる。
生物学的、遺伝学的に見たとき人種の分類は意味をなさず、人類学者は人種に境界を引くことを受け入れていない、となれば、「人種」という区分の仕方はないのだ。分けても意味のない分類なのだ。昔は「人種」という区分をを利用することで利益を得られる人がいたので、この考えが広まり、浸透したのかもしれない。今のわたしたちが、これを利用する意味はあまりない。これによる差別などの悪弊の方がずっと大きいだろう。
でも人種などない、という考え方が一般的になっているかと言えば、それはそうでないと思う。実際、この記事を書きはじめる前のわたしには、その認識はなかった。この考えが浸透するには20年、30年かかるのだろう。
最初の問いに戻ると、民族の方はどうなのか。民族という分類はあるのか。これについては次回また考えてみたい。
確かに人種と民族とは混ざり合っているようにも思え、イメージの中では、線引きが難しい、あるいは無頓着に使われている言葉なのかもしれない。20世紀初頭のヨーロッパ人の文章を読んでいても、民族(ethnicity)と言われるべきところに、人種(race)や国家(nation, nationality)という言葉が使われていることがある。人種という言葉は、定義が曖昧なまま、人間集団を区分するときに広く適用されてきたのかもしれない。また、ethnicityという認識、言葉への意識が強く出てきたのは、もっと後の時代なのだろうか、とも思った。
わたしの中では、人種(race)とは、生物学的な分類による身体的特徴から見た人間の区分(こう書くとひどく差別的な感じがするが)であり、民族(ethnicity)とは言語を共有する人の集団という認識がある。しかし同じ言語を使っていても、集団の住む地域や歴史、文化がまったく違うことは多々あり、それを同じ民族と言うのか。また人種といったとき、白人、黒人、黄色人種、、、それ以外には? また白人は1種類なのかなど曖昧な部分がたくさんある。そこで人種について、民族について、それぞれの定義やその違いを調べてみることにした。
まず人種(race)について。コンピューター(Mac/Apple)に付属している電子辞書で「race」を引いたところ、「同じ皮膚の色、肉体的特徴を持つ集団で、Caucasian、Negroid、Mongolian、Polynesianに大別される」とあった。そしてCaucasianとは「白人、コーカサス人」、Negroidは「黒人、黒色人種」、Mongolianは「モンゴル人」(Mongoloidの方が適切かもしれない)、Polynesianは「ポリネシア人」と出てきた。この分類は正しいのか。
日本語版ウィキペディアでは、「コーカソイド」は「主要な居住地はヨーロッパ、西アジア、北アフリカ、西北インド」とあった。身体的、遺伝的特徴として、鼻、眼、頭部、皮膚や体毛の特徴があげられていた。皮膚の色に関しては、メラニン色素が影響する関係で、褐色など白ではない肌色がかなり多いとも書かれている。髪の色も同様。英語版のウィキペディアでは、18〜19世紀の学者ブルーメンバッハ(医学、生理学、人類学)の定義として、肌の白さ、ピンクの頰、茶色から栗色の髪、球体に近い頭、卵型の顔に細い鼻、小さな口などが挙げられている。とはいえ、この学者も肌色については褐色までの広い範囲を認識していたようだ。つまり生物学的(あるいは人類学的)分類の「白人」には、褐色の肌の人も含まれていることになる。
Negroid(黒人)については日本語版ウィキペディアでは、「主要な居住地はサハラ以南のアフリカ大陸」とされている。また「DNA分析の成果によれば、現生人類発祥の地はアフリカにあるとされ、ネグロイドは出アフリカをせずアフリカにとどまった集団の直系の子孫とされる。」という説明があった。解剖学的な特徴としては、「頭部全体は小さめ」「手足が長く、特に膝から下が長い。手首、足首は細い。」といった記述があった。
モンゴロイドについては、日本語版ウィキペディアでは、「東アジア(北アジア及びチベット高原を含む)・東南アジアを中心に、中央アジア・南北アメリカ大陸・太平洋諸島及びアフリカ近辺のマダガスカル島に分布する。」とあった。マダガスカルについては、最近の遺伝学で、この地に住む人はアフリカとアジアの遺伝子が混ざっていることが証明されたそうだ。モンゴロイドの肌の色に関しては、「淡黄白色から褐色までかなりの幅がある」とあり、確かに東南アジアも含めるなら、肌色は黄色に限らないとは言えそうだ。肌色以外の特徴としては、古モンゴロイドは背が低く、彫りの深い顔、体毛が多いなどがあげられ、寒冷地で適応した新モンゴロイドは、体が比較的大きく、平面的な顔、体毛の少なさなどが挙げられていた。
Polynesian(ポリネシア人)については、果たして人種の分類なのか不明なところがある。Polynesianで検索して出てくるのは、「ポリネシア語を話す人の集団」だということ(英語版ウィキペディア)。しかし日本語版ウィキペディアでは「太平洋のポリネシアに住む人々の総称」となっており、人種的区分なのか民族的区分なのかはっきりしない。前述のブルーメンバーバッハは、「頭蓋骨の比較研究などを基礎に、コーカシア(白人種)、モンゴリカ(黄色人種)、エチオピカ(黒人種)、アメリカナ(赤色人種)、マライカ(茶色人種)の5種に人種を分類した」そうで、この中にはポリネシア人は入っていない。
ブルーメンバッハの人種分類について、英語版ウィキペディアを見てみると、マライカ(茶色人種)というのは東南アジアと太平洋諸島の人々(ポリネシア人はここに入りそうだ)、アメリカナ(赤色人種)とはアメリカインディアンを含む「赤色人種」となっている。アメリカインディアンを「赤」で表すことは聞いたことがあるが、それは肌の色なのか? 彼らはモンゴロイドを祖先にもつ人々だと思っていたのだが。
このように人種の分類については、色々な見方があり、決定的な分類はないことや、中でも肌の色については、メラニン色素の影響で変化が出やすく、肌色で人種は分けられないことがわかってくる。
生物学では動物の分類を網、目、科、属、種などで分けている。では人間はこの分類法でいうとどうなるのだろう。「生物の分類」という項目を日本語版ウィキペディアで見てみた。大きい分類からヒトを見ると、ドメイン:真核生物(エノキダケなどもこれに当たる。大腸菌は「細菌」)、界:動物界、門:脊椎動物亜門、網:哺乳網、目:サル目、科:ヒト科、属:ヒト属、種:ホモ・サピエンス。
因みに南米原産のカピバラを見てみると、界:動物界、門:脊椎動物亜門、網:哺乳網、目:ネズミ目、科:テンジクネズミ科、属:カピバラ属、種:カピバラ。テナガザルはどうか。界:動物界、門:脊椎動物亜門、網:哺乳網、目:サル目、科:テナガザル科、属:テナガザル属。種としては、フクロテナガザルなど9種の名が挙げられている。
うーん。要するに、生物学的に見た場合、ヒトは誰であれヒト属に分類され、ホモ・サピエンスという種に属するということ。そうして見ると「人種」=ヒトの種類とは何なのか、生物学的にはあまり意味のない種分けのように見えてきた。あるいは「人種」という見方は、生物学的というより、人類学的な、あるいは社会学的な分類によるものと見た方がいいのかもしれない。
もし人種(race)が、社会的な産物に過ぎない分類だとすれば、言葉の側面から見てみるのもいいかもしれない。まず英語のraceの語源を見てみよう。
Online Etymology Dictionaryというオンラインの語源辞書を見てみた。
http://www.etymonline.com/word/race
race (n.2)
「共通の家系にある人々」という意味で、16世紀フランスの中世の言葉race、古くはrazza(種族、血統、家族などの意味)から来ており、イタリア語のrazzaを元にすると考えられる(同根の言語であるポルトガル語、スペイン語はraza)。語源研究家は、ラテン語の「radix(root)」とは繋がりがないが、tribeやnationの語感はもっていると認めている。
英語の元々の意味でいうと「ワインの特徴的な香り」(1520年)、「共通の仕事をもつ人々の集団)(1500年)、「世代」(1540年)などがある。「蓄えを共有していると見なしている部族、国、人々」(1560年まで)。1774年になると「人間の身体的特徴を基にした重要な分類の一つ」という解釈が出てくるが、人類学者の間でこの分類が認められたことはないそうだ。
これらの定義を見ていくと、古くは血統や家族をもとにした、部族のような利益を共有する地域集団を表す言葉だったように見える。それが18世紀なって「人間の身体的特徴」という観点が出てきたのは、地域社会が外に広がり、よそから来た人々との交流が活発になったからかもしれない。そしてそれを利用して優位に立とうとした集団が出てきたのかもしれない。
今度は日本語の資料を見てみよう。国際人類学民族学会議での竹沢泰子さん(京都大学、文化人類学者)の話。
http://oldwww.zinbun.kyoto-u.ac.jp/conference/nhk.html
1. ヒトゲノム解読の点から言っても、集団ごとに遺伝子がセットになっていて、他の集団と異なるという人種概念は破綻している。
2. 皮膚や目の色に違いが出るのは、地域の環境による作用が大きい。
3. 従っって身体的特徴をもとに、人間に境界を引くのは生物学的に有効ではない。
4. オリンピックなどでの運動能力の差異についても、社会的状況や経済的な国の政策の影響の方がはるかに大きい。
5. さまざまな集団間における遺伝学的な差異は、ヨーロッパ人とアジア人の差より大きい。「アフリカ人の特性」というような十把一絡げな括り方はあり得ない。
「人種と民族の定義の違いは?」ではじまった問いは、人種という見方は存在しない、という結論に至りそうだ。それが今の時代のものの見方だということ。近年、海外の研究者の間では、コーカソイド、ネグロイドなどの言葉ではなく、ヨーロッパ人、アフリカ人、アジア人といった地理的な呼び方をするようになっているようだ。ということは、ヨーロッパ人の中には、日本からヨーロッパに移住した両親の子も入るわけで、この分類では身体的特徴は関係ないことになる。
生物学的、遺伝学的に見たとき人種の分類は意味をなさず、人類学者は人種に境界を引くことを受け入れていない、となれば、「人種」という区分の仕方はないのだ。分けても意味のない分類なのだ。昔は「人種」という区分をを利用することで利益を得られる人がいたので、この考えが広まり、浸透したのかもしれない。今のわたしたちが、これを利用する意味はあまりない。これによる差別などの悪弊の方がずっと大きいだろう。
でも人種などない、という考え方が一般的になっているかと言えば、それはそうでないと思う。実際、この記事を書きはじめる前のわたしには、その認識はなかった。この考えが浸透するには20年、30年かかるのだろう。
最初の問いに戻ると、民族の方はどうなのか。民族という分類はあるのか。これについては次回また考えてみたい。