テクノロジーの進化とW杯ロシア大会
サッカーW杯ロシア大会がスタートした。2010年の南アフリカ大会、2014年のブラジル大会につづいて、なるべくたくさんの試合を観戦しようと思っている。すべての試合が地上波のNHKと民放で放映される予定だ。
サッカーの何がそんなに面白いの?と聞かれることがある。答えは展開や結果が予測できないから。八百長試合でもないかぎり、短期決戦のトーナメント戦では、強豪チームと弱小チームがマッチアップする場合でさえ、やってみないことにはどのような試合になるかは誰にもわからない。そこが面白い。
90分という時間の中で、両チームが何をし、どのような策を練り、それをどう実行していくか。負傷や退場など、思わぬハプニングも起こる。そのすべてが予測不可能。だから試合を見る前に、結果を知ってしまうことはあってはならないこと(平気な人もいるらしいが)。時差のある地域の試合をすべてライブで見れるわけではないので、録画で翌日見ることになり、結果の情報が入らないようにするには、ネットの閲覧をコントロールする必要がある。
情報というのは、今や手に入れることより、制御することの方が難しいかもしれない。ネットを閲覧していれば、速報を含め、逐次試合結果が流れてくる。うっかりGoogleで、検索ボックスにどこかの国名を入れただけで、W杯の試合結果が表示される可能性もある。たとえば「サッカー」とか「W杯」と書かなくても、今なら「セネガル 日本」と入れただけで、試合結果が出てくる可能性はとても高い。
ウィキペディアでも、たとえばテニスの四大大会などの結果は、対戦中にリアルタイムでどんどんアップデートされる(英語サイト)。テレビで見られないときは、これを見ていれば、試合の進行が最速でわかる(大会のオフィシャルページの更新とさして変わらない早さかもしれない)。逆に録画で試合を見ようと思っているときは、絶対にサイトに行ってはダメだ。情報の遮断をする。
スペイン・サッカーに詳しいコメンテーターの小澤一郎さんという人が、W杯開会前に気になることを言っていた。今回の大会は今までのものと、かなり違ったものになるだろう、というのだ。何が違うのだろう、とずっと考えていた。そして思い当たったのは、今大会からFIFA(国際サッカー連盟)が導入した、V A Rとリアルタイム・データ配信のシステムだ。W杯では、毎回なにかしら新しい技術がピッチの内外で披露される。
2010年の南アフリカ大会のときは、映像技術において様々な試みがされていた。以下は葉っぱの坑夫サイトに掲載したときの記録から。
<中継映像 1>
FIFA制作の中継映像が、放映権を得た各テレビ局によって流されている。プログラムのアイキャッチ映像、各チームの紹介プログラム(競技の進行に従って、各試合に即した新しいものが現場でつくられている)、実況中継、この三つが提供される主な内容である。これを基本に各テレビ局では、解説者やゲストを迎えての分析や感想を加えて番組にしている。今大会の映像で気づいたことは、何台ものカメラによるアングルの多彩さ。中でもかなり高い位置からのピッチ全体を見下ろす俯瞰の映像は圧巻だった。一斉にゴールに向かって走り出す攻守のプレイヤーたちを野生動物のように美しく捉えていた。ゴールネット隅の背後から捉えた、ゴール瞬間の映像も迫力があった。再生映像では、プレイの直後に数種類のアングルから捉えたものを畳み込むようにスピーディに流したり、ズーム・インで捉えた決定的瞬間の選手の動きや表情をストップモーションや超スロウ再生で映し出したり、高度な技術とアート性を感じた。前者は見る者にこのスポーツへの理解を深めさせるのに役立つだろうし、後者は文学や音楽や演劇などで人間が表そうとしているものを瞬時の判断で見事に一つの映像に結晶させていた。
超スロウ映像の多用については、ちょっとやりすぎではないか、大事なライブ映像を逃してしまう、という批判もあったようで、それ以降の大会では、もっとシンプルな映像になっている。2010年はひとつの試みであったと想像される。悪いことはではない。今大会でも、ここはというシーンでは、選手の表情のクローズアップなどがスロウ映像で捉えられている。
2014年のブラジル大会では、ゴールライン・テクノロジーのシステムが導入され、ボールがゴールラインを割ったか(ゴールマウスの中に完全に入ったか)を、必要に応じて判断基準に取り入れることになった。テニスでもそうだが、ボールがラインから完全に離れていること、つまりボールがラインに触れていないことが基準になる。サッカーではボールが見た目、ゴール内に入っているように見えても、ラインの内側とボールがわずかでも触れていればノーゴールになる。これをレフェリーが目で判断しかねるとき、映像データシステムをつかってゴールかどうか決めるのだ。この技術が出てきたときは、試合が中断されるなどの理由で賛否両論だったが、今ではヨーロッパのいくつかのリーグで導入されているようだ。
そして2018年ロシア大会で導入されたのが、V A Rとリアルタイム・データの配信だ。V A Rとはヴィデオ・アシスタント・レフェリーのことで、危険なファールやハンドなどカードの対象になるようなプレー、ファールによるPK(ペナルティキック)やオフサイドの判定など得点にからむシーンで、レフェリーが見逃したり、死角で見えなかったりしたプレーを、ヴィデオの映像を使用して判断の助けとする仕組。これも試合が中断されるなどの理由で反対意見がかなりあったようだが、採用の仕方の改善などもあって、ロシア大会でこれまで行なわれたものについては、さほど大きなストレスは感じなかった。親善試合などのテスト期間で見たときは、レフェリーがその場でプレーを止めて、ピッチの外にあるモニターを見にいき、そこでセンターとやり取りする、というやり方で時間がかかっていた。
ロシア大会では、プレーはそのまま続行し、判定に問題があるかもしれないと判断された場合のみ、レフェリーがピッチ外にセッティングされたモニターの前まで走っていき、映像を確認する。そこに至るまでは、試合を止めずに進めている。問題の提出はレフェリーからモスクワにあるセンターに委任されるのか、それともセンターからレフェリーに連絡がいくのか、その両方なのかわからない。V A Rセンターの側にも各国のレフェリーがいるので、そのレフェリーの映像確認によって問題の箇所が通達され、ピッチ内の主審レフェリーがそれを見た上で判断するのではないか。ここまで見た試合でV A Rを利用したケースでは、V A Rの映像が判定結果につながっていた。グループリーグ第2戦、白熱した0ー0状態のブラジル対コスタリカ戦では、レフェリーにより「ファールによるPK」といったん判断されたものが、V A Rの映像確認によって覆された。
主審レフェリーが映像確認して裁定を下すまでの時間は、それほど長くはない。これにより公平性が高まるのであれば、V A Rの使用は多くの人が納得するのではないか。(グループリーグ第3戦のポルトガル対イランの試合では、レフェリーの質の低さから、V A Rの使用時にも混乱があったが)
レフェリーが駆け足でピッチを離れ、設置されたモニターに一人向き合っている図は、なにか面白いものがある。不思議な光景というか。アドレナリンが多量に放出されている熱い戦いのさなかに、クールな風がヒョロヒョロと通り抜けていったみたいな。それが理由で試合の邪魔になるという人もいるかもしれない。それはそれで理解できる。ただ完璧にとはいかないまでも、可能なかぎり裁定に公平性をという意図は、それはそれで正しい。技術を手にしたとき、それを使うかどうかは人間の判断に任さられる。しかし手にしている技術を使わない、という判断を下すこともそれはそれで難しい。
人間がやっている遊び(スポーツ)なのに、公平性のためだからと言って、機械を入れることはサッカーをつまらなくする、という考えもあるかもしれない。レフェリーが、100%、間違うことなく正しい判断をするのは、人間の能力を超えることだ。人間の限界を理解し、機械で補う。どう考えるかは人によると思う。ただ判断基準はあるのだから、機械の力を借りれば、判断の精度はあがり、レフェリング全体の技術の向上にもつながるかもしれない。
ただ一つ思ったのは、V A Rが当たり前になったとき、どんな判定もV A Rさえ通せばお墨付きの決定事項となり、誰も異を唱えられないかもしれない、ということ。今大会のベルギー対チュニジア戦で、少し疑問に感じたことがあった。試合開始後まもなく、ベルギーのスタープレイヤー、アザールが猛スピードでチュニジアのゴール前(ペナルティエリア)に走りこもうとした。チュニジアの選手がそれを猛追し、ファールが起きた。画面で見ていた感じでは、ファールが起きたのはペナルティエリアの線の外に見えた。すぐに鋭いホイッスルが鳴り、レフェリーは迷いなく即座にペナルティキッックを指示。すぐにテレビの再生映像が様々な角度からその場面を映し出した。それを見た感じから言うと、足がかかった場所はエリアの外に見えた。PKを蹴る前にV A Rで確認ということになり、レフェリーがモニターに走ったが、一瞬で判断してピッチに戻ってきて判定どおりのPKを指示した。えーっ!という感じだった。外でしょ? (いや、V A Rの診断には、人の目では捉えられない、何か特別な基準があるのかもしれない?) 試合後のハイライト映像を流しているとき、番組MCの一人も「外でしょ」と小さくつぶやいていた。微妙な位置だったことは間違いない。
試合はその後、ベルギーが勢いづいて次々に得点し、5ー2の大差で勝利した。確かにベルギーは強いし、実力はチュニジアの比ではない。このような結果になれば、あのPK判定のことは皆忘れてしまうだろう。チュニジアの選手以外は。そしてベルギーの揺るぎない強さが絶賛される。しかしあのPKの1点は最初の得点であり、意外にもそこまでベルギーがチュニジアに結構攻め込まれていたことを考えれば、あのPKはベルギーにとって天からの恵み。サッカーというのはこんな風にして流れが変わり、試合を決定することがある。
何故わたしがこの判定にこだわるかと言うと、同じグループの第1戦、イングランド対チュニジア戦で、実力差があるはずのイングランドがチュニジアに攻め込まれ、追加点に苦労していたからだ。チュニジアに得点を許したイングランドは、1ー1のまま試合を終えそうだった。最後の最後、アディショナルタイムにやっと1点入れ返し、まあこれが実力の差かもしれないが、この試合でイングランドが勝利するために苦労したことは確かだった。世界ランクでいうと、チュニジアは21位とアフリカ勢で最高位、一方イングランドは最近調子がいいと言っても12位。10位分の差だ。「チュニジアは弱小チーム」という一般的なイメージは当たらない。あれだけ攻め込んでいたのもわかる。
そんな試合の流れだったので、評判の高かったイングランドの実力を疑う人もいたようだが、わたしはむしろチュニジアの実力の程に関心が向いた。ベルギー戦を見れば、ある程度わかるだろう、というつもりでその試合を見ていた。だから試合開始まもなく、疑わしいPKの判定が下されたことにはがっかりした。V A Rにより判定が決定したことで、このファールの位置は問答無用になった。V A Rはもし意図して使おうと思えば、そのように(ダメ押しとして)も使えるのではないか、という疑問が起きた。意図としてはもちろん、正確さや公平性を保つため、誤審を減らすためにあるのだが。小さなささくれのようなものが残った。
次は今回取り入れられたもう一つのテクノロジー、リアルタイム・データの配信について。メディアや実況などでまだあまり取り上げられていないが、今大会から、F IF Aがピッチで行なわれている試合からデータを収集し、それを各チームに2台ずつ配ったタブレットに、リアルタイムで配信するというシステムのことだ。「コーチングの目的で情報収集を行ない、そのデータをベンチに送ること」をF IF Aが許可した、ということらしい。タブレットを配ったり、情報を配信しているのだから、F IF Aはこれを推進しているようにも見える。あるいはすでにデータ利用に着手している国もあるようなので、いずれ広まるということでコントロールしようとしているのかもしれない。
データの内容はどんなものかというと、選手の位置データやパス、プレス、スピード、タックルなどをトラッキングしたものの統計や、30秒遅れの試合映像といったもののようだ。このデータをアナリストが分析し、コーチや監督、あるいは医療スタッフに提示するとか。これを元に、監督は目で見た試合状況だけでなく、データから得た情報によって戦略を変更したり、選手交代をしたりするのだろうか。どこかの国のチームでは、スタンドにいるアナリストとベンチの監督とのやり取りがスムーズにいくか、大会前にシミュレーションしたと聞いた。
ここまで試合を見ている感じでは、監督やコーチが表だってタブレットを手にしている姿は見られない。どのように利用しているかは、チームのIT技術の進度や理解によるのかもしれない。しかしこういうものが出てきたということは、4年後の次の大会では、話題としてもっと出てくるのではないか。今大会でいい成績をあげたチームが、有効利用していたなどということになれば、なおのこと。
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この記事の草稿を書いているとき、レフェリングについて、2010年の南アフリカ大会のときの記録をいくつか確認してみた。V A Rのない時代のレフェリングについて。
<レフェリー>
ルールに則って行なわれることであっても、一つ一つの判断は個々のレフェリーの裁量によってなされ、解釈されるわけで、ときに事実との食い違い、誤審や微妙な裁定も下される。今大会でも決勝トーナメント1回戦のドイツ、イングランド戦でのゴール判定、アルゼンチン、メキシコ戦でのオフサイドの見逃しが大きな話題となった。どちらも誤審だったことが再生映像によりFIFAによっても認められた。誤審のあったプレイは直後に、スタジアムの大型スクリーン上で繰り返し再生され、観衆もそれを見ていた。判定はくつがえらなかったので、誤審のまま試合は進んだ。
(「ドキュメント<2010年南アフリカの小宇宙> サッカーW杯全試合観戦記」より)
2010年の大会ではV A Rは導入されていなかったものの、スタジアムの大型スクリーンではリプレイされ、観衆もテレビで見ている人もそれを目撃していた。このとき思ったのは、誤審は問題だが、レフェリー(人間)が間違うことがあるという事実を、見ている人全員が共有していることの大事さだった。おそらくこのような誤審を避けるため、今回のV A Rが導入されたのだろう。しかし2010年の時点で、リプレイ画像によって「事実」の情報の一部は提供されていた。目でリアルタイムで一度だけ見たものではなく、様々な角度から撮った再生映像によって事実確認する、という方法論は、すでにこの時点で示されていたことになる。
今回映像で気づいたことがもう一つ。これまでの大会では(少なくとも2010年のスカパーでは)、テレビ放映される映像はF IF A提供の国際映像だったのではないか、と思うのだが、今大会ではローカライズされたものが流されていた。日本、セネガル戦を見ていて、日本目線の映像ばかりなので、それに気づいた。日本向け映像(カメラマンが日本人、または日本のサッカー事情を知る者でないと撮れない)というのを購入できるのかもしれない。このあたりは調べてみないとわからない。日本では世界標準のものより、「日本向け」映像の方が「気持ち的に」ずっとウケるし、共感しやすいのだ。日本人選手の姿や表情を中心に捉えるだけでなく、スタンドに来ている「久保くん」の顔を捉えていたのでわかった。日本で久保くんは、子ども時代にバルセロナF Cのカンテーラ(下部組織)にいたことで有名人の仲間入りしている。サッカーでまだ何を成したというわけではないのに、すでにW杯中のテレビコマーシャルで単独起用されるほどの売れっ子ぶりだ。16歳になった久保くんの顔を認識しているのは、日本にいる日本人と日本のメディアくらいだと思われる。
2010年の大会はC Sのスカパーで全試合を見た。あのときのスカパーのW杯全試合放映のテーマは「世界標準」だった。だから国際映像を採用していたのかもしれない。2010年のときも民法やNHKでは、日本戦については、ローカライズされた映像を流していた可能性もある。わたしはもし選べるなら、日本の試合も国際映像で見たい。せっかく国際大会を見ているのに、日本人目線の映像でそれを見る理由はない。今回の日本、セネガルの試合の場合も、日本の選手はよく知っているわけで、むしろセネガルの選手の表情や姿をもっと見たかった。
多分こういった感想はまったく一般的でないとは思う。多くの人にとってどうでもいいことかもしれない(日本在住のセネガル人は別にして)。しかし気になる者にとっては、実況のコメントを聞いていても、(日本戦に関しては)自分が目で見ているものと違うことが話されていることも多い。コメントの方向は「良い面を強調し、批評、批判はしない」。不思議なもので、このようなコメントを素直に聞いて見ていると、自分の目で見た映像もその方向で修正されていく。情報というのは、このような入り方をして人々の脳に浸透していき「事実」となる。