20180628

テクノロジーの進化とW杯ロシア大会



サッカーW杯ロシア大会がスタートした。2010年の南アフリカ大会、2014年のブラジル大会につづいて、なるべくたくさんの試合を観戦しようと思っている。すべての試合が地上波のNHKと民放で放映される予定だ。

サッカーの何がそんなに面白いの?と聞かれることがある。答えは展開や結果が予測できないから。八百長試合でもないかぎり、短期決戦のトーナメント戦では、強豪チームと弱小チームがマッチアップする場合でさえ、やってみないことにはどのような試合になるかは誰にもわからない。そこが面白い。

90分という時間の中で、両チームが何をし、どのような策を練り、それをどう実行していくか。負傷や退場など、思わぬハプニングも起こる。そのすべてが予測不可能。だから試合を見る前に、結果を知ってしまうことはあってはならないこと(平気な人もいるらしいが)。時差のある地域の試合をすべてライブで見れるわけではないので、録画で翌日見ることになり、結果の情報が入らないようにするには、ネットの閲覧をコントロールする必要がある。

情報というのは、今や手に入れることより、制御することの方が難しいかもしれない。ネットを閲覧していれば、速報を含め、逐次試合結果が流れてくる。うっかりGoogleで、検索ボックスにどこかの国名を入れただけで、W杯の試合結果が表示される可能性もある。たとえば「サッカー」とか「W杯」と書かなくても、今なら「セネガル 日本」と入れただけで、試合結果が出てくる可能性はとても高い。

ウィキペディアでも、たとえばテニスの四大大会などの結果は、対戦中にリアルタイムでどんどんアップデートされる(英語サイト)。テレビで見られないときは、これを見ていれば、試合の進行が最速でわかる(大会のオフィシャルページの更新とさして変わらない早さかもしれない)。逆に録画で試合を見ようと思っているときは、絶対にサイトに行ってはダメだ。情報の遮断をする。

スペイン・サッカーに詳しいコメンテーターの小澤一郎さんという人が、W杯開会前に気になることを言っていた。今回の大会は今までのものと、かなり違ったものになるだろう、というのだ。何が違うのだろう、とずっと考えていた。そして思い当たったのは、今大会からFIFA(国際サッカー連盟)が導入した、V A Rとリアルタイム・データ配信のシステムだ。W杯では、毎回なにかしら新しい技術がピッチの内外で披露される。

2010年の南アフリカ大会のときは、映像技術において様々な試みがされていた。以下は葉っぱの坑夫サイトに掲載したときの記録から。

<中継映像 1>
FIFA制作の中継映像が、放映権を得た各テレビ局によって流されている。プログラムのアイキャッチ映像、各チームの紹介プログラム(競技の進行に従って、各試合に即した新しいものが現場でつくられている)、実況中継、この三つが提供される主な内容である。これを基本に各テレビ局では、解説者やゲストを迎えての分析や感想を加えて番組にしている。今大会の映像で気づいたことは、何台ものカメラによるアングルの多彩さ。中でもかなり高い位置からのピッチ全体を見下ろす俯瞰の映像は圧巻だった。一斉にゴールに向かって走り出す攻守のプレイヤーたちを野生動物のように美しく捉えていた。ゴールネット隅の背後から捉えた、ゴール瞬間の映像も迫力があった。再生映像では、プレイの直後に数種類のアングルから捉えたものを畳み込むようにスピーディに流したり、ズーム・インで捉えた決定的瞬間の選手の動きや表情をストップモーションや超スロウ再生で映し出したり、高度な技術とアート性を感じた。前者は見る者にこのスポーツへの理解を深めさせるのに役立つだろうし、後者は文学や音楽や演劇などで人間が表そうとしているものを瞬時の判断で見事に一つの映像に結晶させていた。


超スロウ映像の多用については、ちょっとやりすぎではないか、大事なライブ映像を逃してしまう、という批判もあったようで、それ以降の大会では、もっとシンプルな映像になっている。2010年はひとつの試みであったと想像される。悪いことはではない。今大会でも、ここはというシーンでは、選手の表情のクローズアップなどがスロウ映像で捉えられている。

2014年のブラジル大会では、ゴールライン・テクノロジーのシステムが導入され、ボールがゴールラインを割ったか(ゴールマウスの中に完全に入ったか)を、必要に応じて判断基準に取り入れることになった。テニスでもそうだが、ボールがラインから完全に離れていること、つまりボールがラインに触れていないことが基準になる。サッカーではボールが見た目、ゴール内に入っているように見えても、ラインの内側とボールがわずかでも触れていればノーゴールになる。これをレフェリーが目で判断しかねるとき、映像データシステムをつかってゴールかどうか決めるのだ。この技術が出てきたときは、試合が中断されるなどの理由で賛否両論だったが、今ではヨーロッパのいくつかのリーグで導入されているようだ。

そして2018年ロシア大会で導入されたのが、V A Rとリアルタイム・データの配信だ。V A Rとはヴィデオ・アシスタント・レフェリーのことで、危険なファールやハンドなどカードの対象になるようなプレー、ファールによるPK(ペナルティキック)やオフサイドの判定など得点にからむシーンで、レフェリーが見逃したり、死角で見えなかったりしたプレーを、ヴィデオの映像を使用して判断の助けとする仕組。これも試合が中断されるなどの理由で反対意見がかなりあったようだが、採用の仕方の改善などもあって、ロシア大会でこれまで行なわれたものについては、さほど大きなストレスは感じなかった。親善試合などのテスト期間で見たときは、レフェリーがその場でプレーを止めて、ピッチの外にあるモニターを見にいき、そこでセンターとやり取りする、というやり方で時間がかかっていた。

ロシア大会では、プレーはそのまま続行し、判定に問題があるかもしれないと判断された場合のみ、レフェリーがピッチ外にセッティングされたモニターの前まで走っていき、映像を確認する。そこに至るまでは、試合を止めずに進めている。問題の提出はレフェリーからモスクワにあるセンターに委任されるのか、それともセンターからレフェリーに連絡がいくのか、その両方なのかわからない。V A Rセンターの側にも各国のレフェリーがいるので、そのレフェリーの映像確認によって問題の箇所が通達され、ピッチ内の主審レフェリーがそれを見た上で判断するのではないか。ここまで見た試合でV A Rを利用したケースでは、V A Rの映像が判定結果につながっていた。グループリーグ第2戦、白熱した0ー0状態のブラジル対コスタリカ戦では、レフェリーにより「ファールによるPK」といったん判断されたものが、V A Rの映像確認によって覆された。 

主審レフェリーが映像確認して裁定を下すまでの時間は、それほど長くはない。これにより公平性が高まるのであれば、V A Rの使用は多くの人が納得するのではないか。(グループリーグ第3戦のポルトガル対イランの試合では、レフェリーの質の低さから、V A Rの使用時にも混乱があったが)

レフェリーが駆け足でピッチを離れ、設置されたモニターに一人向き合っている図は、なにか面白いものがある。不思議な光景というか。アドレナリンが多量に放出されている熱い戦いのさなかに、クールな風がヒョロヒョロと通り抜けていったみたいな。それが理由で試合の邪魔になるという人もいるかもしれない。それはそれで理解できる。ただ完璧にとはいかないまでも、可能なかぎり裁定に公平性をという意図は、それはそれで正しい。技術を手にしたとき、それを使うかどうかは人間の判断に任さられる。しかし手にしている技術を使わない、という判断を下すこともそれはそれで難しい。

人間がやっている遊び(スポーツ)なのに、公平性のためだからと言って、機械を入れることはサッカーをつまらなくする、という考えもあるかもしれない。レフェリーが、100%、間違うことなく正しい判断をするのは、人間の能力を超えることだ。人間の限界を理解し、機械で補う。どう考えるかは人によると思う。ただ判断基準はあるのだから、機械の力を借りれば、判断の精度はあがり、レフェリング全体の技術の向上にもつながるかもしれない。

ただ一つ思ったのは、V A Rが当たり前になったとき、どんな判定もV A Rさえ通せばお墨付きの決定事項となり、誰も異を唱えられないかもしれない、ということ。今大会のベルギー対チュニジア戦で、少し疑問に感じたことがあった。試合開始後まもなく、ベルギーのスタープレイヤー、アザールが猛スピードでチュニジアのゴール前(ペナルティエリア)に走りこもうとした。チュニジアの選手がそれを猛追し、ファールが起きた。画面で見ていた感じでは、ファールが起きたのはペナルティエリアの線の外に見えた。すぐに鋭いホイッスルが鳴り、レフェリーは迷いなく即座にペナルティキッックを指示。すぐにテレビの再生映像が様々な角度からその場面を映し出した。それを見た感じから言うと、足がかかった場所はエリアの外に見えた。PKを蹴る前にV A Rで確認ということになり、レフェリーがモニターに走ったが、一瞬で判断してピッチに戻ってきて判定どおりのPKを指示した。えーっ!という感じだった。外でしょ? (いや、V A Rの診断には、人の目では捉えられない、何か特別な基準があるのかもしれない?) 試合後のハイライト映像を流しているとき、番組MCの一人も「外でしょ」と小さくつぶやいていた。微妙な位置だったことは間違いない。

試合はその後、ベルギーが勢いづいて次々に得点し、5ー2の大差で勝利した。確かにベルギーは強いし、実力はチュニジアの比ではない。このような結果になれば、あのPK判定のことは皆忘れてしまうだろう。チュニジアの選手以外は。そしてベルギーの揺るぎない強さが絶賛される。しかしあのPKの1点は最初の得点であり、意外にもそこまでベルギーがチュニジアに結構攻め込まれていたことを考えれば、あのPKはベルギーにとって天からの恵み。サッカーというのはこんな風にして流れが変わり、試合を決定することがある。

何故わたしがこの判定にこだわるかと言うと、同じグループの第1戦、イングランド対チュニジア戦で、実力差があるはずのイングランドがチュニジアに攻め込まれ、追加点に苦労していたからだ。チュニジアに得点を許したイングランドは、1ー1のまま試合を終えそうだった。最後の最後、アディショナルタイムにやっと1点入れ返し、まあこれが実力の差かもしれないが、この試合でイングランドが勝利するために苦労したことは確かだった。世界ランクでいうと、チュニジアは21位とアフリカ勢で最高位、一方イングランドは最近調子がいいと言っても12位。10位分の差だ。「チュニジアは弱小チーム」という一般的なイメージは当たらない。あれだけ攻め込んでいたのもわかる。

そんな試合の流れだったので、評判の高かったイングランドの実力を疑う人もいたようだが、わたしはむしろチュニジアの実力の程に関心が向いた。ベルギー戦を見れば、ある程度わかるだろう、というつもりでその試合を見ていた。だから試合開始まもなく、疑わしいPKの判定が下されたことにはがっかりした。V A Rにより判定が決定したことで、このファールの位置は問答無用になった。V A Rはもし意図して使おうと思えば、そのように(ダメ押しとして)も使えるのではないか、という疑問が起きた。意図としてはもちろん、正確さや公平性を保つため、誤審を減らすためにあるのだが。小さなささくれのようなものが残った。

次は今回取り入れられたもう一つのテクノロジー、リアルタイム・データの配信について。メディアや実況などでまだあまり取り上げられていないが、今大会から、F IF Aがピッチで行なわれている試合からデータを収集し、それを各チームに2台ずつ配ったタブレットに、リアルタイムで配信するというシステムのことだ。「コーチングの目的で情報収集を行ない、そのデータをベンチに送ること」をF IF Aが許可した、ということらしい。タブレットを配ったり、情報を配信しているのだから、F IF Aはこれを推進しているようにも見える。あるいはすでにデータ利用に着手している国もあるようなので、いずれ広まるということでコントロールしようとしているのかもしれない。


データの内容はどんなものかというと、選手の位置データやパス、プレス、スピード、タックルなどをトラッキングしたものの統計や、30秒遅れの試合映像といったもののようだ。このデータをアナリストが分析し、コーチや監督、あるいは医療スタッフに提示するとか。これを元に、監督は目で見た試合状況だけでなく、データから得た情報によって戦略を変更したり、選手交代をしたりするのだろうか。どこかの国のチームでは、スタンドにいるアナリストとベンチの監督とのやり取りがスムーズにいくか、大会前にシミュレーションしたと聞いた。

ここまで試合を見ている感じでは、監督やコーチが表だってタブレットを手にしている姿は見られない。どのように利用しているかは、チームのIT技術の進度や理解によるのかもしれない。しかしこういうものが出てきたということは、4年後の次の大会では、話題としてもっと出てくるのではないか。今大会でいい成績をあげたチームが、有効利用していたなどということになれば、なおのこと。


この記事の草稿を書いているとき、レフェリングについて、2010年の南アフリカ大会のときの記録をいくつか確認してみた。V A Rのない時代のレフェリングについて。

<レフェリー>
ルールに則って行なわれることであっても、一つ一つの判断は個々のレフェリーの裁量によってなされ、解釈されるわけで、ときに事実との食い違い、誤審や微妙な裁定も下される。今大会でも決勝トーナメント1回戦のドイツ、イングランド戦でのゴール判定、アルゼンチン、メキシコ戦でのオフサイドの見逃しが大きな話題となった。どちらも誤審だったことが再生映像によりFIFAによっても認められた。誤審のあったプレイは直後に、スタジアムの大型スクリーン上で繰り返し再生され、観衆もそれを見ていた。判定はくつがえらなかったので、誤審のまま試合は進んだ。
(「ドキュメント<2010年南アフリカの小宇宙> サッカーW杯全試合観戦記」より)

2010年の大会ではV A Rは導入されていなかったものの、スタジアムの大型スクリーンではリプレイされ、観衆もテレビで見ている人もそれを目撃していた。このとき思ったのは、誤審は問題だが、レフェリー(人間)が間違うことがあるという事実を、見ている人全員が共有していることの大事さだった。おそらくこのような誤審を避けるため、今回のV A Rが導入されたのだろう。しかし2010年の時点で、リプレイ画像によって「事実」の情報の一部は提供されていた。目でリアルタイムで一度だけ見たものではなく、様々な角度から撮った再生映像によって事実確認する、という方法論は、すでにこの時点で示されていたことになる。

今回映像で気づいたことがもう一つ。これまでの大会では(少なくとも2010年のスカパーでは)、テレビ放映される映像はF IF A提供の国際映像だったのではないか、と思うのだが、今大会ではローカライズされたものが流されていた。日本、セネガル戦を見ていて、日本目線の映像ばかりなので、それに気づいた。日本向け映像(カメラマンが日本人、または日本のサッカー事情を知る者でないと撮れない)というのを購入できるのかもしれない。このあたりは調べてみないとわからない。日本では世界標準のものより、「日本向け」映像の方が「気持ち的に」ずっとウケるし、共感しやすいのだ。日本人選手の姿や表情を中心に捉えるだけでなく、スタンドに来ている「久保くん」の顔を捉えていたのでわかった。日本で久保くんは、子ども時代にバルセロナF Cのカンテーラ(下部組織)にいたことで有名人の仲間入りしている。サッカーでまだ何を成したというわけではないのに、すでにW杯中のテレビコマーシャルで単独起用されるほどの売れっ子ぶりだ。16歳になった久保くんの顔を認識しているのは、日本にいる日本人と日本のメディアくらいだと思われる。

2010年の大会はC Sのスカパーで全試合を見た。あのときのスカパーのW杯全試合放映のテーマは「世界標準」だった。だから国際映像を採用していたのかもしれない。2010年のときも民法やNHKでは、日本戦については、ローカライズされた映像を流していた可能性もある。わたしはもし選べるなら、日本の試合も国際映像で見たい。せっかく国際大会を見ているのに、日本人目線の映像でそれを見る理由はない。今回の日本、セネガルの試合の場合も、日本の選手はよく知っているわけで、むしろセネガルの選手の表情や姿をもっと見たかった。

多分こういった感想はまったく一般的でないとは思う。多くの人にとってどうでもいいことかもしれない(日本在住のセネガル人は別にして)。しかし気になる者にとっては、実況のコメントを聞いていても、(日本戦に関しては)自分が目で見ているものと違うことが話されていることも多い。コメントの方向は「良い面を強調し、批評、批判はしない」。不思議なもので、このようなコメントを素直に聞いて見ていると、自分の目で見た映像もその方向で修正されていく。情報というのは、このような入り方をして人々の脳に浸透していき「事実」となる。


20180608

Wスポーツの楽しみ(ロシアW杯まもなく!)


まもなくサッカーのワールドカップがロシアで開催される。6月14日(現地)スタートなので、ちょうど1週間後だ。7月15日までの1カ月間かけて、サッカーの世界一を競うことになる。サッカーはグローバルスポーツの一つで、地球上のあらゆる国で遊びとして、スポーツとして楽しまれている。

たとえば南米。南米は昔からサッカーが盛んな国が多く、ストリートや広場、海辺で裸足の子どもたちがボールを蹴っている姿は、一度は見たことがあるだろう。最近はブラジルでも、このような姿は減って、サッカーのうまい子は早い時期に、地元の有力クラブの教育システムに吸収されてしまうと聞いたことがある。とはいえ南米からは、多くの才能がつねに「発掘」され、ヨーロッパの主要リーグのトップレベルでたくさんの選手が活躍している。なぜヨーロッパかと言えば、それはそこに莫大な資金が投下された、世界最大の巨大マーケットがあるからだ。

さて今回のW杯では、南米の出場国に少し変化があった。常連のブラジルやアルゼンチン、そしてここ最近強さを取り戻しているウルグアイやコロンビアは出場枠にはいった。しかしチリ、パラグアイといったW杯によく登場する力のある国は、外れてしまい、前大会出場のエクアドルも外れ、ペルーが1982年以来の久々の出場となった。南米はW杯予選の激戦区と言われ、またアウェイの地が高地であったりもし、アルゼンチンですら、予選を戦い抜いて出場を決めるのは簡単ではないように見える。

今回出場のペルーはサッカーにおいてどんな国か、と見てみると、5月18日付けの世界ランキングでは11位に入っている。そんなに強いのだろうか?? ウルグアイやコロンビアより上位にいる。ウィキペディアで選手をあたってみると、ほとんどが地元南米かメキシコのリーグでプレーしていて、よく知られた名前は見当たらない。予選の結果は第5位で、ニュージーランドとのプレーオフにまわっている。予選ではボリビアやエクアドルといったW杯出場を逃した国には勝っているものの、上位の国に勝てているわけではない。

ロシア大会ではグループCに入り、そこにはフランス、デンマークがいるので、決勝トーナメントに進むのは難しいかもしれない。オーストラリアには勝てるかもしれないが、グループリーグ突破を図るには、フランスかデンマークのどちらかと引き分ける必要があるだろう。

次にアフリカを見てみよう。アフリカ諸国も南米同様、ストリートや草地で子どもたちがサッカーをする姿がよく絵になっている。南スーダンからの難民キャンプがある、ケニアのカクマ難民キャンプでも、サッカーは子どもたちの娯楽のメインになっている。南スーダンのロスト・ボーイズと呼ばれる内戦を逃れて旅を続けた子どもたちは、逃亡の道筋で、食べるものがないときも、靴下をまるめたボールでサッカーをしていた。どんな状況に置かれていても、人間には楽しみが必要なのだ、そこから得られるものは小さくないと知った。

アフリカも、南米と同じように、ヨーロッパのリーグへの優秀な選手の「補給」源になっている。青田買いのような形で、ヨーロッパのエージェントたちが、才能ある子どもを探しにアフリカ各国をまわっている、と聞いたことがある。南米もそうだが、アフリカも多くの国が貧しさにあえいでいる。子どもたちにとって、また家族にとっても、スポーツ選手になって大金を稼ぐことは、大きな希望になる。

ロシア大会では、アフリカ勢の顔ぶれはかなり変わった。前大会の出場国で今回も出ているのはナイジェリアだけ。出場5カ国の中でブラックアフリカは、他にセネガルのみで、あとは北アフリカの国になった。モロッコ、チュニジア、エジプトの三つで、どの国も久々の出場になる。このような入れ替えがあるのは、競争が激しいのか、国の事情、経済の問題などから代表チームの安定性が保ちにくいからなのか。ほぼ指定席が決まっているアジアとは、大きな違いだ。

アフリカの出場国の中で注目を集めているのは、エジプトとセネガルだろう。5月26日に決勝戦を終えたばかりの、ヨーロッパのクラブ1位を決めるチャンピオンズ・リーグ、まさにその決勝の舞台に、この両国から選手が出ていた。エジプトのモハメド・サラーとセネガルのサディオ・マネ、それぞれ25歳と26歳だ。やはりこのような世界最高の舞台に出場するような選手を輩出していることが、その国の現在の代表の力の一端を表しているのだろうか。サラーとマネはイングランドのプレミアリーグ(リヴァプール)でのチームメートであり、前線でサポートし合う3人のフォワード(攻撃的ポジション)のうちの2枚という役割を担っている。今シーズンの世界指折りの3トップと言われている、3枚のうちの2枚なのだ。

この二人はともにイスラム教徒で、試合開始前に両手を天に向けて祈ったり、ゴールのあとに大地にひざまずき頭を地に付けて、神への感謝を表している。もしこの二人の代表チームが勝ち上がったとしても、決勝まで当たることはない。チームの実力から言って、まずそんなことはあり得ないだろうが、もし、エジプトとセネガルが決勝で当たることになったら、と想像してみることはそれはそれで楽しい。グループリーグでエジプトは優位にたっているかもしれない。それは開催国出場枠ロシアのグループに入ったからだ。予想では、このグループではウルグアイとエジプトが勝ち抜ける可能性が高いのではないか。

ただチーム1番のエース、サラーは現在負傷中で、W杯のメンバー入りはしたようだが、初戦から出場できるかどうかはわからない状態。上に書いたチャンピオンズ・リーグの決勝戦で、相手チームのディフェンダーに腕をからまれたまま落下し、肩を痛め退場した。サラーはリヴァプールにおいてもチーム1のエースであり、最大の得点源。サラーがいなくなったことで、リヴァプールはストロングポイントを失い負けてしまった。サラー選手の怪我は、エジプトにとって一番恐れていたことだろう。しかしサッカーでは、特にチャンピオンズ・リーグ決勝のような大舞台で、最も危険な選手が激しいディフェンスを受けること、そしてそれが負傷につながることはあり得ることではある。それが起きた。とても残念なことではあるが。

サラー抜きのエジプトは、上に進む確率が格段に落ちることは間違いない。サラー以外にもイングランドのプレミアリーグなどでプレーする選手は何人かいるが、サラーが欠けることは、普通のチームになること、エジプト人の意気消沈はどれほどのものか。出場が可能になった場合も、どの程度までコンディションを戻せるかが焦点になるだろう。

一方セネガルのマネは、チャンピオンズ・リーグの決勝でサラー退場後、そして1点入れられてビハインドになった数分後に、ゴールを決めて同点とし、力を見せつけた。この選手がスーパーであることは、これを見ても間違いのないことだ。W杯でセネガルの属するグループHは、ポーランド、コロンビア、日本が入っている。セネガルは日本に勝てるだけの力はもっていると思うが、ポーランドとコロンビアに対しては未知数だ。決勝トーナメントに進めるかどうかは、半々くらいではないか。

チュニジアとモロッコについては全く知識がない。しかしチュニジアは世界ランク14位につけており、モロッコは42位。ちなみに日本は60位である(5月18日時点で)。チュニジアの選手を見てみると、地元チュニジアのリーグ以外には、サウジアラビアやフランスでプレーする人が多いようだ。ただ知られた名前は見当たらないし、監督もチュニジア人で、選手時代にヨーロッパでプレーした経験もないようだ。W杯の経験としては、過去に出場は何回かあるものの、決勝トーナメントに進んだことはない。そういったチームがどのようにして世界ランク14位という地位を確保しているのか、よくはわからない。14位というのはメキシコやコロンビア、ウルグアイの少し上なのだ。

北中米では今回、アメリカが外れた。この地域はアメリカとメキシコともう1カ国という感じだと思うので、少し驚いた。今回アメリカの代わりに入ったパナマは初出場の国。どんな選手がいるのか見てみると、地元パナマのリーグか、南米あるいはアメリカのリーグでプレーする人が多いようだ。名の知られた選手はいない。メキシコはW杯の常連で、つねに決勝トーナメントまで進んでいるチーム。ただその先まで進んだことは、最近はない。またスーパーな選手がいるかといえば、いるわけでもない。名を知られた選手は少しいるものの、全体として年齢があがっていて、有望な若手選手が出ているようには見えない。

次にヨーロッパを見てみよう。今回わたしは、W杯のヨーロッパ予選のいくつかはテレビで見ている。また2016年開催のユーロ(欧州選手権)も見ているので、多少は各国チームの力は知っている。楽しみなチームとしては、ユーロでベスト8までいったアイスランドだろうか。W杯は初出場ながら、予選ではクロアチアをおさえてグループ1位で通過している。2年前のユーロも初出場にしてベスト8まで進んだ。ベスト16でイングランドに勝ったあと(そしてベスト8でフランスに負けてしまったあとも)、サポーター席の前に選手全員が並んで、サポーターとともにやった「応援感謝の手拍子パフォーマンス」は圧巻だった。あれをまた見てみたいものだ。

もう一つヨーロッパで期待する国を選ぶとしたら、イングランドかもしれない。サッカーの母国と言われるイングランドだが、前大会はグループリーグ落ちだったし、近年はそれほど強豪国とは見られていない。しかし今シーズンのプレミアリーグを見るかぎりでは、なかなかのメンバーが揃い、ある程度の成績は残せるかもしれない。若い有能な選手が各ポジションに出てきていて、2014年とは違うチームになっている。若手ではケイン、アリ、スターリング、ラシュフォードなどが注目だ。

オセアニアは前大会につづき、今回も出場国を出せなかった(枠は0.5で、プレーオフでペルーに負けた)。出てくるとしたら、ニュージーランドなのだが。最後にアジアを見てみよう。枠は4.5で、イラン、オーストラリア、日本、韓国、サウジアラビアの5カ国が出場権を手にした。オーストラリアはシリアとのプレーオフを勝っての出場だった。この地域は、ベスト16を突破するのがどの国にとっても難しい。前大会はどこも散々な成績だった。勝ち点でいうと、オーストラリアが0、日本が1、イランが1、韓国が1。勝ち点1というのは引き分けた試合が一つあったということ。それ以外は敗戦だ。わたしの贔屓チームは日韓大会以来、韓国なのだが、あの大会でベスト4となった後は、日本とほぼ同等の成績しか残せていない。今回はプレミアリーグで活躍するソン・フンミンという若手の攻撃選手がいるが、ドイツ、メキシコ、スウェーデンというグループに入ってしまったので、ここを抜けて勝ち進むのは厳しいのではないか。決勝トーナメントに進むための2位争いは、メキシコとスウェーデンになるだろう。

こうして見てみると、出場国は32カ国にかぎられるが、地球上のさまざまな地域から予選を勝ち抜いた国々が集まるという意味で、W杯はその名の通りグローバルな大会と言っていい。傾向としては、サッカーの歴史の長いヨーロッパと南米の国々に強豪国が集中している。そこから優勝国が出るはずだ。ドイツ、ブラジルといった国が優勝する可能性は高い。トーナメント表を見ると、この両国が決勝であたる可能性も高い。面白い試合になるだろう。

スポーツはなんのためにあるのか、と考えてみると、ゲームとして競い合うことで、互いのことをよりよく知るということがある。相手を知る、相手の国のことを知る、そのためにはいろいろな方法があるだろうが、ゲームをする中で知り合うというのも一つなのだ。競技において対戦相手の分析をすることは、欠かせないこと。W杯のようなグローバルな大会では、どことどこが当たるか、その二つが対戦するとどんな試合展開になるか、ということを予測する楽しみがある。それはあまり当たったことのない国同士が、試合で対面するからだ。

とはいえ、W杯に出てくるような国の選手は、国籍に関わらず、ヨーロッパのクラブチームで活躍していたりもするので、チームメートと国を分けて対戦することも起きる。試合のあとで、クラブのチームメート同士が、互いの健闘をたたえ合い、ユニフォーム交換をしている姿もしばしば見られる(試合後の映像にも注目してほしい)。こんな風に、サッカーというスポーツのもつ広がりや混合を目にすると、ますますこの競技の楽しさ、面白さ、意味を感じるようになる。

サッカーのW杯には、自国の試合以外のところにも、たくさんの発見や興奮があることを多くの人に体験してほしいと思う。今大会も、NHKと民放各局ですべての試合が放映されることになっている。

*追記:この草稿を書いたあとで、YouTubeで、今行なわれているW杯前の各国親善試合のハイライトをあれこれ見てみた。試合をやっている国のどちらかのTV局から(おそらく違法で)キャプチャーしたもので、言語も様々で、スペイン語、朝鮮語、アラビア語などの実況で見ることなる。そこで気づいたのは、どの国のものも、試合の放映方法に関しては、ほぼ標準的なやり方が取られていたこと。標準的な放映の仕方というのは、試合前に、両方のチームのメンバー表を提示することだ(先にホーム、次にアウェイ)。当たり前のことだが、これが日本のテレビ放送では多くの場合、成されていない。試合前にメンバー表が提示されるのは、日本のチームのみ。対戦相手のメンバー表は試合が始まって少ししてから、チラッと出てくるだけ(例外はスター選手が相手チームにゾロゾロいる場合)。わたしたちは対戦相手を事前に知らされることなく、試合に臨まなければならない。これは何を意味しているのだろう。日本人は日本人にしか興味がない??? 対戦相手のメンバーなど誰だって関係ない??? これはサッカーというスポーツにとって、非常に「非サッカー的」な観戦の仕方だと思う。もう一つ気づいたことは、他の国の放送では、どちらのサイドに点が入っても、「Gooooooo..............al!!!」と実況が叫んでいて、どこのTV局が放映してるのかわかりにくいこと。日本の放送ではこういうことはない。実況は日本のみ応援しているので、相手にゴールがあった場合は、「あーーーーー、やられてしまった!!!」となるし、相手がゴールに迫ったときは「あぶないっ!!!」となる。日本人にとっては、こういうことは当たり前かもしれないけれど、世界的に見ると特殊な国なのかもしれない。スポーツを愛国心から観戦することしか知らない、スポーツ後進国に見えてしまう。