W杯日誌(準決勝、決勝)
W杯ロシア大会が7月15日に終わった。前回のつづきとして、準決勝の2試合と3位決定戦、決勝について少し書いてみたい。
準決勝
準決勝に残ったのは、フランス、ベルギー、イングランド、クロアチアの4チーム。ブラジルがベルギーに負けて落ちたのは、やや意外だったかもしれないが、カバーニとスアレスが揃わなかったウルグアイがフランスに負けたのは想定内と言えそうだ。
まず7月10日にフランスとベルギーの試合があった。直後の日本語のスポーツ記事は、「フランスがアンチフットボールをした」というタイトルで溢れているように見えたが、試合の内容はそうではなかった。おそらくベルギーに肩入れする日本人の記者が、ベルギー選手のツイッターなどの発言を過剰に扱った結果ではないか。英語メディアではそういう論調は見られなかったように思う。アンチフットボール発言をしたベルギー選手も、のちに謝罪をしているようだ。
試合はフランスが1−0で勝利。前半からベルギーはアグレッシブな戦いをし、フランスは受ける形になった。しかしベルギーは得点を上げられなかった。後半になって(51分)、コーナーキックからDFのウンティティがヘッドで決めて、フランスが先制。ベルギーの反撃がはじまり、フランスは守りを固めつつ、カウンターを狙う。フランスの守備は穴がなく完璧に近いという評価が英語メディアであった。ベルギーの選手たちも、それは認めているようだ。
フランスは後半、効果的なカウンターをいくつか見せていた。FIFAの公式記録によれば、フランスのシュート数(19)はベルギーの9を大きくうわまっている。ベルギーはよく攻めているように見えたが、シュート9のうち、枠にいったのは3、枠外が5、ブロックされたのは1だった。フランスは枠内シュートが5、ブロックされたシュートが6と、ベルギーよりゴールの可能性は高かった。ベルギーは攻めてはいたものの、ゴールが遠かったのかもしれない。
試合直後の日本語の記事では、フランスは守りを固めて攻めにいかず、アンチフットボールをして勝った、という言説が広まったようだが、数字的に見てもこれは正しくない。日本ではサッカーの試合の分析というのがあまり好まれず、見た目の(感情入りの)印象だけで語られてしまうことが多い。「フランスはアンチフットボールをして勝った」という日本語記事を見てすぐ思ったのは、「日本が善戦した」ベルギーは「優勝に値するほど強かった、そのベルギーを日本は追い詰めた」というシナリオが欲しいんだな、ということ。
翌7月11日には、 準決勝第2戦のイングランド、クロアチア戦があった。どちらが決勝に進んでも、やや意外な感じはしていた。開始5分、イングランドがフリーキックから先制。クロアチアはしぶとく攻めつづけ、68分、ついにペリシッチがゴール。1−1のまま延長になり、109分にクロアチアのFWマンジュキッチが得点して2−1とし、そのまま試合は終了。イングランドは早々に得点したものの、その後のプランが見えず、攻めてはいたものの効果的ではなかったようだ。攻撃のバラエティがやや、クロアチアより少なかったように見えた。クロアチアはどこからでも点を取ってやるといった攻めのうまさが垣間見えた。
統計データによれば、両チームの間で、パスの精度やポゼッション率、走行距離などに大きな違いはないものの、パスの数と成功数はクロアチアがうわまわり、それは目で見た印象と重なる。大きく異なっているのはシュート数で、クロアチア22に対してイングランドは11。クロアチアが枠内シュート7に対して、イングランドは1。やはり攻撃面でイングランドはうまくいっていなかったことがわかる。枠内シュートが一つでは、勝つのは難しい。この1というのが、トリッピアのフリーキック直接得点のことなら、その後、一つの枠内シュートもなかったことになる。
というわけで、データを見ていけば、フランスとクロアチアが順当に勝ち上がったことが納得できる。決勝戦がフランスとクロアチアという組み合わせは、多くの人の想定外だっただろう。
ところでクロアチアとイングランドの試合は、NHKで見ていた。民放でしか(ライブで)やらない試合は仕方なくそれを見たが、なるべく番組中のコマーシャルと、何人もの芸人やタレントがコメンテーターをつとめ、ワイドショーのようになっている民放は避けたかった。ところがそのNHKでも、情報の伝え方、詳しく言えば画面のスペースの使い方に問題があることを発見した。
この日、広島や岡山など関西地域で豪雨による被害が広がり、死者や行方不明者がたくさん出ていた。NHKはテレビ画面の左端に太い帯を設け、特大の文字で「死者何名、不明者何名」と記し、試合の間ずっと外さなかった。また画面上部にも縦帯よりは細い帯を敷いて、そこに地域ごとの雨の警報を流していた。この2本の帯により、サッカーの試合を映すスペースは3分の2くらいに減ったように感じられた。動いている選手の一人一人が、誰なのか認識しづらかった。太い縦帯の中のテキスト情報に変化はなかった。つまり同じ情報をずっと据えていた。横帯の方もほぼ同じだったように思う。
このような情報の与えられ方をしたとき感じるのは、何かを強制されている感覚だ。たとえば普通に言えば聞こえるのに、耳元で拡声器をつかって同じことを何度も繰り返されたような。NHKの情報伝達技術は、とても原始的かつ高圧的なものに感じられた。情報を発信する側のこと(責任問題など)のみに神経をつかい、受け手のことは頭にない。たとえレベルの高いテクノロジーを手にしていたとしても、情報伝達法のリテラシーが低ければ、それは全体として低レベルのものになってしまう。
面白いのは、サッカーの試合の間は据え置きだったこの情報の帯が、局の連続ドラマ(朝ドラ)になった途端、すべて消えたことだ。大事な大事な人気ドラマの画面は汚したくないのかな、などと勘ぐってしまった。
3位決定戦
準決勝で破れた2チーム、ベルギーとイングランドが3位を競う。前半始まってすぐ(4分)に、右サイドからムニエが得点してベルギーが先制。印象としてイングランドの反撃は鋭いものではなかった。チャンスはつくっていたが、不発またはGKクルトワに止められる。イングランドはパスまわしがやや単調で、どんな風に得点するのか心配になった。コーナーキックなどセットプレーではここまでたくさん得点しているので、可能性が見えたのだが。試合終盤、ベルギーのカウンターアタックから、アザールがペナルティエリアに切り込んで自らゴール。82分に2−0になったことで、ほぼ試合は終わった感じだった。
しかしこの試合、統計データを見ると、両者に差があったようには見えない。パスの数、パス精度、シュート数、枠内シュートなどはイングランドが上まわっている。タックルやブロック数も多く、戦っていなかったわけでもない。クリア数がベルギーに多いことから、ベルギーが押されていたようにも取れる。しかし結果は2−0。イングランドの惜しい負けだったのか、はっきりしない。ただ4位という成績は、ここのところ目立った活躍のなかったイングランドにすれば、上出来なのかもしれない。
この試合もNHKで見ていたのだが、この時期NHKは、ウィンブルドンのテニスの試合も中継していた。セミファイナルで、久々に復活かというジョコビッチと、ここ最近ATPランキングで1、2位に復活しているナダルが対戦した。日をまたいで5時間を超える、手に汗握る好試合になった。
中継が行われていたこの日、日本上空では二つの高気圧が重なり猛暑が予想されていた。実際、全国的に35℃近い気温となった。こうなれば「熱中症厳戒注意報、警報」が、情報の最重要度事項となる。テニスなど見ている場合ではない。テニスの中継はそのまま放映されていたが、画面の左上、ちょうどスコア欄の上にかぶさるようにお天気情報が陣取りつづけた。これまであまり気にしたことがなかったが、テニスの試合を見ているとき、選手の動きと同時に、そのスコアを見ながら試合の進行を確認していたと気づいた。だからそこが塞がれてしまうと、どう進んでいるのがよくわからなくなった。
画面は、他に三つのコーナーがあり、右上角は「ウィンブルドン2018 LIVE」のような番組タイトルがあり、残りの二つは空いていた。同じ情報をただ貼り付けておくのなら、スコアの上ではなく、他の三つのコーナーのどこかでよかったのではないか。
試合が進行してどれくらいたったか、「お天気注意報」が突然消えた。そしてスコアが出ている間は表示をやめ、スコアが消えているときに、同じ場所に「お天気情報」を出し、重なることがなくなった。スコアが出そうになると、サッと「お天気情報」を引っ込めた。これは視聴者からのクレームによる対応なのか、あるいは社内でモニターしていた人が気づいたのか。無事解決して残りの試合を楽しむことができた。
情報を発信する側は、その内容に気を配るだけでは足りない。受け手に情報をどのように与えるかのプランや想定があって初めて、高いレベルの情報伝達が可能になる。
決勝
今大会最後の試合、決勝戦はフランスとクロアチアになった。フランスは優勝経験が自国開催で1度、それ以外に準優勝が1度ある。クロアチアは3位が最高。決勝戦の経験値や個々の選手のレベルで言えば、フランスが上か。
クロアチアは試合開始から積極的に攻めに出る。データを見ても、シュート数15と、フランスの8をうわまわっている。しかし枠内シュートを見ると、フランスが6あるのに対し、クロアチアは3、枠外シュートが8と精度で下まわっている。しかしコーナーキックの数は6とフランスを上まわっているし、ポゼッション、パスの数、パス精度でも優っている。フランスの相手シュートへのブロック数やクリア数が多いことからも、クロアチアがよく攻めているように見える。
試合は前半(18分)にグリーズマンのフリーキックをマンジュキッチが頭でクリアしようとしてオウンゴールになり、フランスが先制。その10分後、クロアチアはペリシッチのゴールで同点に。この時点で、これはわからない展開になったと感じた。しかしペナルティエリアで、 同点打を放ったペリシッチのハンドが取られ、VAR確認によりPKとなる。この判定はかなり微妙なものだった。PKに値するようなハンドだったかどうか。VARをモニターのところまで確認に行ったアルゼンチン人のレフェリーは、映像確認に長い時間をつかっていた。そして一旦モニターを離れようとして、再度モニターに戻り、再確認をしていた。その結果、レフェリーはPKに値すると判断し、グリーズマンがこれを落ち着いて決めた。この得点は、試合の流れに大きな影響を与えたかもしれない。
前半を2−1で終えたフランスは、後半、安定した守備で試合を進め、中盤選手の交代のあとすぐ、ポグバとエムベパによる素晴らしいゴールが決まり、4−1とする。その数分後、フランスのキーパーのヨリスがバックパスの処理を誤り、まさかの失点(しかしこの手のミスは、高いレベルでも割にあること)。マンジュキッチがヨリスの中途半端なボールを引っ掛けて追加点を取るが、試合は4−2のまま終了した。
準決勝、決勝のステージにきて、クロアチアが優れたチームであることはわかった。フランスは安定していて、さらにスーパーな選手が何人かいた。フランスの優勝も、クロアチアの準優勝も妥当ではないかな、と感じた。決勝戦でさほど固い試合にもならず、延長戦もなく、両チーム合計6点も点が入ることは珍しいのかもしれない。ただ前半のハンドによるPKの1点、あれはやはり大きかったと思う。レフェリーのちょっとした匙加減のようにも見えた。
大会全体から受けた印象
約1ヶ月の戦いが終わり、勝者はフランスになった。ドイツやアルゼンチンが早々に消え、またオランダやイタリアが予選を通過できなかったため、大会に顔を見せなかった。優勝候補筆頭と言われたブラジルも、ベスト8でいなくなった。決勝トーナメントに入ってから印象に残ったのは、地元のロシアとスウェーデンだろうか。ヨーロッパのチームとして、中堅かそれ以下の代表が、しぶとく戦ってベスト8までいった。グループリーグにもしぶとく戦っていたチームはいくつかあったが、得点力が低いと、引き分けられても勝ち越すのが難しそうだ。その点、ロシアとスウェーデンには得点する方法論があったということだ。ロシアのチェリシェフは、ロナウド、グリーズマンなどと並んで、今大会4ゴールをあげている。5ゴールあれば得点王の可能性もあるW杯で、4ゴールは大したものだ。
この大会の特徴としてよく言われているのが、セットプレーからの得点が多いこと。またPA内のファールやハンドによるPKによる得点も多かったそうだ。VARによる判断が影響したのかもしれない。大会中の一発レッドカードは、2枚だった。そのうちの1枚が、グループリーグ第1戦の日本、コロンビア戦のハンドによるカードおよびPKである。その3日前のグループCの対オーストラリア戦で、フランスのウンティティが犯したハンドと変わらないように見えたので(イエローだった)、コロンビアのサンチェスにレッドカードが出たときは驚いた。試合開始後1、2分のことだった。この時間にレッドとは、と試合が半分壊れたことにがっかりしたのを覚えている。
コロンビアの選手たちはもちろんレフェリーに抗議していた。しかし判定は覆らなかった。レッドカードが適切だったか、テレビ画面でしか見ていない自分には判断はつかない。ただ、2010年大会のとき、ウルグアイのスアレスが、ベスト8の戦いで、ゴールマウスの前に立ってガーナのシュートしたボールを手で掻き出して、レッドカードとなったプレーとは全く違うものだ。ウンティティのハンドの方に近い気がした。試合のほとんど全部の時間を10人で戦わなければならなかったコロンビアにとって、一発退場の判定はこの試合のすべてだったかもしれない。その後、一発レッドカードは、ベスト16に入ってからスイスが受けた、対スウェーデン戦94分(アディショナルタイム)のもののみだった。
ここ最近の大会での一発レッドの数を見てみると、2014年が7枚、2010年が9枚、2006年が5枚、2002年が11枚。今大会は一発レッドカードが非常に少ない大会ということになる。過去の記録を1930年の第1回大会から見てみると、やはり早い時間帯に退場者を出したチームは、多くの場合負けている。今大会のコロンビアの4分(公式記録)というのは、1986年にウルグアイがスコットランドとの試合で、1分で退場者を出したときに次ぐものだ(この試合は0−0。残り時間、どんな試合になったか想像がつく)。それ以外には1962年チリ大会で、イタリアがチリ戦で8分に退場者を出し、0−2で負けている。詳細はわからないが、チリが開催国だったことを考えると、あり得る判定だったのかもしれない。そのときのグループリーグの対戦表を見ると、この試合の勝敗が、どちらが決勝トーナメントに進むかに大きく影響したように見える。当時イタリアは2度の優勝経験があり、その次の大会では準優勝している。
日本が開始4分で相手チームに退場者を出させたことは、史上2番目の早さということになる。大会の全試合でたった2枚の一発レッドしかなく、もう1枚は試合最終盤だったことを考えると、日本にとってかなり恵まれた判定だったのではないか。
この判定だけでなく、V ARを使用していてもなお、レフェリングに疑問が残ることはあった。ただ全体としては、これまで見逃されていたオフサイドやペナルティエリア内でのファールが指摘、判断できるようになり、進歩したのかもしれない。今後さらに判断の精度が高められていくことに期待がかかるだろう。
FIFAによって配信された試合中のデータが、各チームの戦術にどう影響したのか、まだそれを記した記事は読んでいない。公式ページ(英語)に掲載されている各種データは、各チームに配布されたデバイスにも配信されていたことだろう。これについては何か面白い発見があれば、また書こうと思う。
地元ロシアや大会運営についての評価
ロシア大会についての全体的な評価はどうだったのか。運営について、BBCの記者やFIFA会長は、スタジアムそのものや会場の整備、各会場への交通の無料化など、ホスピタリティやサービスに素晴らしものがあり、権威主義的なロシアというイメージは間違っていることを証明した、などと発言したようだ。英語版ウィキペディアで引用されていた。日本語の記事では、ロシアという国や大会運営についての感想をほとんど見かけなかったが、12回目のW杯観戦を果たしたベテランのサッカーライター後藤健生さんは、「過去W杯の中でも最高の運営」と取り上げて褒めていた。
滞在した街の治安がよく、夜中でも安心して歩けたこと、深夜でも公共交通機関が動いていること、メトロでもバスでも、1分ごとに車両が到着し、便利なことこの上ないこと、取材者用のADカードをもっていると、すべての交通機関が無料なこと、飛行機の運賃も安く、試合チケットのある人は、都市間の列車に無料で乗れること、スーパーでの少額の買い物に到るまで、クレジット決済ができること、スタジアムでは荷物検査を徹底しながらも、入場口の人の流れがスムーズで混雑がなかったこと、などが挙げられていた。
後藤さんは書く。「2018年にロシア・ワールドカップを観戦した人が、2020年のオリンピックで東京を訪れたとしたら、果たして満足してもらえるものだろうか……。ロシア大会の大成功によって、東京大会にとってハードルがかなり上がったように思えるのだが……。」 ロシアという場所や社会の現在について、ロシア大会の運営について、日本語の記事があまりないことからも、日本の関係者が、あるいは国民が、こういった側面に対して関心が薄いことがうかがわれる。「日本の伝統をつたえるオ・モ・テ・ナ・シ」もいいかもしれないが、誰もが普通に快適に滞在できるサービスが行き渡っている方が、国際スポーツ大会の現場では、人を選ばず、多くの人に喜ばれるのではないだろうか。
その他に思ったこと
ウィンブルドンの決勝を制して、久々の活躍を見せたジョコビッチ選手が、優勝インタビューで話していたことが記憶に残った。ジョコビッチは肘などの怪我や手術で、トップレベルのプレーから長期間遠ざかっていた。あまりに長い離脱で、年齢も31歳、もうトップに返り咲くことはないのだろうかと思い始めていた。
そのジョコビッチが復帰までの長い道のりについて、「(復帰に向けての)プロセスを信じる必要があった」と述べていた。これを聞いて思い出したのが、サッカー日本代表のキャプテン長谷部選手の釈明だった。W杯グループリーグ第3戦のポーランド戦で、試合終了までの残りの10分近く、チーム全員で後ろでボールを回しつづけたことへのファンからの非難に対しての言葉だった。「結果がすべて」「プロの世界は結果がすべてだから」こう言ったのだ。
ここでいう結果とは、「決勝トーナメントに進むこと」である。その時点で日本は1勝1引き分けで、第3戦で敗戦の最中にあった。引き分け以上で(勝ち点5)グループリーグを自力で抜けられる状態だった。しかし監督の指示で、長谷部選手は、0−1で負けている状態を保持することをチームに伝えるはめになった。それは同時刻他会場のセネガルがコロンビアに負けていて、勝ち点(4)と得失点差(0)はセネガルと全く同じながら、イエローカードの数がセネガルより少ない日本は、これ以上、今やっている試合でイエローをもらわなければ、勝ち抜けられるのではないか、と踏んだのだ。セネガルが最後の最後に1点入れて、コロンビアと引き分ければ、日本は敗退だったが、それは考慮から外された。負けたままでスコアを動かさなければ(もし下手に攻めて、もう1点ポーランドに取られれば敗退)、ここを通過できる、という方に日本は賭けた。つまり運を天に任せた。
この行為を正当化するために、日本人の中には、数学の確率などをつかって合理性があることを説明する人もいたようだ。その計算が確率的に合っていたとしても、セネガルが1点入れて引き分けに持ち込む可能性は50%あった。0−1で負けたままにしておく方が、1−1にして追いつき、自ら引き分けを手にして次のステージに進むより、ずっと勝算がある、と見た心理とはいったいどんなものだったのだろう。自分たちはポーランドにはどうやっても得点することができない、と見極めたということなのか。そうであればスコアは0−1であっても、日本はポーランドに大敗したようなものだ。
あの場では監督も長谷部選手もある種のパニックに陥っていたのかもしれない。日本とポーランド戦が終了時間を迎えたとき、まだセネガル、コロンビア戦は終わっていなかった。日本の選手たち、監督、スタッフの虚ろな表情がテレビカメラに捕らえられた。自分たちの運命が、他会場の試合結果に委ねられていた。少ししてやっと、セネガルがそのまま負けた情報が入り、日本代表チームに控えめな笑顔が戻った。よかった、通った。
わたしはこの時日本代表が選択した行動と、他会場の結果を心配して虚ろになった選手たちの表情を見て、これは心理的に相当な傷になるのではと思った。しかしその後のインタビューの様子や、「チーム状態はすごくいいです」という選手たちの発言を聞いて、それほど傷ついてはいないのかもしれないと思った。そして長谷部選手の「結果がすべて」「プロの世界は結果がすべて」という発言があった。
プロの世界は結果がすべて、というのは本当のことではないと思う。それはサッカーに限ったことではない。長谷部選手が「結果がすべて」と発言したのは、ポーランド戦後にキャプテンとして、チームが選択したプレーに対して、そう言うしかなかったのかもしれない。しかし、と思う。違うことを言ってもかまわなかったのでは。一般に、日本の選手は、記者の質問に対して当たり前の、型通りのことしか言わない。記者への信頼がないのだろう。あるいは記者の向こう側にいるファンや日本国民に、本音は言えないと思っているのだろう。
ジョコビッチは「プロセスを信じる必要があった」と語った。プロセスを信じることは、結果がすべて、結果のみを信じることより難しいことだ。もし日本代表がポーランド戦で、「(やっていることの)プロセスを信じる必要がある」と考えたなら、自分たちは1点取りにいって引き分けに持ち込める、それだけの力も信念もある、ということになり、それが果たせれば勝ち点5を手にし、他会場の結果と関係なく、堂々グループリーグを突破できた。試合終了後の虚ろな表情に陥ることはなかった。
仮にそれが果たせず、ポーランドから得点が奪えなかったとして、あるいはさらなる追加点を取られて負けた場合も、それが実力だったと思えば、納得はできるのではないか。そこから学ぶことは多かったかもしれない。あのギリギリの状況下で、勝負から逃げずに、力を出し尽くして戦うことで得られるものの大きさを考えずにはいられない。1勝、1引き分け、1敗の勝ち点4で、グループリーグ敗退。この結果は、戦績として、決勝トーナメントを戦った後の結果、1勝、1引き分け、2敗とほぼ同じだ。プラスされるものはなかった。であれば、グループリーグで勝ち点5なり、勝ち点7なりを取ることを目標にしていた方が健全だったのではないか。真の実力を上げる、それを追求するという意味で、今後に繋がる気がする。
前回も書いたが、今大会のグループリーグで、勝ち点4でトーナメントに進めたのは、日本とアルゼンチンのみ。勝ち点4はギリギリの線なのだ。イランとセネガルは勝ち点4で落ちた。決勝トーナメントにおいて、グループリーグで勝ち点6以下のチームは、いずれもベスト8には進めていない。こういう一発勝負の大会では、先に進むことが大事なのはわかるが、確実に実力を上げていくには、グループリーグでの戦績を確かなものにしていく、という考え方があってもいいと思う。勝ち点4ではなく、勝ち点5以上を常に取れるようにしていけば、結果として、決勝トーナメントに進めるようになるはずだ。その意味で、もうちょっとでベスト8に進めた、次の目標はベスト8だ、といって盛り上がるのは楽しいかもしれないけれど、早まった考えであり、軽はずみな判断ではないかなと思ってる。日本の今大会の成績は、32チーム中15位だった。
準決勝
準決勝に残ったのは、フランス、ベルギー、イングランド、クロアチアの4チーム。ブラジルがベルギーに負けて落ちたのは、やや意外だったかもしれないが、カバーニとスアレスが揃わなかったウルグアイがフランスに負けたのは想定内と言えそうだ。
まず7月10日にフランスとベルギーの試合があった。直後の日本語のスポーツ記事は、「フランスがアンチフットボールをした」というタイトルで溢れているように見えたが、試合の内容はそうではなかった。おそらくベルギーに肩入れする日本人の記者が、ベルギー選手のツイッターなどの発言を過剰に扱った結果ではないか。英語メディアではそういう論調は見られなかったように思う。アンチフットボール発言をしたベルギー選手も、のちに謝罪をしているようだ。
試合はフランスが1−0で勝利。前半からベルギーはアグレッシブな戦いをし、フランスは受ける形になった。しかしベルギーは得点を上げられなかった。後半になって(51分)、コーナーキックからDFのウンティティがヘッドで決めて、フランスが先制。ベルギーの反撃がはじまり、フランスは守りを固めつつ、カウンターを狙う。フランスの守備は穴がなく完璧に近いという評価が英語メディアであった。ベルギーの選手たちも、それは認めているようだ。
フランスは後半、効果的なカウンターをいくつか見せていた。FIFAの公式記録によれば、フランスのシュート数(19)はベルギーの9を大きくうわまっている。ベルギーはよく攻めているように見えたが、シュート9のうち、枠にいったのは3、枠外が5、ブロックされたのは1だった。フランスは枠内シュートが5、ブロックされたシュートが6と、ベルギーよりゴールの可能性は高かった。ベルギーは攻めてはいたものの、ゴールが遠かったのかもしれない。
試合直後の日本語の記事では、フランスは守りを固めて攻めにいかず、アンチフットボールをして勝った、という言説が広まったようだが、数字的に見てもこれは正しくない。日本ではサッカーの試合の分析というのがあまり好まれず、見た目の(感情入りの)印象だけで語られてしまうことが多い。「フランスはアンチフットボールをして勝った」という日本語記事を見てすぐ思ったのは、「日本が善戦した」ベルギーは「優勝に値するほど強かった、そのベルギーを日本は追い詰めた」というシナリオが欲しいんだな、ということ。
翌7月11日には、 準決勝第2戦のイングランド、クロアチア戦があった。どちらが決勝に進んでも、やや意外な感じはしていた。開始5分、イングランドがフリーキックから先制。クロアチアはしぶとく攻めつづけ、68分、ついにペリシッチがゴール。1−1のまま延長になり、109分にクロアチアのFWマンジュキッチが得点して2−1とし、そのまま試合は終了。イングランドは早々に得点したものの、その後のプランが見えず、攻めてはいたものの効果的ではなかったようだ。攻撃のバラエティがやや、クロアチアより少なかったように見えた。クロアチアはどこからでも点を取ってやるといった攻めのうまさが垣間見えた。
統計データによれば、両チームの間で、パスの精度やポゼッション率、走行距離などに大きな違いはないものの、パスの数と成功数はクロアチアがうわまわり、それは目で見た印象と重なる。大きく異なっているのはシュート数で、クロアチア22に対してイングランドは11。クロアチアが枠内シュート7に対して、イングランドは1。やはり攻撃面でイングランドはうまくいっていなかったことがわかる。枠内シュートが一つでは、勝つのは難しい。この1というのが、トリッピアのフリーキック直接得点のことなら、その後、一つの枠内シュートもなかったことになる。
というわけで、データを見ていけば、フランスとクロアチアが順当に勝ち上がったことが納得できる。決勝戦がフランスとクロアチアという組み合わせは、多くの人の想定外だっただろう。
ところでクロアチアとイングランドの試合は、NHKで見ていた。民放でしか(ライブで)やらない試合は仕方なくそれを見たが、なるべく番組中のコマーシャルと、何人もの芸人やタレントがコメンテーターをつとめ、ワイドショーのようになっている民放は避けたかった。ところがそのNHKでも、情報の伝え方、詳しく言えば画面のスペースの使い方に問題があることを発見した。
この日、広島や岡山など関西地域で豪雨による被害が広がり、死者や行方不明者がたくさん出ていた。NHKはテレビ画面の左端に太い帯を設け、特大の文字で「死者何名、不明者何名」と記し、試合の間ずっと外さなかった。また画面上部にも縦帯よりは細い帯を敷いて、そこに地域ごとの雨の警報を流していた。この2本の帯により、サッカーの試合を映すスペースは3分の2くらいに減ったように感じられた。動いている選手の一人一人が、誰なのか認識しづらかった。太い縦帯の中のテキスト情報に変化はなかった。つまり同じ情報をずっと据えていた。横帯の方もほぼ同じだったように思う。
このような情報の与えられ方をしたとき感じるのは、何かを強制されている感覚だ。たとえば普通に言えば聞こえるのに、耳元で拡声器をつかって同じことを何度も繰り返されたような。NHKの情報伝達技術は、とても原始的かつ高圧的なものに感じられた。情報を発信する側のこと(責任問題など)のみに神経をつかい、受け手のことは頭にない。たとえレベルの高いテクノロジーを手にしていたとしても、情報伝達法のリテラシーが低ければ、それは全体として低レベルのものになってしまう。
面白いのは、サッカーの試合の間は据え置きだったこの情報の帯が、局の連続ドラマ(朝ドラ)になった途端、すべて消えたことだ。大事な大事な人気ドラマの画面は汚したくないのかな、などと勘ぐってしまった。
3位決定戦
準決勝で破れた2チーム、ベルギーとイングランドが3位を競う。前半始まってすぐ(4分)に、右サイドからムニエが得点してベルギーが先制。印象としてイングランドの反撃は鋭いものではなかった。チャンスはつくっていたが、不発またはGKクルトワに止められる。イングランドはパスまわしがやや単調で、どんな風に得点するのか心配になった。コーナーキックなどセットプレーではここまでたくさん得点しているので、可能性が見えたのだが。試合終盤、ベルギーのカウンターアタックから、アザールがペナルティエリアに切り込んで自らゴール。82分に2−0になったことで、ほぼ試合は終わった感じだった。
しかしこの試合、統計データを見ると、両者に差があったようには見えない。パスの数、パス精度、シュート数、枠内シュートなどはイングランドが上まわっている。タックルやブロック数も多く、戦っていなかったわけでもない。クリア数がベルギーに多いことから、ベルギーが押されていたようにも取れる。しかし結果は2−0。イングランドの惜しい負けだったのか、はっきりしない。ただ4位という成績は、ここのところ目立った活躍のなかったイングランドにすれば、上出来なのかもしれない。
この試合もNHKで見ていたのだが、この時期NHKは、ウィンブルドンのテニスの試合も中継していた。セミファイナルで、久々に復活かというジョコビッチと、ここ最近ATPランキングで1、2位に復活しているナダルが対戦した。日をまたいで5時間を超える、手に汗握る好試合になった。
中継が行われていたこの日、日本上空では二つの高気圧が重なり猛暑が予想されていた。実際、全国的に35℃近い気温となった。こうなれば「熱中症厳戒注意報、警報」が、情報の最重要度事項となる。テニスなど見ている場合ではない。テニスの中継はそのまま放映されていたが、画面の左上、ちょうどスコア欄の上にかぶさるようにお天気情報が陣取りつづけた。これまであまり気にしたことがなかったが、テニスの試合を見ているとき、選手の動きと同時に、そのスコアを見ながら試合の進行を確認していたと気づいた。だからそこが塞がれてしまうと、どう進んでいるのがよくわからなくなった。
画面は、他に三つのコーナーがあり、右上角は「ウィンブルドン2018 LIVE」のような番組タイトルがあり、残りの二つは空いていた。同じ情報をただ貼り付けておくのなら、スコアの上ではなく、他の三つのコーナーのどこかでよかったのではないか。
試合が進行してどれくらいたったか、「お天気注意報」が突然消えた。そしてスコアが出ている間は表示をやめ、スコアが消えているときに、同じ場所に「お天気情報」を出し、重なることがなくなった。スコアが出そうになると、サッと「お天気情報」を引っ込めた。これは視聴者からのクレームによる対応なのか、あるいは社内でモニターしていた人が気づいたのか。無事解決して残りの試合を楽しむことができた。
情報を発信する側は、その内容に気を配るだけでは足りない。受け手に情報をどのように与えるかのプランや想定があって初めて、高いレベルの情報伝達が可能になる。
決勝
今大会最後の試合、決勝戦はフランスとクロアチアになった。フランスは優勝経験が自国開催で1度、それ以外に準優勝が1度ある。クロアチアは3位が最高。決勝戦の経験値や個々の選手のレベルで言えば、フランスが上か。
クロアチアは試合開始から積極的に攻めに出る。データを見ても、シュート数15と、フランスの8をうわまわっている。しかし枠内シュートを見ると、フランスが6あるのに対し、クロアチアは3、枠外シュートが8と精度で下まわっている。しかしコーナーキックの数は6とフランスを上まわっているし、ポゼッション、パスの数、パス精度でも優っている。フランスの相手シュートへのブロック数やクリア数が多いことからも、クロアチアがよく攻めているように見える。
試合は前半(18分)にグリーズマンのフリーキックをマンジュキッチが頭でクリアしようとしてオウンゴールになり、フランスが先制。その10分後、クロアチアはペリシッチのゴールで同点に。この時点で、これはわからない展開になったと感じた。しかしペナルティエリアで、 同点打を放ったペリシッチのハンドが取られ、VAR確認によりPKとなる。この判定はかなり微妙なものだった。PKに値するようなハンドだったかどうか。VARをモニターのところまで確認に行ったアルゼンチン人のレフェリーは、映像確認に長い時間をつかっていた。そして一旦モニターを離れようとして、再度モニターに戻り、再確認をしていた。その結果、レフェリーはPKに値すると判断し、グリーズマンがこれを落ち着いて決めた。この得点は、試合の流れに大きな影響を与えたかもしれない。
前半を2−1で終えたフランスは、後半、安定した守備で試合を進め、中盤選手の交代のあとすぐ、ポグバとエムベパによる素晴らしいゴールが決まり、4−1とする。その数分後、フランスのキーパーのヨリスがバックパスの処理を誤り、まさかの失点(しかしこの手のミスは、高いレベルでも割にあること)。マンジュキッチがヨリスの中途半端なボールを引っ掛けて追加点を取るが、試合は4−2のまま終了した。
準決勝、決勝のステージにきて、クロアチアが優れたチームであることはわかった。フランスは安定していて、さらにスーパーな選手が何人かいた。フランスの優勝も、クロアチアの準優勝も妥当ではないかな、と感じた。決勝戦でさほど固い試合にもならず、延長戦もなく、両チーム合計6点も点が入ることは珍しいのかもしれない。ただ前半のハンドによるPKの1点、あれはやはり大きかったと思う。レフェリーのちょっとした匙加減のようにも見えた。
大会全体から受けた印象
約1ヶ月の戦いが終わり、勝者はフランスになった。ドイツやアルゼンチンが早々に消え、またオランダやイタリアが予選を通過できなかったため、大会に顔を見せなかった。優勝候補筆頭と言われたブラジルも、ベスト8でいなくなった。決勝トーナメントに入ってから印象に残ったのは、地元のロシアとスウェーデンだろうか。ヨーロッパのチームとして、中堅かそれ以下の代表が、しぶとく戦ってベスト8までいった。グループリーグにもしぶとく戦っていたチームはいくつかあったが、得点力が低いと、引き分けられても勝ち越すのが難しそうだ。その点、ロシアとスウェーデンには得点する方法論があったということだ。ロシアのチェリシェフは、ロナウド、グリーズマンなどと並んで、今大会4ゴールをあげている。5ゴールあれば得点王の可能性もあるW杯で、4ゴールは大したものだ。
この大会の特徴としてよく言われているのが、セットプレーからの得点が多いこと。またPA内のファールやハンドによるPKによる得点も多かったそうだ。VARによる判断が影響したのかもしれない。大会中の一発レッドカードは、2枚だった。そのうちの1枚が、グループリーグ第1戦の日本、コロンビア戦のハンドによるカードおよびPKである。その3日前のグループCの対オーストラリア戦で、フランスのウンティティが犯したハンドと変わらないように見えたので(イエローだった)、コロンビアのサンチェスにレッドカードが出たときは驚いた。試合開始後1、2分のことだった。この時間にレッドとは、と試合が半分壊れたことにがっかりしたのを覚えている。
コロンビアの選手たちはもちろんレフェリーに抗議していた。しかし判定は覆らなかった。レッドカードが適切だったか、テレビ画面でしか見ていない自分には判断はつかない。ただ、2010年大会のとき、ウルグアイのスアレスが、ベスト8の戦いで、ゴールマウスの前に立ってガーナのシュートしたボールを手で掻き出して、レッドカードとなったプレーとは全く違うものだ。ウンティティのハンドの方に近い気がした。試合のほとんど全部の時間を10人で戦わなければならなかったコロンビアにとって、一発退場の判定はこの試合のすべてだったかもしれない。その後、一発レッドカードは、ベスト16に入ってからスイスが受けた、対スウェーデン戦94分(アディショナルタイム)のもののみだった。
ここ最近の大会での一発レッドの数を見てみると、2014年が7枚、2010年が9枚、2006年が5枚、2002年が11枚。今大会は一発レッドカードが非常に少ない大会ということになる。過去の記録を1930年の第1回大会から見てみると、やはり早い時間帯に退場者を出したチームは、多くの場合負けている。今大会のコロンビアの4分(公式記録)というのは、1986年にウルグアイがスコットランドとの試合で、1分で退場者を出したときに次ぐものだ(この試合は0−0。残り時間、どんな試合になったか想像がつく)。それ以外には1962年チリ大会で、イタリアがチリ戦で8分に退場者を出し、0−2で負けている。詳細はわからないが、チリが開催国だったことを考えると、あり得る判定だったのかもしれない。そのときのグループリーグの対戦表を見ると、この試合の勝敗が、どちらが決勝トーナメントに進むかに大きく影響したように見える。当時イタリアは2度の優勝経験があり、その次の大会では準優勝している。
日本が開始4分で相手チームに退場者を出させたことは、史上2番目の早さということになる。大会の全試合でたった2枚の一発レッドしかなく、もう1枚は試合最終盤だったことを考えると、日本にとってかなり恵まれた判定だったのではないか。
この判定だけでなく、V ARを使用していてもなお、レフェリングに疑問が残ることはあった。ただ全体としては、これまで見逃されていたオフサイドやペナルティエリア内でのファールが指摘、判断できるようになり、進歩したのかもしれない。今後さらに判断の精度が高められていくことに期待がかかるだろう。
FIFAによって配信された試合中のデータが、各チームの戦術にどう影響したのか、まだそれを記した記事は読んでいない。公式ページ(英語)に掲載されている各種データは、各チームに配布されたデバイスにも配信されていたことだろう。これについては何か面白い発見があれば、また書こうと思う。
地元ロシアや大会運営についての評価
ロシア大会についての全体的な評価はどうだったのか。運営について、BBCの記者やFIFA会長は、スタジアムそのものや会場の整備、各会場への交通の無料化など、ホスピタリティやサービスに素晴らしものがあり、権威主義的なロシアというイメージは間違っていることを証明した、などと発言したようだ。英語版ウィキペディアで引用されていた。日本語の記事では、ロシアという国や大会運営についての感想をほとんど見かけなかったが、12回目のW杯観戦を果たしたベテランのサッカーライター後藤健生さんは、「過去W杯の中でも最高の運営」と取り上げて褒めていた。
滞在した街の治安がよく、夜中でも安心して歩けたこと、深夜でも公共交通機関が動いていること、メトロでもバスでも、1分ごとに車両が到着し、便利なことこの上ないこと、取材者用のADカードをもっていると、すべての交通機関が無料なこと、飛行機の運賃も安く、試合チケットのある人は、都市間の列車に無料で乗れること、スーパーでの少額の買い物に到るまで、クレジット決済ができること、スタジアムでは荷物検査を徹底しながらも、入場口の人の流れがスムーズで混雑がなかったこと、などが挙げられていた。
後藤さんは書く。「2018年にロシア・ワールドカップを観戦した人が、2020年のオリンピックで東京を訪れたとしたら、果たして満足してもらえるものだろうか……。ロシア大会の大成功によって、東京大会にとってハードルがかなり上がったように思えるのだが……。」 ロシアという場所や社会の現在について、ロシア大会の運営について、日本語の記事があまりないことからも、日本の関係者が、あるいは国民が、こういった側面に対して関心が薄いことがうかがわれる。「日本の伝統をつたえるオ・モ・テ・ナ・シ」もいいかもしれないが、誰もが普通に快適に滞在できるサービスが行き渡っている方が、国際スポーツ大会の現場では、人を選ばず、多くの人に喜ばれるのではないだろうか。
その他に思ったこと
ウィンブルドンの決勝を制して、久々の活躍を見せたジョコビッチ選手が、優勝インタビューで話していたことが記憶に残った。ジョコビッチは肘などの怪我や手術で、トップレベルのプレーから長期間遠ざかっていた。あまりに長い離脱で、年齢も31歳、もうトップに返り咲くことはないのだろうかと思い始めていた。
そのジョコビッチが復帰までの長い道のりについて、「(復帰に向けての)プロセスを信じる必要があった」と述べていた。これを聞いて思い出したのが、サッカー日本代表のキャプテン長谷部選手の釈明だった。W杯グループリーグ第3戦のポーランド戦で、試合終了までの残りの10分近く、チーム全員で後ろでボールを回しつづけたことへのファンからの非難に対しての言葉だった。「結果がすべて」「プロの世界は結果がすべてだから」こう言ったのだ。
ここでいう結果とは、「決勝トーナメントに進むこと」である。その時点で日本は1勝1引き分けで、第3戦で敗戦の最中にあった。引き分け以上で(勝ち点5)グループリーグを自力で抜けられる状態だった。しかし監督の指示で、長谷部選手は、0−1で負けている状態を保持することをチームに伝えるはめになった。それは同時刻他会場のセネガルがコロンビアに負けていて、勝ち点(4)と得失点差(0)はセネガルと全く同じながら、イエローカードの数がセネガルより少ない日本は、これ以上、今やっている試合でイエローをもらわなければ、勝ち抜けられるのではないか、と踏んだのだ。セネガルが最後の最後に1点入れて、コロンビアと引き分ければ、日本は敗退だったが、それは考慮から外された。負けたままでスコアを動かさなければ(もし下手に攻めて、もう1点ポーランドに取られれば敗退)、ここを通過できる、という方に日本は賭けた。つまり運を天に任せた。
この行為を正当化するために、日本人の中には、数学の確率などをつかって合理性があることを説明する人もいたようだ。その計算が確率的に合っていたとしても、セネガルが1点入れて引き分けに持ち込む可能性は50%あった。0−1で負けたままにしておく方が、1−1にして追いつき、自ら引き分けを手にして次のステージに進むより、ずっと勝算がある、と見た心理とはいったいどんなものだったのだろう。自分たちはポーランドにはどうやっても得点することができない、と見極めたということなのか。そうであればスコアは0−1であっても、日本はポーランドに大敗したようなものだ。
あの場では監督も長谷部選手もある種のパニックに陥っていたのかもしれない。日本とポーランド戦が終了時間を迎えたとき、まだセネガル、コロンビア戦は終わっていなかった。日本の選手たち、監督、スタッフの虚ろな表情がテレビカメラに捕らえられた。自分たちの運命が、他会場の試合結果に委ねられていた。少ししてやっと、セネガルがそのまま負けた情報が入り、日本代表チームに控えめな笑顔が戻った。よかった、通った。
わたしはこの時日本代表が選択した行動と、他会場の結果を心配して虚ろになった選手たちの表情を見て、これは心理的に相当な傷になるのではと思った。しかしその後のインタビューの様子や、「チーム状態はすごくいいです」という選手たちの発言を聞いて、それほど傷ついてはいないのかもしれないと思った。そして長谷部選手の「結果がすべて」「プロの世界は結果がすべて」という発言があった。
プロの世界は結果がすべて、というのは本当のことではないと思う。それはサッカーに限ったことではない。長谷部選手が「結果がすべて」と発言したのは、ポーランド戦後にキャプテンとして、チームが選択したプレーに対して、そう言うしかなかったのかもしれない。しかし、と思う。違うことを言ってもかまわなかったのでは。一般に、日本の選手は、記者の質問に対して当たり前の、型通りのことしか言わない。記者への信頼がないのだろう。あるいは記者の向こう側にいるファンや日本国民に、本音は言えないと思っているのだろう。
ジョコビッチは「プロセスを信じる必要があった」と語った。プロセスを信じることは、結果がすべて、結果のみを信じることより難しいことだ。もし日本代表がポーランド戦で、「(やっていることの)プロセスを信じる必要がある」と考えたなら、自分たちは1点取りにいって引き分けに持ち込める、それだけの力も信念もある、ということになり、それが果たせれば勝ち点5を手にし、他会場の結果と関係なく、堂々グループリーグを突破できた。試合終了後の虚ろな表情に陥ることはなかった。
仮にそれが果たせず、ポーランドから得点が奪えなかったとして、あるいはさらなる追加点を取られて負けた場合も、それが実力だったと思えば、納得はできるのではないか。そこから学ぶことは多かったかもしれない。あのギリギリの状況下で、勝負から逃げずに、力を出し尽くして戦うことで得られるものの大きさを考えずにはいられない。1勝、1引き分け、1敗の勝ち点4で、グループリーグ敗退。この結果は、戦績として、決勝トーナメントを戦った後の結果、1勝、1引き分け、2敗とほぼ同じだ。プラスされるものはなかった。であれば、グループリーグで勝ち点5なり、勝ち点7なりを取ることを目標にしていた方が健全だったのではないか。真の実力を上げる、それを追求するという意味で、今後に繋がる気がする。
前回も書いたが、今大会のグループリーグで、勝ち点4でトーナメントに進めたのは、日本とアルゼンチンのみ。勝ち点4はギリギリの線なのだ。イランとセネガルは勝ち点4で落ちた。決勝トーナメントにおいて、グループリーグで勝ち点6以下のチームは、いずれもベスト8には進めていない。こういう一発勝負の大会では、先に進むことが大事なのはわかるが、確実に実力を上げていくには、グループリーグでの戦績を確かなものにしていく、という考え方があってもいいと思う。勝ち点4ではなく、勝ち点5以上を常に取れるようにしていけば、結果として、決勝トーナメントに進めるようになるはずだ。その意味で、もうちょっとでベスト8に進めた、次の目標はベスト8だ、といって盛り上がるのは楽しいかもしれないけれど、早まった考えであり、軽はずみな判断ではないかなと思ってる。日本の今大会の成績は、32チーム中15位だった。