本のプロフィール、そして未来
葉っぱの坑夫は2000年4月から、「本」の出版をウェブでやってきました。ここで言う本とは、ウェブ上で公開する「ひとまとまりのテキストと画像」のことです。英語俳句集『ニューヨーク、アパアト暮らし』とか、童話集『インディアン・テイルズ シエラネバダから14の物語』など、最初は英語の原作本から日本語訳したものが主でした。そういったものを本と呼んでいました。当時、日本では本といえば、紙に印刷され綴じられた物体を指していました。ウェブに置いたテキストや画像の集積を「本」と呼び、それをウェブで「出版する」という考え方こそが、葉っぱの坑夫の出発点でした。正式名にWeb Pressとついている所以でもあります。
そこから20年弱、2019年のいま、本とは何を指すのか、あらためて考えてみたいと思いました。
それを考える前に、本よりメディアの選択において、少し進んだ状況にある音楽のことに頭をめぐらせてみたいと思います。レコードが誕生する前の音楽は、ホールなどに出向いて、あるいは貴族のサロンなどで、生演奏を聴くものでした。レコードの誕生は19世紀後半、エジソンが盲人を補助する道具として発明したフォノグラフにはじまります。20世紀初頭に音楽界で仕事した作曲家たちの話では、聴衆は音楽を生で聴くか、レコードで聴くかという選択ができるようになり、また作曲家自身は、自分の作品を楽譜で売るか、レコードで売るか、あるいはホールでコンサートをするか、レコードにするかという選択が出てきたということです。
アメリカでは、レコードが家庭に普及すると、多くの人が家で音楽を聴くようになったといいます。ニューヨークやシカゴなどの都市部では、コンサートも盛況だったそうですが。作曲家の方も、楽譜の出版よりレコードに録音する方が優先事項となり、コンサートで新曲を発表することと並行して、レコードでも発売する、とその優位性を認める人がたくさんいたようです。それはコンサートはどんなにがんばっても何千回もできませんが、レコードなら複製により広く普及させることができるからです。またコンサートと違い、場所からの自由を獲得もしました。たとえばヨーロッパの劇場まで行かなくとも、自分の居場所で聴けることで、レコードは音楽のグローバルな広がりにも貢献したと言えます。
CDが出てきたのが1980年代、レコードとCD発売の間にはカセットテープの時代がありました。このカセットの時代は録音や編集もできたので、ありものをただ聴いたり、エアチェックといってラジオなどから録音するだけでなく、自分で楽曲を編集したベスト盤のようなコンピレーションをつくって、友だちにあげたりする習慣もありました。CDが出たばかりのときは、カセットテープのような編集はできませんでしたが、のちにパソコンでCD-Rに音声の書き込みができるようになると、カセットでやっていたような編集も可能になりました。
そのあとMD(ミニディスク)という媒体ができて、それも書き込みができるものでした。ただミニディスクがどの程度の普及度だったか、一般的に出まわる期間が短かったような記憶があります。海外で普及しなかったこともあり、衰退の一途をたどり、市場的には現在、ほぼ消滅状態のようです。
その後の大きな動きとしては、コンピューターのAppleから発売された、フラッシュメモリ内蔵によるiPodでしょうか。最初のiPod発売が2001年。それまでもカセットで音楽を携帯する習慣はありましたが、このiPodによって(軽量で見た目もかわいいというモノとしての魅力に加え、コンテンツのためのテープなどいらず、記録容量が飛躍的に増えたことで)、音楽の持ち歩きは一気に増えたと思われます。
そしてiPhoneなど携帯電話(スマホ)の登場があり、そこにiPodの機能がそのまま搭載され、さらにはiTuensなどを通じてコンテンツをネットから直接取り入れることが普通になり、と現在の状況になっています。そしてサブスクリプションでの定額制契約がいまは増え、Apple Music、Spotify、Amazon Musicなどから、楽曲を購入するのではなく、そのときどきで聞きたいものに自由にアクセスする人も多くなっています。
と、音楽に関しては、レコードという録音媒体が生まれてから、現在のサブスクリプションでのアクセスまで、音楽との接触の仕方、購入の仕方、聴取のスタイルに大きな変遷があったと言えます。
さて、では本題の「本」です。本とは何か、と言ったとき、日本ではいまも2000年4月当時とそれほど変わりなく、「紙に印刷され綴じられた物体」を思い浮かべる人が大多数ではないかと思います。ウェブで発表されたひとまとまりのコンテンツを(たとえ紙の本と内容がまったく同じであったとしても)、本という言葉で表すことは少ないかもしれません。
内容が同じでも、見た目や使用法が違う。媒体が違うということが、大きな違いとして感じられるのが本である、あるいは日本における本の状況である、と言えます。
日本で「紙以外の本」を出している版元として、青空文庫、Amazon、パピレス、ソニーなどがあり、葉っぱの坑夫もここに入ります。紙以外の本にはどんなものがあるのでしょう。ウェブのコンテンツ、Kindleなどの端末で読む電子書籍、オーディオコンテンツ、そしてYouTubeもここに入ってくるかもしれません。
話が音楽に戻りますが、音楽も最近はYouTubeで楽しむ、という人もかなりいるようです。わたし自身、楽曲検索や作曲家を探しているとき、Googleに表示されるものからYouTubeに行ったり、ときに直接YouTubeに行って検索することもあります。YouTubeのいいところは、特定のコンサートや作曲家のドキュメンタリーフィルムなどで、映像とともにたっぷり音楽が楽しめることです。また子どもたちも、YouTubeで新しい音楽を仕入れたり(アマチュアミュージシャンの投稿だったりする)、それを見た人(子ども?)が楽譜にして再投稿したり、それを見て演奏した別バージョンを他の人が再々投稿したりといった世界が繰り広げられ、その全体を楽しんでいるということも耳にはさみました。
本の世界はというと、音楽ほどにはメディアが入り混じっていることはなさそうです。中でも紙の本は、スタンドアローンというか、単独で存在している部分が多く、メディア的に横につながる機能が薄いと言えます。素材が紙であるという本自体がもつ機能制限だけでなく、紙と電子のメディア同士の横つながりも日本では薄い状況です。
たとえば新聞などの書評でも、紹介されているのは紙の本のみだったりします。なぜ電子書籍も併記しないのか、理由がわかりません。というのは、日本では新刊でも電子書籍が同時発売されるとは限らないからです。電子書籍を利用している人にとっては、それが買えるものなのかの情報が欠けていることになります。新聞社など掲載するメディアの側の意向なのか、版元が紙の本を重視しているためなのか、そのあたりはわかりません。アマゾンでは商品ページで違うメディアを並列し、簡単に切り替えられるようにしています。こちらの方が紹介の仕方としては標準ではないか、という気がします。音楽の場合も同様で、ストリーミング、MP3、CDといった風に選択肢を示しています。
本自体の機能ということでいうと、ウェブの場合は、リンクや埋め込みによって、本文の中に外部にある映像や画像、音楽を含めることができます。たとえば現在葉っぱの坑夫で連載している『インタビュー with 20世紀アメリカの作曲家』では、サンプル音源をApple Musicから埋め込みリンクをつかって、本文内に表示し、その場で音楽を再生できるようにしています。また作曲家のインタビュー映像をYouTubeから引いてきて、埋め込みタグによってページ内に表示し、その場で再生させるということもしています。何年か前に、このYouTubeの埋め込みタグの機能を知った時は、こんなことができるのか、と驚きました。
すでにインターネット内ある素材を、適した場所で引用できることは、使う側、使われる側どちらにとっても有益のように思えます。YouTubeがシェアの思想で成り立っているからこそ出てくるアイディアであり、コンテンツを広げていくことに役立つのでしょう。
こういった意味で、もっとウェブを利用した本が出てきてもいいように思います。本がマルチメディア化することで、損をする人はいないはずです。Kindleなどの端末にDLして読む電子書籍も、非常に有益な形ですが、ウェブという形での出版も、それとは別にあっていいように思います。新刊の本を出す際、紙の本以外にウェブでも同じコンテンツがあったら、便利かもしれません。最初からウェブブックを買う人もいるでしょうが、紙の本を購入した人が、認証を経て自由にアクセスできるようにして、外出時などスマホなどで続きが読めるようにするのもいいと思います。
紙の本では、カラーページは印刷代がかかるのでたくさんの写真を含められない場合も、ウェブブック版に載せるようにすれば、コストと関係なく、収録したいコンテンツが入れられます。また音声ファイルを入れることも電子書籍では簡単にできるので(ウェブであれKindleであれ)、さらに豊かな内容に膨らませることができます。たとえば『What the Robin Knows』という鳥の本では、登場する鳥の声を文章に付け加えて聞けるようにしています。つまり本文(コンテンツ)が飛躍的にリッチ化するわけです。
最近、坂本龍一監修による『commmons schola』シリーズのVol4-ラヴェルを買いました。スコラとはラテン語で学校という意味で、バッハからジャズ、日本のポップスに至るまでの音楽を各巻テーマごとに厳選し、全30巻で紹介する音楽全集とのことです。わたしの買ったものはKindle版で税込2160円でしたが、CD2枚付きの単行本は商品切れなのか中古30000円という高値がついていました。これはラヴェルの巻にかぎらず、ここまで出ているVol.17まで多くの本に高い値段がついているようでした。調べたところ、定価は9000円前後のようです。
最初の配本であるVol.1とVol.2は2008年(CDブックレット版。Kindle版の発売はは2015年)の発売になっていたので、まだCDを付けて売る方法がよかったのかもしれません。各巻で選んでいる音源は、特定の演奏家や特定の版なので、そして全曲ではなく、1楽章だけとか組曲の中の1曲といった選び方なので、音源をそのまま付けてしまった方がよいという考えがあったのでしょう。しかし1巻だけで8500~9800円という価格は、子どもも含めた一般の音楽好きにとってかなり高い値段だと思います。学校というタイトルを考えても、もっと安くできる工夫があってもいいと思いました。
現在の状況(定額制で音楽を聴く人がいる)であれば、CD付きでない紙のブックレットをKindleとともに単品で売ることもありだと思います。本の方はブックレットと言っているだけあって、100ページちょっとの薄いもの。この商品は、CDと本のどちらの値段によるものなか、と言えば、本当は本の値段ではないかと思います。CDは2枚組といっても、既存のCDからのセレクションに過ぎないのですから。Kindle版が2160円であることを考えると9000ー2000で6000~7000円がCDの価格でしょうか。いずれにしても値段の付け方には疑問が残ります。
しかもAmazonを見るかぎりでは、単行本の方はすべて中古になっているので、紙の本は増刷ができないままなのかもしれません。Kindle版はもちろん、品切れや絶版はありません。同じ価格で売り続けられます。わたしはこの本を買う際、実は非常に迷いました。まず2160円という価格で、ブックレットの電子版を買うことに価値があるのかどうか。あっという間に終わってしまうような軽い内容ではないのか。もし試しに1冊選ぶとしたら、どれを選べば判定がしやすいのか。といったことを数日間考えて、最終的に本の構成や意図を知るために、最もよく知る作曲家ラヴェルの巻をを買いました。期待に沿うような出来か、良し悪しの判断がしやすいと思ったからです。
結果としては、なかなか良くできているな、というのが正直な感想でした。2160円も払って損をした、という風には思いませんでした。内容的には楽曲案内として、視点的に面白かったですし、浅田彰、坂本龍一など数名による鼎談形式での紹介の仕方も、真面目につくられている印象でした。またセレクトされた音楽も、本文を読みながら聴くと(わたしの場合は、IMSLPやSpotifyで)印象深く、説明されていることにも納得がいきました。また巻末の原典解説や年表類なども、きちんと執筆・編集されていました。その意味で、質的な問題や時代性には問題がなかったと思います。多分、別の巻も今後買う可能性があります。
このように内容的には悪くないので、せっかくならもっと広がるメディアの選択をした方がいいのでは、と思います。Kindle版はこれでいいですが、音源の部分は、リンクをつかってその場で聞けるようにしてもいいかもしれません。紙の本はCD抜きで、アマゾンのオンデマンド本にして値段的にはKindle版と同じか、それ以下にすればいいのでは。音源の選択は、アクセスしやすいものに変更するなどしてもいいかもしれません。おそらくこの手の本は、発売時ほど売れるものではないので(発売時はNHKで同様のタイトルでシリーズ放送があったようです)、重版は難しいとして、印刷原稿はすでにあるのだから、アマゾンのオンデマンドにするのは容易だと想像します。出版のための初期投資も必要ありません。InDesignなどで制作されたデータをPDFに変換し、アマゾンに登録するだけ。そうすれば「オンデマンド本」として、CDブックやKindleに併記されます。
学校と名乗っているからには、商売の面だけでなく、絶やすことなく続けていくことが大事ではないでしょうか? 著者・監修者の坂本龍一さん、版元のエイベックス・マーケティングさん、いかがでしょうか?
(実はこのあと『20世紀の音楽 II - Vol.15』を買ったのですが、こちらはちょっとがっかりでした。ラヴェルの巻と違い、複数の音楽家や楽曲を扱っているせいなのか、一つ一つの推薦曲の説明があまりなく、冒頭の鼎談は、どの曲をCDに入れるべきかの議論に終始しているように見えました。)
コモンズスコラの例を見てわかるように、紙の本のことを考えている人は、他のメディアに対しての広がりに欠けることがしばしば見受けられます。この本の場合は、まだ、Kindle版があるので救われますが。
日本では新刊を出す際、多くの場合、Kindle版を同時には発売しません。先に紙の本を出して、しばらくしてからKindle版というのが方法論になっているようにも見受けられます。それでも、Kindle版を出すプランがあるなら、まだマシですが。日本でKindleが発売になってからもう数年たちますが、いまだに新刊を紙の本でしか出さない版元や著者はいます。音楽流通の変化と比べてみると、根本の考え方のところで、何か壁になるものがあるのかな、とも感じます。
仮に音楽がCDというスタンドアローン型のメディアでしか聞けない、という状況を想像してみれば、本が「紙の本」というパッケージ商品のみでしかアクセスできないことは、本の幅広い流通にとってマイナスになってくる可能性は大いにあります。
本というメディアは、独自の優れた型をもっています。紙の束が表紙で綴じられ、序文や謝辞、紹介文などがあり(英語圏などの本の場合)、目次があり、本文があり、索引や参照のページ、奥付やクレジットと、一つのパッケージとして完成した形だと思います。本好きや本の虫と自称する人々は、それに加えて、インクの匂いや紙の手触り、表紙のデザインや帯の面白さ、美しさなどに愛着を抱いているようです。それも楽しみとして大いにありでしょう。
でもそれが高じるあまり、他のメディア、他の形式の本への関心が弱まってしまうのは、残念なことです。両方あってこその豊かさだし、本が広く、多くの人々に、さまざまな場面で、多様なアクセスの仕方で広まっていくことは、本が人々の生活とともにあること、いまの生活の中に溶け込んでいくために大切ではないかと考えます。本が売れない、読まれない、と嘆く前に、こうした利便性の開発にもっと敏感になっていってもよさそうです。
電子書籍が広まっていけば、さまざまな横断的な本のアイディアが生まれてくることもあるでしょう。音楽をコンピレーション的に聞くように、本のコンテンツも読む側が再編集して楽しむなど。同じテーマで書いている違う作家によるエッセイを、並べて読むことも可能になります。過去の本の電子化がもっと進めば、さらにこのコンピレーションは豊かなものになるでしょう。同じテーマについて書かれた夏目漱石と平野啓一郎と山崎ナオコーラのエッセイを、単体で購入して(あるいはサブスクリプションで)比べて読むといった楽しみもあり得ます。コンピューターやデータベースは、こういうことをするのに適していて、大きな力を発揮します。
よくできた本の編集の力は尊敬すべきものがありますが、コンテンツを単体で楽しむことを読者の側に明け渡す勇気もあっていいように思います。どちらにも利点はあるのですから。普段単体で音楽を聴いていても、アーティストの意図を反映するアルバムで楽しむことも、そのプログラムが面白くユニークであれば、充分あることです。
また、素晴らしくデザインされた本をいつくしんで読むのも一つですが、読む方が自分の端末で文字の大きさや行間、フォントを選んで読む本、つまり中身(コンテンツ)重視の読み方も一つです。電子ブックでは、デザイナーが意図する素晴らしいデザインの恩恵を受けられない分、読みたいときに即座に手に入り、あるいはサンプルをまず読むことができます。それが海外の出版社のマイナー本でも、何週間、何ヶ月と待つことなく、即座に読みはじめられるという長所は、かなり大きな利点となり得ます。(想像では、洋書を読む人の大多数は、Kindleを利用しているのではないでしょうか。読みながら内臓辞書を使えますし)
本という素晴らしい発明が、紙というメディアの中だけで完結しないよう、出版社、編集者、デザイナー、著者、アーティストは心を一段階アップデートする必要があるかもしれません。シェアの精神と受け手の利益を中心に、メディアの選択はされていくといいと思います。それが結局、本が日々の生活に溶け込み、生命力をたもつための支援にもなりそうです。
P.S. ウェブの本の場合、日本語が縦書きで読めないのでは、と思う人もいるかもしれません。縦書きで文章を読みたい人は、それができるソフトも開発されています。ボイジャーの理想書店が発売している本は、ウェブ上で縦書きで読めたと思います。ただ葉っぱの坑夫の本は、ウェブだけでなく、Kindle本も紙の本もすべて横書きです。それは横書きの方が利便性、応用性が高いと思っているから。最近の本は、ジャンルに関わらず文章の中に欧文がたくさん出てきます。専門書はもちろん、それ以外の本でも欧文表記は増えています。それをいちいち90度角度を変えながら読むことのストレスは小さくありません。時に学習英語の解説書のようなものも、縦だったりします。縦書きでなければならない理由があれば別ですが、今の時代、みんなウェブの記事は横書きで慣れていますし、日本語書体も横書きに適したものが開発されています。もっと横書きの利便性、応用性が認められてもいいのでは、と思います。