音楽による対話:新譜『Zwiegespräche』を聴いて
ミュンヘンにあるレーベルECMレコードからこの5月に出たアルバム『Zwiegespräche(対話)』は、二人の作曲家による感動的な作品集だ。ハンガリーの作曲家、ピアニストであるジェルジュ・クルターグ、93歳、スイスのオーボエ奏者、作曲家のハインツ・ホリガー、80歳。この友人関係にある二人の音楽による対話が、この作品集のコンセプトであり、それぞれの短い楽曲が対話するように交互に置かれている。5月に80歳を迎えたホリガーのバースデー記念アルバムとしてリリースされた。
実はジェルジュ・クルターグについては、ここ2、3ヶ月興味をもって、作品を聴いいたり、ビデオを見たりしていた。きっかけはなんだったか。クルターグが妻のマルタと連弾しているバッハのカンタータ(クルターグ編曲)『神の時こそいと良き時』を見たのが最初だったか。非常にいい演奏で、また二人の演奏ぶりが魅力的で、第2ピアノを弾く90代のクルターグの顔にじっと目を当ててしまうのが常だった。
このアルバム『対話』を見つけたのは、ときどきチェックしているECMのウェブサイトだった。発売まもなくのことで、トップページにあげられており、そこにクルターグの名前があった。ハインツ・ホリガーは未知の人だった。タイトルがドイツ語でZwiegesprächeとなっており、Google翻訳を通したところ、DIalogueの訳が出てきた。ダイアローグ=対話。ECMのサイトの解説を読むと、二人の作曲家クルターグとホリガーが対話をするように曲を並べたとあった。そしてこの二人は長年の友人だという。
ECMのサイトでも試聴はできるが、すぐにSpotifyに行って全篇を聴きたいと思った。Heinz Holligerで引いたところすぐに見つかった。第1曲はクルターグ作曲による「... ein Brief aus der Ferne an Ursula」(ウルズラへの遠くからの手紙)。ホリガーによるオーボエのソロ。2分46秒。第2曲はホリガー作曲による「Berceuse pour M.」(Mのための子守唄)。ホリガーの弟子マリー=リーゼ・シュプバッハによるイングリッシュホルンのソロ。3分3秒。
この冒頭の2曲は、どちらもオーボエソロによる美しくもの悲しい旋律のゆっくりとした作品。どちらもオーボエという楽器の美しい音色を堪能できる楽曲だ。また作曲者が違うのに、双子のように似てもいる。クルターグの『ウルズラへの遠くからの手紙』は、ホリガーの妻のウルズラの死に際して書かれた曲だという。ホリガーの『Mのための子守唄』は、弟子でありこの曲を演奏しているマリー=リーゼ・シュプバッハの母親が死んだ際に作曲されたものらしい。つまりどちらの曲も、身近な、親しい人の悲しみを思い、その人の親族に捧げられた。
そして続く第3曲『... FÜR HEINZ(ハインツのために)』は、ホリガーの妻ウルズラの埋葬に向けて、クルターグが友人ホリガーに向けて書いたピアノ曲。2分53秒。オーボエ奏者であるホリガー自身が、ピアノを弾いている。この曲は左手のみの曲で、CDのブックレットによると「人生の仲間(配偶者)を失ったことを象徴的に表している」とのこと。なるほど。右手のない左手だけの楽曲は、通常ピアノでは右手がメロディを担当するだけに、喪失感をかもしだす充分な効果がある。ホリガーのピアノ演奏を聴く機会はほとんどないと思われるので貴重なことであるし、またこの曲をホリガー以外の他の誰が演奏できようか、とも思える。そのような必然が、対話の始まりである第1曲、第2曲、第3曲で表される。
CDブックレットと上に書いたが、そう、CDをECMのサイトから購入したのだ。送料が5ユーロかかったと思うが、数日で届いたのは嬉しかった。Spotifyで聞けるのになぜCDを?と思うかもしれない。理由はブックレットが付いていると書かれていたから。サイトにもそこそこの長さの解説はあったが、ブックレットにはもっと詳しい情報があるに違いないと思ったのだ。
そう思わさせられたのは、このアルバム全体の作りや構成のせいだと思う。曲を聴いたり、解説を読んでいると、もっと知りたい、このアルバムがどのようにして出来たのか、もっと知りたいという思いが突き上げてくる。そして楽曲を作る上での、ホリガーとクルターグの関係性についても(どんな風な手順で音楽による対話が行なわれたのか、など)詳しく知りたいと思った。サイトに書いてある以上のことが、きっとあるはずだ、と。
CDのブックレットより:
このブックレットなしに、曲と作曲者を一致させるのは至難のわざだろう。「わたしたちの書法は、ほんとうに似ている、同じだね」とクルターグは録音を聴いて、ホリガーに言ったという。親族のような同質性。二人をつなぐものは数限りなくある。(訳:だいこく)
この二人の共通性として、まず作曲の師が同じだったという点があげられていた。シャーンドル・ヴェレシュ(ハンガリー系スイス人作曲家)の教えをクルターグはブタペストで、ホリガーはのちにベルンで受けている。ハンガリー的、そしてヴェレシュ的なもの、それが二人に共通の資質として伝わっているのではないか、とブックレットの解説にあった。ホリガーはピエール・ブーレーズにも師事しているので、日本ではその影響について触れられることが多いようだが、本人は「音楽の本質を学んだのはヴェレシュ」であることを強調しているようだ(Wikipedia 日本語版)。ホリガー、クルターグ両者とも小規模な楽曲が多く、それを友だちや音楽仲間、同志など身近な人々に捧げていることも共通項としてあげられていた。さらに、西洋音楽史の全体をフレームとして使っていること、この点でも二人の創作は似ているという。
CDブックレットより:
両者とも作曲において、西洋音楽史の全体をフレームとして使い、小規模な小さな楽曲を好み、友だちや音楽仲間への賛歌を追求し、生存の、あるいはもう亡くなった心の同志たちとともに、現代の「ダヴィド同盟」(ロベルト・シューマンによって創設された架空の音楽ソサエティ。文学同盟を参考に、同時代の音楽を中傷する者からの保護のために作られた)を育み、ともに文学への強い愛と関心をもち、それだけでなく同じ詩人、作家への興味を示してきた。(訳・注:だいこく)
「西洋音楽史の全体をフレームとして使い」というのは、作曲において、現代の音楽やその一つ前の時代の19世紀、18世紀の音楽を参照するのではなく(一部の現代音楽の作曲家たちが熱心に研究しているのと同じように、古典派以前の音楽、つまりバロックや中世の音楽への関心を含む)、西洋音楽の成り立ちの全体を視野に入れている、ということではないか。クルターグの『Versetto』という56秒の曲は、「偽のオルガヌム」という副題が添えられ、この様式(オルガヌム=初期のポリフォニーの形式)が特徴的に使われており、それは音楽史への注釈であるとブックレットには書かれていた。
少し前に戻って、第4曲と第5曲、これもホリガーとクルターグの対話によって成り立つ曲だ。『Die Ros’』はホリガーによってまず書かれた。この曲は『Die Rose’ ist ohne warum(バラに理由はない)』というテキスト(18世紀のカトリック神父、医者、詩人、アンゲロス・ジリジオスによる)からの引用で、ホリガーが重い病いで入院していたとき、回復期に1日1曲書くことで生を取り戻そうとして、カレンダーの日めくりを繰るように書かれたものだという。ホリガーはこの曲をクルターグに送った。クルターグは同じテキストを使って曲を作り、1ヶ月後に、ホリガーに返してきた。
CDブックレットより:
ホリガーのハーモニーの配置を反転させて、ソプラノとホルンのビシニウム(ルネサンス時代の2声)を自分に課して作っている。それによりホリガーのポリフォニー(多声部)が、緩やかに解放されてイングリッシュホルンの旋律に溶け込んでいく。回復と新たな人生を祝う、喜びに満ちた歌。(訳:だいこく)
音楽を深く知り愛する者同士の、音による交流。メディアは音楽の言葉。ホリガーとクルターグの関係性を、より間近に知ることのできる出来事であり、作品だと思う。
CDを買ったのには、もう一つ別の理由があった。アルバムの中で詩を朗読しているフランスの詩人のことが気になったからだ。「Airs」というタイトルのホリガー作曲による組曲のようなものがあり、全7曲にフランスの詩人、フィリップ・ジャコテの詩が組み合わされている。フランス語でairは「空気」「アリア」「メロディ」「色合い」「表情」など多くの意味を含む万華鏡のような言葉だという。
構成としてはまずジャコテの詩が詩人本人によって読まれる。どれも30秒くらいの短いもので、おそらく最初の数行のみが読まれているのではないか。今年93歳になるジャコテの朗読は、声質、抑揚ともに素晴らしく、音楽的だ。詩の朗読につづいてオーボエとイングリッシュホルンの演奏がはじまる。ホリガーは作曲の際、楽器のパートの下に詩が流れているかのように音楽を作ったそうだ。演奏者は詩を心の中で読みながら演奏する。すると楽器の演奏は「言葉をもつ歌」となり、それがメロディに力を与え、聴くものにそこに刻み込まれたものを伝える。そのようなことがブックレットには書かれていた。
Airsは最後の曲を除いて、1分半くらいのごく短いものが多い。楽器の演奏が終わると、また詩の朗読が始まる。この繰り返しが心地いい。音楽のような詩の響き、詩のような音楽の抑揚。詩がある種の音楽であるように、音楽もある種の言葉なのかもしれない、という思いが湧いてくる。
ブックレットには朗読されている詩のテキストがちゃんと載っていた。フランス語なのではっきりとした意味は取れないが、淡々と自然や風景を描写しているような感じではないか。詩の言葉と次にくる音楽あるいはメロディーは呼応しているのだろう。言葉あるいはテキストは、音楽を産むらしい。作曲家が、文学を身近において仕事をすることはよく知られている。ホリガーとクルターグもそうなのだ。作曲家がどのようにして、無から形あるもの(音楽)を生み出すかの秘密をのぞいたような気分になる。
ECMのサイトのこの作品のページには、ホリガーのインタビュー映像があった。穏やかな面持ちの作曲家が、笑顔を見せながらクルターグについて静かに語っている。言葉がホリガーの母語ではない英語だったので、考えつつ、ときに言葉を探しながら、真摯に話をしている。いくつか印象的なものを取り上げてみたい。
彼と最初に会ったのは、1973年だったと思います。わたしは当時、現代音楽のグループSIMCをバーゼルで率いていて、そこでクルターグの作品が組まれました。
彼の作品の最初の音を聴いて、すっかり魅了されてしまったのです。
彼の書く音はどれも本質をついていて、世間話みたいなものはありませんし、誰かを喜ばすとか、聴衆を喜ばすとかないんです。
それが彼にとってのただ一つの真実で、本質であり、音楽づくりにおいて嘘をつくことがありません。
ドイツ語で「Klangrede」というもので、わたしが、そしてヴェレシュ・シャーンドルが感じてるもの、そしてクルターグが感じているものです。
これがわたしたちのもっとも著しい類似点かもしれません。
「Klangrede」これが二人のもっとも著しい類似点、とホリガーは言っている。造語なのか、この言葉は調べてもなかなか出てこなかった。なんとかわかったのは以下の解釈。
Musik als Klangrede"=music as speech=語りとしての音楽
Musik als Klangrede"=music as speech=語りとしての音楽
またWikipediaドイツ語版には「Klangrede」の項目があり、Google翻訳にかけると以下のような意味だった。[ Klangrede(音によるスピーチ)は音楽の形式であり、原理(特に18世紀の)のデザインである。ヨハン・マッテゾン(18世紀のドイツの作曲家、音楽理論家、辞書編集者)の『The Perfect Capellmeister(完璧なる楽長)』の中に記された、彼の手による造語。他の音楽形式と組み合わされることもしばしばある。](Wikipedia ドイツ語版からの訳)
再び、ホリガーのインタビュー映像から:
クルターグにとって、音楽はしばしば誰かが亡くなった時に書かれます。追悼です。
それは音楽は生と死の境界を超えられる唯一の芸術だからです。音楽家として別の世界に行ったオルフェウスみたいにね、それは画家ではないんです。
おー、画家ではなく、音楽家だけが超えられる、あるいは音楽だけが超えられる生と死の境界。ちなみにオルフェウスというのは、ギリシア神話に登場する吟遊詩人で、竪琴の演奏が素晴らしく、オルフェウスが演奏すると、森の動物ばかりでなく木や岩までもがそれに聞き入ったそうだ。そして愛する妻が死んだとき、オルフェウスは竪琴をもって冥府に足を踏み入れ、妻を取り戻そうとした。そこで見事な演奏をし、冥界の人々に涙を流させたという。(Wikipedia 日本語版)
ホリガーのインタビュー映像から:
言葉が終わったとき、音ははじまります。一種のメタ言語なのです。言葉が行きついたその先に始まるものなんです。これがジェルジュの追悼の曲を書く方法で、わたしの方法でもあります。
音楽は一種のメタ言語である。言葉の行きついたその先に始まるもの。。。語りとしての音楽のあり様。死者への追悼の音楽。身近な人々、生きている、死んでしまった友人たち、親族へ贈る、あるいは語りかける音楽。それは境界を超えていく音楽。これらのことは、ホリガーが、そしてクルターグが、80代、90代と長い人生の最晩年をいま生きていることと関係があるのだろうか。それとも単にそれが元々の彼らの音楽性ということなのか。
この二人が『対話』によって差し出しているものは、静かに、深く衝撃を与える音楽であり、またそれは言葉でもある。『対話』というタイトルに、すべてが収斂し(しゅうれん)ていくように思える。ホリガー、クルターグが音楽をとおして発した悲しみ、痛み、いたわり、喜びが、きらめく幾千もの光線となって、一点に集まっていくように。
CD『Zwiegespräche』(ECM, 2019年5月)
クルターグのドローイング(左)フィリップ・ジャコテの詩(右)