20190830

川久保玲 vs. ゆとり世代 (1)


ゆとり世代、をゆるく主張している人たちがいることを最近知った。大雑把にいうと1980年代後半から2000年にかけて生まれた日本に住む人たちで、ゆとり教育の時代を小中学校で過ごしている。現在の20代、30代前半と思ってだいたい間違いない。

『新・ゆとり論』というすみたたかひろさんの本があって、それを青山ブックセンターのLotus TVで山下店長が紹介していたのをきっかけに、読んでみることにした。話がそれるが、AOYAMA BOOK CHOICEというネットTV(ビデオ)による本の紹介は、とてもいい。選ぶ本もバラエティに富んでいて面白いが、それを紹介するときの山下さんの視点や、紹介の仕方(書店からのPRというより、個人としての感想、アプローチ)に好感がもてる。本屋さんによるこういう本の紹介の仕方、他であまり見たことがない気がする。存続が難しくなっている本屋さんが、本の中身で本を選び、心から勧められるものを広くアピールしているところがいいし、本屋さんが今すべき大事なことの一つだな、と賛成できる。

さてゆとり世代、あるいはゆとり論について。この本は、すみたたかひろさんというフリーの編集者が、自身と同じゆとり世代に属する周りにいる人と話していて、自分たちには共通する「思想のようなもの」があるのかもしれない、と気づいたところから企画がスタートした。中心になる数人と協力者によって本づくりは進められ、クラウドファウンディングを利用して印刷などの資金を集め、ネットとABCのような何店舗かの実店舗で、本を販売をしたようだ。版元は裏表紙にあるYUTORIなのだと思うが、奥付には特に記載はなかった。この本を作って販売するための名前かもしれない。

ゆとり教育、あるいはゆとり世代は、一般的にあまり肯定的に語られることはないそうで、ゆとり教育自体が、今はもう教育の現場から消え去っている。ある意味、失敗だったということなのだろうか。あるいは一時的な実験に過ぎなかったとか。そういう世の中のどちらかというと否定的な見方に対して、自分たちの内にある共通のフィーリング、あるいは生き方のようなものを、それ以外の世代の人々に知らせようというのが本の目的のようだ。この本によると、自分たちには共通のフィーリングのようなものがあるけれど、それを他者に理解してもらうのが結構難しい、行き違いがある、という悩みがあったそうだ。

本はとてもよくできていて、ひと通り読んだ結果、なんとなくボンヤリと「ゆとり」のことが理解できた気がするが、本の中で紹介されているQRコードやURLによる様々な活動グループやネットマガジンを網羅したわけではないので、まだ理解の途上といったところだ。またこの本も含めて、ゆとりの思想は「=実態」のようなもので、従来型の観念的な思想と違って、きっちり的を絞って強く主張する、というやり方ではないので(その方法論こそがゆとり的かもしれないが)、受け手のわかり方も直線的でなくてもいいのかもしれない。

ゆとりの思想の特徴として、何となく感じたのは、現状承認的というか、世の中に対するとき「反論」とか「対抗」とかではなく、それはそれとして認め、だけどそれに自分がハマらなければ違うことをするという態度があるかもしれない。それ以前の世代が、古ければ古いほど、何か主張する際は、自分以前や現状に対して「反」または「否定」から入り、それに対しての違いを言うことで自分の正当性を認めさせようとしてきたとしたら、そこらへんが今のゆとりとは違う。

たとえばゆとりたちは就職試験のとき、普通にリクルートスーツを着て、普通に面接を受け、普通に入社する。リクルートスーツや面接に盾をつくことはない。だけど会社に入ってみて、これは違うぞ、合わないなと感じたら、とりあえず会社を辞めて、それから違うことを考え始める、といったようなことだ。他者のやり方にあれこれ言うことはないが、かといって他者のやり方に縛られることもなく、わが道を行く。これが『新・ゆとり論』を読んで感じたボンヤリとしたイメージ。

そんなとき、たまたまWWDというファッション誌の記事を読んだ。コムデギャルソンの川久保玲のインタビューがあって、それを読んでいて、ゆとりとの違いが(世代的なことだけではないかもしれないが)鮮明になった気がした。川久保玲は1942年生まれの76歳。ゆとりたちとは半世紀のギャップがある。インタビューはアメリカ版のWWDからの翻訳で、「コムデギャルソンの50年」というタイトルだった。ここでまた話が脇にそれるが、このインタビュー、アメリカ版なので英語によるものがオリジナルだが、川久保玲は日本語で語り、それを夫でビジネスパートナーでもあるエイドリアン・ジョフィ(南アフリカ出身のイギリス人)が通訳していた。ジョフィは若い頃から日本語とチベット語に通じているらしい。川久保玲は言ったことが正確に訳されることに神経を使っていたようで、WWD日本語版の訳も、しゃべり言葉のニュアンスは一切つけず、「、、、、した。」「、、、、だった。」といった調子で、最初はなんだこれと思ったが、まあ、すぐに慣れた。

このインタビューの中で、川久保玲が言っていたことで、昔の(ヨーロッパの)ファッション業界には、少数ながらクリエイションを理解している素晴らしい人々がいて、今までに見たことのないものを作ることに挑戦していたが、現在はもうそういう人はいない、という話があった。インタビュアーがなぜ今はいないのか、という質問をすると、おそらくSNSの広がりとリスクを恐れるからではないか、と答えている。また「クリエイションの探求がなければ、人類の進歩はあり得ない」と語っていたことも印象的だった。

何が印象的だったかと言えば、「人類の進歩」ということへの強い肯定感だ。そのこととクリエイションの探求がつながっている。今まで見たこともないようなものを生み出すことがクリエイションの意味であり、それによって人類は進歩する。そう言ってるわけだ。

また川久保玲は、自分に対するレッテルを拒否しているが、「パンク」だけは認めているらしい。「パンクは一つの精神であり、生き方」と語っている、とイギリスの新聞Gurdianの日本語訳の記事にあった。ストリートファッションなど今人気のイージーファッションには怒りを感じている、とも。そういうものは「因襲を打破するとは言えない」そうで「まったく反逆的ではなく」、ファッションが気軽だと、人はものを考えなくなり進歩が生まれない、これはファッション以外のことにも言える、と答えていた。

こういった発言は、もしかしたら「ゆとりの思想」と出会う前だったら、スルッと通過してしまったかもしれないもの。しかし「ゆとり」後に読むと、どこか違和感がわいてくる。人類の進歩への肯定感、過去を否定し先に進むことへの強い思い。確かに人類はもっと先に進んでいけるし、これまでもそうやって進歩してきた、というのはある意味事実かもしれない。ただ、現時点の感覚でいうと、それがこの先の人類にとっての一番の目標になるのかどうかは不確定事項に思える。科学でも、テクノロジーでも、世界経済でも、メインストリームの見方ということで言えば、そういう部分は確かにあるとしても。

『新・ゆとり論』にはサブタイトルがあって、「思想でつながり、ゆるく生きる若者たち」とある。また扉を開いたところには「そうだ、われわれはどこまでも下から行こう。庄屋には庄屋のみちがあろう。夜明け前、島崎藤村」という言葉があった。川久保玲の考えや言葉と比べると、それぞれが直接的に対抗しているわけではないものの、この二者には大きなギャップがあることが感じられる。

ゆとりたちにとっては、反逆や因襲への打破ではなく、つまり前世代から引き継いでいるものに反抗することなく、わが道を行くことが「思想」ということになるのだろうか。

たとえば『新・ゆとり論』の中の「結婚、恋愛、家族の自由化」という項で、「結婚式に自由を」というツイッターのハッシュタグが、去年、話題になったことがあげられていた。自由なウェディング提案をするある企業が火つけ役となって、既存の結婚式への議論が起きたそうだ。え、今ごろ、まだ、そんなことを??? とは思うものの、(どこまでも下から行こう、であれば)現実の世界では既存の結婚式が羽振りを利かせている、ということなのだろうし、なんか違うよね、と思う者たちが、式場ありきのプランではない自由なプラン、たとえばフェスのような自由参加型とか、クラウドファウンディングで結婚資金を集めたり、といったアイディアを新しい考えとして受け入れ、賛同していても不思議はない。同性同士の結婚式も、自由なプランの中では違和感なくできそうだ。

また本の中で、「平成最後」とか「平成ラストサマー」「平成が終わルンです」といったワードやイベントが積極的、肯定的、ある種の熱狂として使われていて、そもそもこの本も、平成が終わるまでに出版するというミッションの元に企画が進んだようなのだ。それはゆとり世代が、平成の始まるあたりで生まれているため、自分たちは平成の子、という意識があるからだろう。その意識や感覚については、当事者ではないので何とも言えない。こういった既存の日本式年号に対しても、不合理とか、古くさいとか、恥ずかしいとか言わずに、スルリと受け入れている。これもゆとり世代なのかな、と思う。
(次回につづく)



20190810

SNS時代の「クラシック」演奏家とは


日本にはクラシック音楽のリスナーはいるのか、といえば、確かに数は少ないだろうし、iTunesでもSpotifyでもメインストリームにいるのはポップス系と決まっている(ストアのトップ画面に何が表示されるか見ればわかる)。しかし聴く人が全くいないというわけでもないし、いた場合はそれなりに熱心なファンかもしれない。

友人の話では、アメリカでもクラシックのCDやDVDの売り上げは下がる一方とのこと。ただアメリカの話でびっくりしたのは、普通の総合大学(私立でも公立でも)のそれなりの数に、優れた音楽学校があるということ。たとえばノースウェスタン大学(イリノイ州)には、施設も含め立派な、世界的に知られる音楽学院があるそうだ。日本にはそんな大学は多分ない。それで思ったのは、そこを卒業した学生たちが世の中に出れば、たとえ音楽家にならなくとも、音楽を知り、愛する聴衆にはなるはず、ということ。そんなアメリカでも、クラシック人気は落ち目だという。

クラシックと言っても、その幅は広い。時代を見ただけでも、グレゴリオ聖歌の時代から現代まで1000年という時の流れを含んでいる。日本で聞かれているクラシックの時代は、一般的にいえば、18~19世紀ではないかと思う。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、、、といった作曲家たちの音楽だ。バロック時代の音楽は、喫茶店があったりもして、まだ聞かれている可能性はあるが、20世紀以降となると「何それ?」の世界かもしれない。

今月初めにアメリカの現代音楽の作曲家スティーヴ・ライヒのインタビュー集を出版した。ウェブですでに連載していたものの中の一つで、人気や知名度が高く、文章量も多く(2回のインタビューで50000字超え)、内容も刺激的だという理由で、ライヒのみを取り上げて本に仕立てた。どれくらいの人が、どんな人々が興味を持ってくれるのか、まだわからない。しかし発売のお知らせメールを出したところ、いくつかのインディペンデント系の本屋さんから問い合わせがあったので、うーん、やはりスティーヴ・ライヒの影響力は今もありか、と嬉しかった。

最近、クラシックの演奏家で、面白いなと思う発見が二つほどあった。名前を言えば、知っている人は、あ~~、アノヒトかー、となるような人気音楽家だ。一つはラン・ランという中国出身のピアニスト、もう一方はユッセン兄弟というオランダのピアノ・デュオ。両方とも、世の中への顔の出し方、聴衆とのコミュニケーションの取り方、音楽との向き合い方、という点で、面白いと思ったし、もしかしたら新型の(21世紀型の)クラシック演奏家と言えるのではないかと感じた。

ラン・ランの方は、実は最近までよく知らなかった。北京オリンピックの開会式でピアノを弾いていた、と聞いて、ああそう言えばそんな人がいた気がする、という程度だった。1982年生まれの37歳、17歳のときアメリカでデビューし、以降世界的な人気を保っていると言う。最初に演奏を聴いたとき(YouTubeだったか)は、特別な感想は持たなかった。どちらかと言うと、演奏にちょっと味を付けすぎか?という、やや否定的な印象だったかもしれない。自分の好みではないな、と。

その印象が変わったのは、何人かの人との連弾を聴いたときだ。最初に聴いたのがバレンボイムだったか。アルゼンチン出身の世界的名声をもつ指揮者でピアニストだ。次にエッシェンバッハ(ドイツ出身のピアニスト、指揮者)との連弾を聴いた。またユッセン兄弟のルーカス(兄の方)がまだ小さかったとき、公開の場でラン・ランと連弾しているのだが、それも聴いた(見た)。すべてに通じる印象は、ラン・ランというピアニストは、自分個人のために演奏しているのではないのでは、ということ。人と共に音楽を楽しむこと、共演者と、聴衆とその場をその時間を共有する、それがこの人の最大の音楽をやる目的なのでは、という風に見えた。そのことが連弾の演奏風景によく現れていた。ラン・ランは連弾が好きなようだ。

最初に見た演奏で感じた、味を付けすぎかという印象は、連弾の場ではまったくなかった。プリモ(高い音域の担当)を弾いているときも、セコンド(低い方)のときも、偉大な演奏家が相手でも、小さな天才とでも、ある意味控えめというか、正しく音楽的で、サポーティブな演奏に徹していて、それでいて自分も最大限に音楽を楽しんでいる、そういう演奏に見えた。連弾の相手が気持ちよく演奏できること、それによって素晴らしい音楽を生むことが可能になり、聴衆とそれを共有できる、ラン・ランの演奏はそういう方向のものに見えた。音楽にとって、これほどクリエイティブなことはない。音楽とは、その発生の起源を考えれば、人が集まって歌い、楽しみ、その時間や空間を共有することだからだ。

連弾を見たあと、ラン・ランの演奏をアルバムやYouTubeでさらに聴き、BBC制作のドキュメンタリーやラン・ランの自伝も読んでみた。そこで感じたのは、この人は、音楽というものを自分だけのものにしていない、という感覚だ。聴衆や周囲の人々への自分の開き方に、音楽家というだけでなく、全人間的な広がりを感じさせるものがある。世界中至るところ、様々な場所に出没し、たとえば川の中州のようなところに設えられた舞台に、ボートに乗って登場したり、白いコート姿で演奏したり、エンターテイナーという言い方ができるかもしれないが、わたしはむしろコミュニケーターと言った方が近いのではないかと思った。音楽と人を、人と人を結ぶ、という意味で。

ラン・ランは小さな頃からピアノをずっと弾いてきて、10代で中国国内だけでなく、アメリカやヨーロッパでも知られる演奏家になった。中国にはもう一人、同じ1982年生まれの世界的なピアニストがいる。それはユンディ・リで、18歳のとき、最年少でショパン国際ピアノコンクールで優勝した。ラン・ランの方は、13歳のときに子どものための国際コンクールで優勝しているが、その後アメリカに渡り、17歳でオーケストラとのデビューを果たしている。アメリカで指導を受けていた教師の考えから、コンクールには参加しないという方針だったようだ。

その教師は、コンクールに参加することは考えを偏らせ、エネルギーを賞を取ることのみに向かわせてしまう、そうではなく音楽を理解する過程が大事、コンサートのブッキング・エージェントと会い、オーケストラと共演する代奏者に登録した方がいいと勧めた。要するにコンクールへの参加も、世に出るための一つの方法論に過ぎないということだろう。近年、中国、韓国、日本といったアジア系の参加者で多くが占められる国際ピアノ・コンクールだが、その意味は、アジア系のピアニストは、ヨーロッパやアメリカに活躍するための土壌を持っていないので、世界デビューが難しいからだ。名のある国際コンクールで優勝するのが、最大の実力の保証になり、その後活躍するための確かで最も近い道になる、ということだろう。もちろん優勝は難しいことではあるが。

14歳でアメリカに渡っていたラン・ランは、そこで多くの師や知己をすでに得ていた。代奏者の登録をしてしばらくして(もちろんリストの何番目に登録されるかなど、周囲の実力者からの推薦や評判などが重要になり、上位に置かれるのは簡単なことではない)、著名なピアニストが急病になり、アメリカBig 5の一つ、シカゴ交響楽団との共演という申し分のないチャンスが巡ってきた。そのとき17歳。その演奏が高く評価され、その後数々の有名オーケストラとの共演が舞い込んできた。結果的に、コンクールへの参加は、ラン・ランにとってまったく無用なものとなった。

ネットなどのラン・ランへの(日本語での)評価、評判として、ユンディ・リはショパン国際で優勝しているから実力は本物だが、ラン・ランは子どもの頃の優勝だけだから、力のほどは、、、という意見もあるようだった。が、コンクールの持つ意味や、どのようにキャリアを積むかの複数の選択肢を知れば、そういう見方はあまり意味がないことがわかるだろう。

ラン・ラン自身は、むしろコンクール好きで、子ども時代から名だたるコンクールを制覇したい、しまくりたい欲望はもっていたようだが、結果としては、そして現在の演奏を見ていると、そうではないキャリアの積み方をしたのは正しかったように思える。

ラン・ランはNBAのバスケットボールやサッカーが大好き、と自伝にあった。W杯などの決勝を見て大興奮している、と。スポーツの世界の様々な試合は、エンターテインメントの極致とも言える。そのように仕組まれているし、実際、プレイしている側と見ている側が、最高潮に上りつめる時間、空間を共有する。そういうものを見て、素晴らしいと思い、応援し、興奮し、感動し、喜んだり悲しんだりする、という感覚は、ラン・ランがコンサートで聴衆の前に立つとき、何らかの形で影響しているのではないか。こんなことを自分も起こしたい、と。

アメリカでのティーンエイジャー時代、ラン・ランは音楽の勉強の他に、普通の高校にも行っていた。そこで体験したアメリカ文化、ティーンエイジャーのストリート・カルチャー、ヒップホップやラップなどの音楽、そういったものに夢中になり、大いに影響を受けたようだ。今の時代を生きるアーティストとして、当然のことだと思うし、それが自分の音楽世界にも、リアルと広がりをもたらすはずだ。

このようなことは、次に紹介するユッセン兄弟にも言えると思う。ルーカス・ユッセン(1993年生まれ)、アルトゥール・ユッセン(1996年生まれ)は、オランダのピアノ・デュオ。NHKの「スーパーピアノレッスン」に子ども時代に登場し、日本でもピアノ好きの人の間では、ある程度知られていると思われる。2008年(放送時)のことでルーカスが15歳、アルトゥールが12歳のときだった。このレッスンはポルトガルのピアニスト、マリア・ジョアン・ピレシュによるもので、場所はピレシュが当時住んでいたサルバドール(ブラジル)にある「オオハシの巣」を意味する素敵なスタジオ。ブラジルの民芸的な布や調度品でしつらえられた開放的な空間で、集まった10代の生徒たちは、バミューダにTシャツ、足は裸足かビーチサンダルといったクラシック音楽には「ふさわしくない」カジュアルさで、それがまた素敵だった。部屋は木の床で、先生のピレシュも、バカンスにでも来ているような涼しげなドレスに裸足だった。

当時のユッセン兄弟は、どちらかというと体が小さめなのか、年齢から見るとやや幼い感じで、可愛らしいという印象が強かった。集まった生徒たちの中では、年齢が低い方だったかもしれない。しかしその中で、子どもながら素晴らしい集中力で、ピレシュ先生のレッスンを真正面から受け止めていて好感がもてた。その後、しばらく兄弟のことはまったく知らなかった。数年前に、二人でデュオを組んで演奏活動をしているらしいということを、ネットで見て知った。確かプロモーション用の写真で、一人がグランドピアノの下に寝そべって、手を伸ばして鍵盤に乗せていて、もう一人がピアノの蓋の上に腹ばいになっている(おー、ノー、ピアノの上に乗っちゃいけません!)、というようなちょっと面白いものだったと思う。

ああ、ピアニストとして活動しているのだな、とは思ったが、それ以上に関心をもつことはなかった。それが最近になって、何がきっかけだったか、、、多分、作曲家のクルターグ夫妻(80代後半:2012年当時)の演奏を見てから、連弾に興味をもつようになって、その流れでYouTubeで久々に兄弟の演奏を聴いたのだと思う。

最初に聴いたのが、シューベルトの『幻想曲ヘ短調』。実はこの曲は、別の演奏家(ロシア人の親子)の連弾を聴いていて、それがあまりに素晴らしかったので、他の演奏家のものを聞いてみようとしたら、ユッセン兄弟と出会った。ユッセン兄弟のシューベルトは、ロシア人親子のピアニストの端正な感じとは少し違い、ややロマンチックで、でも熱のこもったよい演奏だった。

彼らが素晴らしい成長を遂げ、デュオとして、音楽家として世に出ていることを嬉しく思った。そこでさらに演奏を聴いてみようと、YouTubeのリストを見ていたら、ストラヴィンスキーの『春の祭典』があった。へぇ、ストラヴィンスキーを弾くんだな、という軽い興味から聞いてみた。『春の祭典』はストラヴィンスキーの代表曲とも言える楽曲で、オリジナルはオーケストラ、そしてバレエ音楽でもある。不協和音や変拍子など、当時(20世紀初頭)の音楽の常識を覆すものだったと言われ、初演の際、聴衆が騒ぎ出したことでも知られている。ピアノ連弾版は、作曲の直後にストラヴィンスキー自身によって編曲されたもので、もしかしたら、バレエ団の練習、リハーサル用だったのかもしれない。

この『春の祭典』をユッセン兄弟のピアノ連弾で聴いた。実はこの曲、部分的には知っていて、舞台の映像も少し見たことはあったものの、全曲を通して聞いたことはなかった。兄のルーカスがプリモ(高い音域)、弟のアルトゥールがセコンド(低い方)を弾いていたのが、やや意外だったが、聞いていてこの選択は正しいのでは、と思った。通常、セコンドは連弾において全体をコントロールする役目があるので、年長の者、あるいは経験のある方が担当すると聞いている。しかし『春の祭典』では必ずしもそれが当てはまらないかもしれないし、またプリモの方がある意味、全体を引っ張っていくようにも(ルーカスの演奏を聴いていて)思った。

わたしの印象では、兄のルーカスは知的で主張のある演奏、弟のアルトゥールは音楽の中に深くはまって、音楽と同調していくようなタイプに見えた。だから『春の祭典』の最初の右手のみで語られる、フォークロア調の不思議な、そして印象深いメロディーがルーカスによって弾かれたとき、二人の分担は正しいのだろうと推測した。そして第2曲の「春の前兆」が始まった。不協和音に聞こえる和音の激しく、どう猛な連打で、この部分はセコンドが担当するが、アルトゥールは催眠術にかかったかのように弾き通した。そこに乗るルーカスのプリモの単旋律も激しく、シャープで印象的だった。

結局、この曲を一気に終わりまで聴き通したわけだが(全篇30分くらい)、なかなか熱のこもった、感動的といっていい演奏で、『春の祭典』という曲に対しても、ユッセン兄弟に対しても、強い印象が残った。その後、中毒症状のように、この演奏を聴き直してもいる。

ストラヴィンスキーの演奏で、好印象をもったので、ユッセン兄弟についていろいろ調べてみることにした。彼らのウェブサイトに行って最近の活動状況を見たり、Spotifyで出ているアルバムをチェックしたり。その中で、この兄弟の演奏家としての活動の仕方に、その特徴に気づいたところがある。まず面白いなと思ったのが、サン=サーンスの『動物の謝肉祭』の録音。この曲は確かにピアニスト2人が必要ではあるが、オリジナルは室内楽(オーケストラ版もある)で、全14曲からなる組曲だがピアノがいつも主役ではない。最初、兄弟がまだ10代だった初期の録音かなと思った。こういった楽曲で、他の楽器との共演に慣れるといった。しかしそうではなかった。2017年に出た、彼らのアルバムでは最新のものだった。

なぜこのフランス人作曲家のこの組曲を録音したのだろう。確かにプーランクやフォーレなど、フランスものの連弾曲はいくつか録音しているようだった。でも。。。『動物の謝肉祭』は、子どもたちが楽しんで聞く曲でもあり、音楽に関心のない人でも、聞いたことがあるだろう「白鳥」など有名な曲が含まれている。コンサートとの関係があったとか、レコード会社の企画であるとか、こちらのあずかり知らない理由があったのかもしれない。

全曲を聴いてみたところ、演奏はとてもいい。素晴らしくいい、と言ってもいい。共演はロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、オランダのオーケストラだ。このオーケストラの演奏もよかった。ユーモアがあって、センスを感じさせる演奏。第9曲「カッコウ」では、カッコウの鳴き方(クラリネット)に笑ってしまった。ピアノもうまくハマっている。全体として、ユッセン兄弟はこの組曲をとても魅力的に演奏していると思った。

そう言えば、ラン・ランも最近、『Piano Book』というタイトルの子どもたちが練習や発表会で弾くような楽曲ばかり集めたアルバムを出している。ニューヨークの小さなライブ劇場で、司会者の問いの答えて、左手を痛めて1年間休業していたこと、だから今は「生まれたての赤ん坊の気持ちなんだ」というようなことを話していた。それで初心に戻って、子どもの楽曲を集めたアルバムなのだろうか。「エリーゼのために」「きらきら星変奏曲」「紡ぎ歌」「楽興の時」「バッハのト長調のメヌエット」といったピアノを習ったことのある子どもなら誰もが知り、いくつかは弾いたことあるだろう曲ばかり。

通常、クラシックの演奏家は、長いキャリアの中で何を弾いていくかの目標をもったり、それぞれの演奏会で、プログラムに何を入れるかをよくよく考えていると思う。それは演奏家としての大事な表現法だと思うし、世の中に自分を印象づける意味でも重要と思われる。ユッセン兄弟とラン・ランも、もちろんそうしているだろう。だけど、彼らはどこかそれ以外の理由でも、楽曲を選んでいるような気がするのだ。まったくの思い込みに過ぎないのかもしれないが。

ユッセン兄弟のルースカスは小さな頃、最初にplayしたのはピアノではなくサッカーだったと、あるところで語っていた。サッカーに夢中になり、自国のチーム(オランダ)のファンになって、試合前に歌われる国歌が大好きになった。それをピアノで弾いてみたくて、その方法を母親から習った。それがピアノとの出会いだったという。

ユッセン兄弟は、アムステルダムの運河で毎年行なわれるPrinsengrachtconcertという野外コンサートに、去年参加して、アムステルダムにまつわる歌や曲のメドレーをたくさんの市民の前で披露した。アムステルダム市のアンセムなど、みんなのよく知る曲を兄弟が、みなさんわかるでしょう、というように楽しげに弾きはじめると、ワァオ~の歓声があがり、聴衆は手を打ち鳴らし、旗を振り、からだを揺すり、抱き合って踊り、ピアノに声を合わせていた。素晴らしい「共演」の場となり、忘れられない特別なコンサートになったと、ユッセン兄弟もインタビューに答えていた。

実情を知っているわけではないので、すべて想像に過ぎないことではあるけれど、ラン・ランも、ユッセン兄弟も、こういった人々と音楽を共有するという楽しみ抜きには、自分たちの音楽は語れない、そう考えているのではないか。音楽をやる意味、音楽のもつ力、それは自分がただ良い演奏をすれば出るというものではない、そんな風に考えているように見えるのだ。

インタープレター(演奏家)というよりエンターテイナー、あるいはコミュニケーター、この2組の演奏家には、そういうものを強く感じる。



Amsterdam Medley/Aan de Amsterdamse grachten - Lucas en Arthur Jussen - Prinsengrachtconcert 2018