音楽の未来:ストリーミングとLP(1)
3月22日のポスト「本のプロフィール、そして未来」で本の過去と未来を書く中で、音楽の聞き方の変遷について触れた。その後、また音楽の聴取に関して新たな体験をしたので、今回は音楽の未来について書いてみたいと思う。
前置きというか、本題に入る前に新たな体験に至る過程の話を少し書きたい。関連しあう一つのことであり、ゆるやかな繋がりがあるように思えるからだ。
最近ある一人の音楽家についての本に端を発した、新たな発見をした。その音楽家とはアルヴォ・ペルトという作曲家(エストニア、1935年〜)で、現代クラシック音楽のジャンルで長く作曲活動をしており、世界的に知られている人である。映画音楽などへの引用やジャンルを超えて各種のアレンジが非常に多い作曲家なので、名前は知らなくとも音楽を聴いたことがある人はそれなりにいるかもしれない。エストニアの生まれだが、作曲家として活動の初期に、当時エストニアがその支配下にあったソビエト共産党やその元にある作曲家協会から、作品のせいで疎まれ、排除される経験をした。それで1980年、ペルトは家族とともにウィーンに逃れ、その後ドイツに渡って音楽活動を再開した。ソビエト崩壊後、家族とともにエストニアに戻っている。
ペルトは共産党による抑圧のあとの長い沈黙期を経て、ティンティナブリという独自の音楽スタイルを生み出し、それが世界的に受け入れられるきっかけとなった。ティンティナブリとはベル(鐘、鈴)の意味で、究極の静寂の中、非常に高い音域で少ない音数が鳴らされる音楽。ペルトの音楽では、「静寂」が重要なキーワードとなる。
わたし自身が最初にペルトの音楽を聴いたのは、『Spiegel im Spiegel(鏡の中の鏡)』という曲で、最初の1、2小節を聞いただけで音楽のもつ強い個性に捉えられた。その精神性や神学との関係から、スピリチュアル系の音楽として受けとめられ、魅了される人も多いようだが、わたし自身は少し違う感じ方をしている。それが何かを言うのは難しいが、たとえば「音楽のはじまり、最初の泉」あるいは「音楽の芽、純粋な何か」というような表現が近いかもしれない。
こういったペルトの音楽性に加え、たくさんのミュージシャンや映像作家から、彼の音楽が引用されているという事実、その広がりの大きさ、このこととこれから書こうとしている新たな音楽の聴き方やそのプラットフォームとは、どこか関係しているように思えるのだ。
ペルトの音楽に興味をもったことで、最初にしたことは、『Spiegel im Spiegel』と『Für Alina』の楽譜を買うことだった。あのティンティナブリの音響を自分の手でピアノで響かせてみたかった。ここで一つ大きな発見があった。『Für Alina』に収録されている(病後の娘のために書いたとされる)もう一つの曲は、ごく短い変奏曲で、主題はたった17小節からなり、弾くのは右手のみ。単音だけのメロディ。左手は最初に低音部記号のミラドミの和音を押さえるが音は出さない。ペダルは踏まない。踏まないが和音を押さえることでそこが開放弦になり、ペダルと似た効果が生まれる。
この奏法によって生まれるピアノの音響、それがわたしにとって経験のない耳体験になった。ある和音一つを開放弦にすることで、そしてその状態で高い音域の音を単音で乗せて響かせることで生まれる絶大な効果。ミラドミの和音は音を出してないので、表面上は「ない」音であるが、その上に音を乗せていくことで、弦に共鳴が起こり、うなり音のような残響のようなものが生まれる。それが最後にペダルを放すまでつづく。
普段あまり気にしていないピアノという楽器の秘密を覗いた気分だった。これまで楽器の構造やそれによって生み出される音響効果に、かなり無頓着だったことを思い知らされた。
わたしは普段、日本では手に入らない楽譜は、Sheet Musicというネットの楽譜屋で買っている。そこで注文した今回の楽譜は、ペルトの作品を昔から扱っているUE(Universal Edition)という出版社のものだった。真っ白な表紙に、タイトル文字と作曲家名、版元のみが黒字で記されたシンプルで美しい楽譜だ。この版元UEは、ペルトが1980年にウィーンに逃れたとき、身元を引き受け、作品を扱う権利と引き換えに、ペルトの市民権を取る手伝いをしたところだと知った。
そのことが書いてあったのは、いま読んでいる『The Cambridge Companion to Arvo Pärt 』(2012年、Cambridge University Press)で、これはペルトをよく知る人々(音楽学者や演奏家、ジャーナリストなど)による、ペルトの音楽と人生についての解説書だ。
この本が今回の音楽の新たな体験の出発点になった。
まず最初に出会ったのがBandcampという音楽配信のプラットフォーム。Bandcampは2007年にアメリカで創業、2008年より音楽のダウンロードをしているインディーズ系の音楽配信会社で、実は、以前にもここでダウンロード購入をしたことがあった。だがすっかり忘れていた。それはそのときは、楽曲をBandcampで見つけのではなく、アーティストのサイトで見つけたものを、Bandcampの仕組で買っただけだったからだ。というか、そのときはそこもアーティストのサイト内だと勘違いしていた。
ペルトの楽曲が、ジャンルを超えて広く使用されていることは前述した。ペルトの本の中で、その例として何人かのミュージシャンが紹介され、SoundCloud(音声ファイル共有サービス)がリンクされていた。Kindleで本を読んでいるときに、こういうリンクの参照はとても有効だ。すぐさまリンクをたどっていって、音源から聞くことができる。
残念ながら最初に紹介されていたRafael Anton Irisarri(シアトルのサウンドアーティスト)のSoundCloudは、リンク元に現在音源がなかった。本の出版が2012年だから、その後ミュージシャンが何らかの理由で削除したのだろう。そこでアーティスト名と彼が使用したというペルトの『Für Alina』でGoogle検索したところ、Bandcampのページに行き着いた。そこはIrisarriがBandcamp内にもっている彼専用のページ、アーティストページだった。そして本で参照されていた曲の全編をそこでで聴くことができた! ふとページの左上に目をやるとBandcamp(bandcamp)のロゴ。(その時点ではまだ、以前にここで購入したことを思い出していない)
全編が聴けるというのは素晴らしい。通常のサンプル音源だと1分未満ではないだろうか。ストリーミングで無料で全編聴ける仕組(注:音源購入前は回数に上限があるという話を聞いたが、今のところよくわからない)。そして購入したい場合は、デジタルトラックなりCDなりレコードなりで買うことになる。価格は定価として表示されている場合と、購入者が決める場合があるようだ。購入者が支払い金額を決める方式は、以前にBlizzardというイギリスのサッカー雑誌でも経験している。bandcampの場合は、ストリーミングで全編を聴いたあとで購入するという選択肢がある。もちろんストリーミングで聞くだけで、購入しないという方法もとれる。
購入というのはアーティストへのサポートという考え方のようで、何か買うと自分のアカウントのコレクションページに、そのジャケットが加わる。また楽曲のページには、サポーターのアイコンがずらりと並び、どんな人々がそのアーティストをサポートしているかがわかるようになっている。SNS的な側面があるようだ。楽曲を購入すると、無制限のストリーミングに加え、データのダウンロードができる。ファイル形式は非常にたくさんあって、MP3の他、音質のいい(容量は大きくなるが) FLAC、ALAC、AIFFなど複数の形式から選んでダウンロードできる。音質にこだわる人にとっては大きなメリットになりそうだ。MP3でDLしたあと、この曲は高音質で聴きたいとなれば、FLACで再度DLということも可能なようだ。
インディーズだからできるモデルと言ってしまえばそういう面もあるかもしれない。しかしbandcampにアクセスして、本で紹介されていたペルト関係のアーティストの楽曲を聴いてみたり、bandcampとは何か、というのをわたしなりに理解しようと、サイト内をあっちへ行きこっちへ行きとしていて感じたのは、このプラットフォームでは、ジャズ、ポップスなど通常仕切られている音楽ジャンルは、さほど意味がないのかな、という新鮮な感覚だった。固そうに見える現代音楽やクラシックも、インディーのロックとか、アンビエントとか、ジャズとか、様々なタイプの音楽と「正常に」「健康的に」交錯し、交流し、混じり合っているように見えた。これって音楽のあるべき姿、好ましい姿ではないだろうか、と。わたしにとって、その入り口がアルヴォ・ペルトだったことは偶然ではない気がした。
現代音楽やクラシックの場合、誰それ指揮の〇〇交響楽団演奏の、というメインの入り口がドンとあるように感じられるけれど、それとは全く違う、新たな、アクチュアルな、現行の、今生まれ進行中の、新しいアプローチでクラシック音楽と出会うための入り口が、ここにはありそうに見えた。クラシック音楽において、このような新たなアプローチへの期待はとても大きいのでは、と感じる。たとえばオリジナルはモーツァルトであっても、今までの解釈とはまったく違った、思いもよらぬ演奏やアレンジ、あるいは音楽家と出会えるのではないか、といった期待だ。
大きなレコード会社や売れ筋狙いのレーベルでは難しいアプローチの楽曲も、ここでなら発表の機会がもてる、ということが起きていそうだ。そうであれば、ユニークな音楽家や目新しい楽曲と出会いたい人は、むしろbandcampを探すのが好きな曲に会える近道になるかもしれない。そんなことを考えていたら、商業レーベルからbandcampに移ってくるミュージシャンもいる、という話をWikipedia英語版で読んだ。その中の一人、アマンダ・パーマーというミュージシャンを調べてみたら、非常に面白い人だということがわかった。彼女の音楽をbandcampで探して聴いてみた。
最初に聴いてみたのは、この3月にリリースされたばかりのアルバム『There Will Be No Intermission』。1曲目はごく短いインスト、アルバム全体のイントロだろうか。2曲目の『The Ride』がすごくいい。10分以上ある曲で、オルタナティブ・ロック風、ちょっと演劇っぽくてアンダーグラウンドなムードの変わった曲調、声やサウンドが好みだった。かなりグッドな第一印象で、アーティスト発見という感じ。さらに彼女がやっている他のバンドやデュオも見てみた。ジャスミン・パワーとのディオも面白いし、ジェイソン・ウェブリー(♂)との双子の姉妹という設定のEvelyn Evelynはさらにハマった。奇妙なコンセプトとビジュアル、そしてそれを表す音楽世界。こんなものがフリーでたっぷり聴けるとは。
そこでふとiTunes Storeでもこのアルバムがあるか、調べてみた。あった。ここでは普通に1650円で売っていた。bandcampはというと、1 USD以上で購入者が価格を決められる。そのあと契約しているSpotifyでも検索してみたところ、あった! こちらは定額制の契約なのでアルバム1枚がいくらというわけではない。う〜ん。ここで迷いが生じる。bandcampで購入してアーティストをサポートしたい(そういう表現をしたい)、また自分のコレクションに入れておきたい、という気持ちが湧いてくるのだ。しかしすでにSpotifyに月額の契約料を払っているわけで、買う必要はない。とするとbandcampは新しい音楽と出会うためのプラットフォーム、DLして聴くのはSpotifyということになるのだろうか。あるいはSpotifyやiTunesにない楽曲のみbandcampで買うとか。
bandcampの特徴として興味深かったのは、テキストによる記事が多いこと。フィードページに行けば、自分が登録しているジャンルの音楽の新譜が毎日紹介されている。わたしの場合はクラシック、現代音楽、クンビア(コロンビアのダンスミュージック)、ラテンなど。さらにbandcamp dailyのページでは、様々なジャンルの音楽が毎日紹介されている。テキストもたっぷり、音源もたっぷりで、ここでもディープな出会いができそう。そもそもiTunesやSpotifyでは、楽曲の内容がよくわかないことが多い。アーティストとされているのが作曲家なのか演奏家なのか判明しないこともしばしば。ただ音を聴くだけ、という感じで不満があった。聞き流す人のためにしか音楽を配信していない感じだ。そこがbandcampはまるで違っていて、本当に音楽が好きで、ある楽曲に心から惹かれていてそれについてよく知りたい人、アーティストの活動やプロジェクトについても知りたい人を満足させる。またどの楽曲も(歌がある場合)、歌詞をテキストで表示できる。これらのことは、アーティストと深く関係をもちサポートする、というコンセプトから来ているのではないか。
もう一つ面白いと思ったのは、ストリーミングで自由に試聴させつつ、デジタル版購入の他、CDやvinylと呼ばれるLPの販売も同時にしていること。最近のdailyでは、アーティストやレーベルがLPをbandcampで作れるシステムを紹介していた。CDさえ消滅しそうなのに、いまどきLPかと思うかもしれないが、これがどうもそうでもなさそうで、実はこのあと書こうと思っているECMというミュンヘンのレーベルのアルバムを見ていて、欲しい!かも?と思ってしまったのだ。
ここまででかなり長い文章になってしまったので、ECMやvinylについては次回書こうと思っている。その前に、bandcampのことでいくつか補足を。bandcampへの参加の仕方には三つの方法がある。登録しようとすると、ポップアップウィンドウで三つのカテゴリーが提示され、その中から一つ選ぶよう指示される。「ファンとして」「アーティストとして」「レーベルとして」の三つだ。わたしは「ファンとして」を選んだが、一瞬、その他の選択の可能性を考えてしまった。もし音楽を、人に聞かせたい音楽をやっていたら、、、そのときは何を選ぶだろう、と。(ところでbandcampのサイトは英語が基本だが、日本語とフランス語も選べるようになっている。しかしそれは部分的であり、日本語を選択した場合も、サイトの多くは英語が使われている。dailyなどのニュースもそうだし、アーティストのページもそう、サポーターのコメントも。日本語で楽曲の感想を書くことは可能かもしれない。が、日本語が読める人でないと、アーティスト自身も含め、読めないことになるけれど)
「ファンとして」を選んだ場合、ここで音楽を聴いたり、購入したり、好きなミュージシャンをフォローしたり、同じ嗜好を持つファンを知ったり、といったことができる。「アーティストとして」登録した場合は、自分の音楽を聴き手やファンに直接売ることができ(bandcampの取り分は10〜15%)、価格の付け方などすべて自分でコントロールでき、購入者のデータや売れている楽曲のリアルタイムのスタッツ、各種レポートなども閲覧できるようだ。またクラウドファウンディングの機能も備えているらしい。アーティストがファンの資金を集めて、新曲をリリースするという流れは、ここではサポーターのベースがあるだけにスムーズにいきそうだ。
「レーベル」での登録は、アーティストを抱える組織のためのもので、こちらは有料。アーティスト15人までが月20米ドル、50ドルだと無制限とあった。ビジネスの知識のない人も、レーベルを簡単に立ち上げることができるということだろうか。
次回はミュンヘンのECMやvinyl(レコード)について書いてみたい。このECM Recordsというのも、アルヴォ・ペルトの本からのリンクである。楽譜のUEとともに、ペルトの音楽を語るのに欠かせないピースの一つらしい。アルヴォ・ペルトの音楽に出会ったこと、彼についての本を読みはじめたこと、そこから様々な音楽世界(クラシックに限らない)へとリンケージしていったこと、このすべてをとても幸運に思っている。
前置きというか、本題に入る前に新たな体験に至る過程の話を少し書きたい。関連しあう一つのことであり、ゆるやかな繋がりがあるように思えるからだ。
最近ある一人の音楽家についての本に端を発した、新たな発見をした。その音楽家とはアルヴォ・ペルトという作曲家(エストニア、1935年〜)で、現代クラシック音楽のジャンルで長く作曲活動をしており、世界的に知られている人である。映画音楽などへの引用やジャンルを超えて各種のアレンジが非常に多い作曲家なので、名前は知らなくとも音楽を聴いたことがある人はそれなりにいるかもしれない。エストニアの生まれだが、作曲家として活動の初期に、当時エストニアがその支配下にあったソビエト共産党やその元にある作曲家協会から、作品のせいで疎まれ、排除される経験をした。それで1980年、ペルトは家族とともにウィーンに逃れ、その後ドイツに渡って音楽活動を再開した。ソビエト崩壊後、家族とともにエストニアに戻っている。
ペルトは共産党による抑圧のあとの長い沈黙期を経て、ティンティナブリという独自の音楽スタイルを生み出し、それが世界的に受け入れられるきっかけとなった。ティンティナブリとはベル(鐘、鈴)の意味で、究極の静寂の中、非常に高い音域で少ない音数が鳴らされる音楽。ペルトの音楽では、「静寂」が重要なキーワードとなる。
わたし自身が最初にペルトの音楽を聴いたのは、『Spiegel im Spiegel(鏡の中の鏡)』という曲で、最初の1、2小節を聞いただけで音楽のもつ強い個性に捉えられた。その精神性や神学との関係から、スピリチュアル系の音楽として受けとめられ、魅了される人も多いようだが、わたし自身は少し違う感じ方をしている。それが何かを言うのは難しいが、たとえば「音楽のはじまり、最初の泉」あるいは「音楽の芽、純粋な何か」というような表現が近いかもしれない。
こういったペルトの音楽性に加え、たくさんのミュージシャンや映像作家から、彼の音楽が引用されているという事実、その広がりの大きさ、このこととこれから書こうとしている新たな音楽の聴き方やそのプラットフォームとは、どこか関係しているように思えるのだ。
ペルトの音楽に興味をもったことで、最初にしたことは、『Spiegel im Spiegel』と『Für Alina』の楽譜を買うことだった。あのティンティナブリの音響を自分の手でピアノで響かせてみたかった。ここで一つ大きな発見があった。『Für Alina』に収録されている(病後の娘のために書いたとされる)もう一つの曲は、ごく短い変奏曲で、主題はたった17小節からなり、弾くのは右手のみ。単音だけのメロディ。左手は最初に低音部記号のミラドミの和音を押さえるが音は出さない。ペダルは踏まない。踏まないが和音を押さえることでそこが開放弦になり、ペダルと似た効果が生まれる。
この奏法によって生まれるピアノの音響、それがわたしにとって経験のない耳体験になった。ある和音一つを開放弦にすることで、そしてその状態で高い音域の音を単音で乗せて響かせることで生まれる絶大な効果。ミラドミの和音は音を出してないので、表面上は「ない」音であるが、その上に音を乗せていくことで、弦に共鳴が起こり、うなり音のような残響のようなものが生まれる。それが最後にペダルを放すまでつづく。
普段あまり気にしていないピアノという楽器の秘密を覗いた気分だった。これまで楽器の構造やそれによって生み出される音響効果に、かなり無頓着だったことを思い知らされた。
わたしは普段、日本では手に入らない楽譜は、Sheet Musicというネットの楽譜屋で買っている。そこで注文した今回の楽譜は、ペルトの作品を昔から扱っているUE(Universal Edition)という出版社のものだった。真っ白な表紙に、タイトル文字と作曲家名、版元のみが黒字で記されたシンプルで美しい楽譜だ。この版元UEは、ペルトが1980年にウィーンに逃れたとき、身元を引き受け、作品を扱う権利と引き換えに、ペルトの市民権を取る手伝いをしたところだと知った。
そのことが書いてあったのは、いま読んでいる『The Cambridge Companion to Arvo Pärt 』(2012年、Cambridge University Press)で、これはペルトをよく知る人々(音楽学者や演奏家、ジャーナリストなど)による、ペルトの音楽と人生についての解説書だ。
この本が今回の音楽の新たな体験の出発点になった。
まず最初に出会ったのがBandcampという音楽配信のプラットフォーム。Bandcampは2007年にアメリカで創業、2008年より音楽のダウンロードをしているインディーズ系の音楽配信会社で、実は、以前にもここでダウンロード購入をしたことがあった。だがすっかり忘れていた。それはそのときは、楽曲をBandcampで見つけのではなく、アーティストのサイトで見つけたものを、Bandcampの仕組で買っただけだったからだ。というか、そのときはそこもアーティストのサイト内だと勘違いしていた。
ペルトの楽曲が、ジャンルを超えて広く使用されていることは前述した。ペルトの本の中で、その例として何人かのミュージシャンが紹介され、SoundCloud(音声ファイル共有サービス)がリンクされていた。Kindleで本を読んでいるときに、こういうリンクの参照はとても有効だ。すぐさまリンクをたどっていって、音源から聞くことができる。
残念ながら最初に紹介されていたRafael Anton Irisarri(シアトルのサウンドアーティスト)のSoundCloudは、リンク元に現在音源がなかった。本の出版が2012年だから、その後ミュージシャンが何らかの理由で削除したのだろう。そこでアーティスト名と彼が使用したというペルトの『Für Alina』でGoogle検索したところ、Bandcampのページに行き着いた。そこはIrisarriがBandcamp内にもっている彼専用のページ、アーティストページだった。そして本で参照されていた曲の全編をそこでで聴くことができた! ふとページの左上に目をやるとBandcamp(bandcamp)のロゴ。(その時点ではまだ、以前にここで購入したことを思い出していない)
全編が聴けるというのは素晴らしい。通常のサンプル音源だと1分未満ではないだろうか。ストリーミングで無料で全編聴ける仕組(注:音源購入前は回数に上限があるという話を聞いたが、今のところよくわからない)。そして購入したい場合は、デジタルトラックなりCDなりレコードなりで買うことになる。価格は定価として表示されている場合と、購入者が決める場合があるようだ。購入者が支払い金額を決める方式は、以前にBlizzardというイギリスのサッカー雑誌でも経験している。bandcampの場合は、ストリーミングで全編を聴いたあとで購入するという選択肢がある。もちろんストリーミングで聞くだけで、購入しないという方法もとれる。
購入というのはアーティストへのサポートという考え方のようで、何か買うと自分のアカウントのコレクションページに、そのジャケットが加わる。また楽曲のページには、サポーターのアイコンがずらりと並び、どんな人々がそのアーティストをサポートしているかがわかるようになっている。SNS的な側面があるようだ。楽曲を購入すると、無制限のストリーミングに加え、データのダウンロードができる。ファイル形式は非常にたくさんあって、MP3の他、音質のいい(容量は大きくなるが) FLAC、ALAC、AIFFなど複数の形式から選んでダウンロードできる。音質にこだわる人にとっては大きなメリットになりそうだ。MP3でDLしたあと、この曲は高音質で聴きたいとなれば、FLACで再度DLということも可能なようだ。
インディーズだからできるモデルと言ってしまえばそういう面もあるかもしれない。しかしbandcampにアクセスして、本で紹介されていたペルト関係のアーティストの楽曲を聴いてみたり、bandcampとは何か、というのをわたしなりに理解しようと、サイト内をあっちへ行きこっちへ行きとしていて感じたのは、このプラットフォームでは、ジャズ、ポップスなど通常仕切られている音楽ジャンルは、さほど意味がないのかな、という新鮮な感覚だった。固そうに見える現代音楽やクラシックも、インディーのロックとか、アンビエントとか、ジャズとか、様々なタイプの音楽と「正常に」「健康的に」交錯し、交流し、混じり合っているように見えた。これって音楽のあるべき姿、好ましい姿ではないだろうか、と。わたしにとって、その入り口がアルヴォ・ペルトだったことは偶然ではない気がした。
現代音楽やクラシックの場合、誰それ指揮の〇〇交響楽団演奏の、というメインの入り口がドンとあるように感じられるけれど、それとは全く違う、新たな、アクチュアルな、現行の、今生まれ進行中の、新しいアプローチでクラシック音楽と出会うための入り口が、ここにはありそうに見えた。クラシック音楽において、このような新たなアプローチへの期待はとても大きいのでは、と感じる。たとえばオリジナルはモーツァルトであっても、今までの解釈とはまったく違った、思いもよらぬ演奏やアレンジ、あるいは音楽家と出会えるのではないか、といった期待だ。
大きなレコード会社や売れ筋狙いのレーベルでは難しいアプローチの楽曲も、ここでなら発表の機会がもてる、ということが起きていそうだ。そうであれば、ユニークな音楽家や目新しい楽曲と出会いたい人は、むしろbandcampを探すのが好きな曲に会える近道になるかもしれない。そんなことを考えていたら、商業レーベルからbandcampに移ってくるミュージシャンもいる、という話をWikipedia英語版で読んだ。その中の一人、アマンダ・パーマーというミュージシャンを調べてみたら、非常に面白い人だということがわかった。彼女の音楽をbandcampで探して聴いてみた。
最初に聴いてみたのは、この3月にリリースされたばかりのアルバム『There Will Be No Intermission』。1曲目はごく短いインスト、アルバム全体のイントロだろうか。2曲目の『The Ride』がすごくいい。10分以上ある曲で、オルタナティブ・ロック風、ちょっと演劇っぽくてアンダーグラウンドなムードの変わった曲調、声やサウンドが好みだった。かなりグッドな第一印象で、アーティスト発見という感じ。さらに彼女がやっている他のバンドやデュオも見てみた。ジャスミン・パワーとのディオも面白いし、ジェイソン・ウェブリー(♂)との双子の姉妹という設定のEvelyn Evelynはさらにハマった。奇妙なコンセプトとビジュアル、そしてそれを表す音楽世界。こんなものがフリーでたっぷり聴けるとは。
そこでふとiTunes Storeでもこのアルバムがあるか、調べてみた。あった。ここでは普通に1650円で売っていた。bandcampはというと、1 USD以上で購入者が価格を決められる。そのあと契約しているSpotifyでも検索してみたところ、あった! こちらは定額制の契約なのでアルバム1枚がいくらというわけではない。う〜ん。ここで迷いが生じる。bandcampで購入してアーティストをサポートしたい(そういう表現をしたい)、また自分のコレクションに入れておきたい、という気持ちが湧いてくるのだ。しかしすでにSpotifyに月額の契約料を払っているわけで、買う必要はない。とするとbandcampは新しい音楽と出会うためのプラットフォーム、DLして聴くのはSpotifyということになるのだろうか。あるいはSpotifyやiTunesにない楽曲のみbandcampで買うとか。
bandcampの特徴として興味深かったのは、テキストによる記事が多いこと。フィードページに行けば、自分が登録しているジャンルの音楽の新譜が毎日紹介されている。わたしの場合はクラシック、現代音楽、クンビア(コロンビアのダンスミュージック)、ラテンなど。さらにbandcamp dailyのページでは、様々なジャンルの音楽が毎日紹介されている。テキストもたっぷり、音源もたっぷりで、ここでもディープな出会いができそう。そもそもiTunesやSpotifyでは、楽曲の内容がよくわかないことが多い。アーティストとされているのが作曲家なのか演奏家なのか判明しないこともしばしば。ただ音を聴くだけ、という感じで不満があった。聞き流す人のためにしか音楽を配信していない感じだ。そこがbandcampはまるで違っていて、本当に音楽が好きで、ある楽曲に心から惹かれていてそれについてよく知りたい人、アーティストの活動やプロジェクトについても知りたい人を満足させる。またどの楽曲も(歌がある場合)、歌詞をテキストで表示できる。これらのことは、アーティストと深く関係をもちサポートする、というコンセプトから来ているのではないか。
もう一つ面白いと思ったのは、ストリーミングで自由に試聴させつつ、デジタル版購入の他、CDやvinylと呼ばれるLPの販売も同時にしていること。最近のdailyでは、アーティストやレーベルがLPをbandcampで作れるシステムを紹介していた。CDさえ消滅しそうなのに、いまどきLPかと思うかもしれないが、これがどうもそうでもなさそうで、実はこのあと書こうと思っているECMというミュンヘンのレーベルのアルバムを見ていて、欲しい!かも?と思ってしまったのだ。
ここまででかなり長い文章になってしまったので、ECMやvinylについては次回書こうと思っている。その前に、bandcampのことでいくつか補足を。bandcampへの参加の仕方には三つの方法がある。登録しようとすると、ポップアップウィンドウで三つのカテゴリーが提示され、その中から一つ選ぶよう指示される。「ファンとして」「アーティストとして」「レーベルとして」の三つだ。わたしは「ファンとして」を選んだが、一瞬、その他の選択の可能性を考えてしまった。もし音楽を、人に聞かせたい音楽をやっていたら、、、そのときは何を選ぶだろう、と。(ところでbandcampのサイトは英語が基本だが、日本語とフランス語も選べるようになっている。しかしそれは部分的であり、日本語を選択した場合も、サイトの多くは英語が使われている。dailyなどのニュースもそうだし、アーティストのページもそう、サポーターのコメントも。日本語で楽曲の感想を書くことは可能かもしれない。が、日本語が読める人でないと、アーティスト自身も含め、読めないことになるけれど)
「ファンとして」を選んだ場合、ここで音楽を聴いたり、購入したり、好きなミュージシャンをフォローしたり、同じ嗜好を持つファンを知ったり、といったことができる。「アーティストとして」登録した場合は、自分の音楽を聴き手やファンに直接売ることができ(bandcampの取り分は10〜15%)、価格の付け方などすべて自分でコントロールでき、購入者のデータや売れている楽曲のリアルタイムのスタッツ、各種レポートなども閲覧できるようだ。またクラウドファウンディングの機能も備えているらしい。アーティストがファンの資金を集めて、新曲をリリースするという流れは、ここではサポーターのベースがあるだけにスムーズにいきそうだ。
「レーベル」での登録は、アーティストを抱える組織のためのもので、こちらは有料。アーティスト15人までが月20米ドル、50ドルだと無制限とあった。ビジネスの知識のない人も、レーベルを簡単に立ち上げることができるということだろうか。
次回はミュンヘンのECMやvinyl(レコード)について書いてみたい。このECM Recordsというのも、アルヴォ・ペルトの本からのリンクである。楽譜のUEとともに、ペルトの音楽を語るのに欠かせないピースの一つらしい。アルヴォ・ペルトの音楽に出会ったこと、彼についての本を読みはじめたこと、そこから様々な音楽世界(クラシックに限らない)へとリンケージしていったこと、このすべてをとても幸運に思っている。